ジャン=リュック・ゴダール監督が亡くなりました。
ヌーヴェルヴァーグの旗手として映画に新しい時代を起こした監督の一人で、50年代後半から60年代中盤のヌーヴェルヴァーグ全盛期の作品はヌーヴェルヴァーグそのものを代表する作品で、70年近く前の作品ですが今観ても全く古くなく、当時の映画を観た時に感じる「古臭さ」が微塵もありません。
実際、「知識としての映画」が皆無な私が観ても充分に楽しめます(『勝手にしやがれ』と『気狂いピエロ』しか観てませんけど)。
そんなゴダールのファンの事を「ゴダーリスト」と呼ぶのですが、「ゴダール至上主義者」とでも云うべき存在なのですが、中には極度に悪化して「ゴダール唯一主義者」とでも云うべき重症のゴダーリストが居まして、「映画とはゴダールであり、ゴダールで無ければ映画ではない」と平気で宣うんですね。
実際こんなことがありました。
月に一度開かれていた「映画好きの集い」がありました。私も参加していたのですが、当初は50〜60人は参加していましたが、段々と減って30人程度で上下していました。
ある日、一人のゴダーリストが参加しました。いつものとおり最近見た映画や好きな映画の話を参加者がしていると、どの映画に対しても「ゴダールなら…」「ゴダール的には…」と誰もゴダールの話は欠片もしていないのに、全部の映画にゴダールで返していました。
正直にならなくても「うざかった」です。
そう感じた方は他にも居たらしく、翌月はいつもなら30人は参加するのに、半分の15人程度でした。
そこには例のゴダーリストも居て、先月と同じく「どの映画にもゴダールで返す」をやっていました。
集いが終わり、私は幹事に云いました。「あのゴダーリストは出禁にすべきだ。ゴダールの話しかしないから不愉快だ」と。
すると幹事はこう返しました。「うるさい黙れ。彼はお前より映画を知っている」と。
更に翌月。参加者がさらに減り、とうとう7、8人。三分の一以下にまで減ってしまいました、
例のゴダールはまた参加していて、参加者が減った分、より多く「ゴダール。ゴダール」と宣ってました。
集いの最後に幹事は「参加者が減ったので今月で最後とします…」と集いの解散を宣言しました。
3年続いた「映画好きの集い」がたった一人のゴダーリストのせいで三ヶ月で潰れました。
ゴダールが亡くなった今、彼は一体これから何を支えに生きていくのでしょうか?
少なくとも私に分かるのは、「彼の隣には誰も居ない」のと、もしゴダールが彼と対面しても「ゴダールが嫌がる」だろうな。
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