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2022年06月03日07:43

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クルマ0326 第一歩(LOTUS Mk-3)

本稿0305で採りあげたロータス・マーク1はトライアル専用のマシンで、同0311のマーク2はトライアルを主眼としつつもサーキット(750 Motor Club主催レースなど)でも使用されました。
次に作られたマーク3は完全にサーキット用に開発されたモデルです。
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1949年の秋にRAF(Royal Air Force=イギリス王室空軍)を除隊したColin Chapman(コーリン・チャップマン)は、翌1950年4月にBritish Aluminium社に入社し、1951年1月1日よりレーシングカー製作をはじめました。その年のシーズンは750 Motor Club主催のレース出場に照準を合わせていましたから、レギュレーションに沿ったクルマを用意する必要があったのです。即ちオースティン・セヴンのシャシー/エンジン/ギヤボックス/リヤアクスルを使ったクルマでなければなりませんでした。

マーク2を売却し、£15で入手した1932年式のサルーンのボディを下ろして「さあ」と言う頃、チャップマンはアマチュア・エンジニアのNigel & Michael Allen(ナイジェル&マイケル・アレン兄弟)と親しくなりました。設備が充実したワークショップを使用できる環境にあった兄弟の手を借りて、オースティン・セヴンの梯子型シャシーを強化(サイドレールを閉断面にしてクロスメンバーを追加)しました。そのシャシーにはF. L.Hine(F.L.ハイン)に作らせたスリークなアルミニウム製のボディ(わずか29.5kg)を載せました。
エンジンはチャップマン自身が吸気ポートを改良するなどしてチューニングしました。またフォードV8のツイン・ストロンバーグ・キャブレターを装着しましたが、それを見られたくなかったようで人前では決してボンネットを開けなかったとの逸話が残っています。
外観上はボンネット上部に突き出た黒い「シュノーケル」が目に付きます。キャブレターに外気(エンジンルーム内の温かい空気より酸素密度が高く、爆発・燃焼効率が高い)を供給するためでしょう。

このクルマはロータス・マーク3としてLMU3という番号で登録されました。
最高速度90mph(約145km/h)と言われ、1951年5月12日にCastle Combe(キャッスル・クーム)で行われたレースに初出走して優勝しています。
その後も出色の戦績(1951年シーズンの出走27レース中18レースで1位か2位)を上げました。
シーズン後、John Davidson(ジョン・デビットソン)に£475で売却されています。

その後、Adam Currie(アダム・キュリー)に同様のクルマを乞われました。そして1952年1月1日にLotus Engineering Co.が設立され、マーク3B(登録番号ONK408)が製作・販売されています。注文を受けての製作・販売です。自動車メーカーとして第一歩を踏み出したと言えるでしょう。
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