月をまたいだら、急に涼しくなったね。
どのくらい気温が下がったかというと、お昼が冷やしぶっかけうどんからワカメいっぱい熱々うどんになったくらい下がった。
さらば、夏の日。
ようこそ、ヴィオロンのため息よ。
といっても、今年は出来なかったこと、やり残したことがいっぱいの夏だった。
例えばゴジラだ。
ずいぶん前から鳴り物入りでポスターがあちこちに貼り出されたし
提灯記事も出たし
アニメさえ前評判を煽ってくれた。
平時だったら、前作のようにへろへろ師匠、ろまさんと新宿でしっかり鑑賞して
歌舞伎町で反省会をしていたところなんだけど。。
今は非常時なので断念せざるを得なかった。
コロナの奴ばらにはほんっとに頭に来るよ
そういう中、今週は月と金が東京に出勤で、火・水・木曜日が浦和の自宅でテレワークだった。
うだるような暑さの残る月曜日と冷たい雨の金曜日。どっちもどっちだった。
しかし、そういう日でも出勤の楽しみはある。
例えば、うちとこは宅配の新聞は讀賣と毎日を代わりばんこに取っていて、今は讀賣のターンだ。
で、月替わり、テレワーク日だった9月1日の水曜日、自宅の郵便ポストに入っていた朝刊には1面トップにこいつがデカデカと載っていた。
お姫さまと太陽王子のこと自体にはあんまり関心がないので、あ、そう、だったけど。
おいらにとっての関心事はこいつは讀賣のスクープなのか否かだった。
本文を読むと観測記事というよりは断定調。一方で、一斉にリリースされた感じではない。しかも、媒体が皇室や内閣にソースをいっぱい持っていそうな讀賣だ。
なんだか、スクープっぽい。
でも、浦和のうちとこに宅配されるのは13版だ。スクープ記事を載せるだろうか。。
いや、以前、知り合いのブンヤさんから聞いたことがあってね。
新聞ってのはでっかいスクープ記事は最終の14版に載せる。なぜなら、これをやると、他紙はおろかテレビ局もあさイチのニュースでは追いつけない、独占状態が確保できるからだと。
これは讀賣のスクープ、特種なのか否か。
他の新聞は取ってないので確認のしようがない。
晴れの日だったら、朝の散歩がてらコンビニに寄って、各紙の1面をチラ見することもできるけど、あいにくの雨振り。
で、明後日、出勤するときのささやかな楽しみにとっとくことにした。
で、金曜に出社して職場に備え付けの毎日、朝日、日経の9月1日の14版を見たら、案の定、どこの新聞にも結婚のけの字もなかった。
で、各紙ともその日の夕刊に載せていた。
スクープ
もっとも、昼頃にはもっとデカいニュースが飛び込んで来たけどね。
朝日と讀賣はこういう記事を1面に載せて赤っ恥をかいた。
毎日はこういう観測記事を1面に載せたので、まあまあ、面目をほどこしたのかな。
新聞もこういう風に眺めると、けっこう面白いでしょう。そうでもないかな。
一方、月曜は出勤したおかげでもらいものをした。
アンパンと映画秘宝というムック本。
「銀座のポンパドールっていう店のアンパンっす。うまいっすよ」
「なんで、俺にくれるの?」
「なんでってこともないけど、日頃お世話になってるお礼です」
「ふーん、なんだか高くつきそうだな、八天堂のクリームパンぐらいするの?」
「いや、あそこまで高くはないっす」
「こっちの古本は?」
「70年代映画、お好きでしょ、読んだら捨ててください」
そいつはこれまでにも、こういうマニアックな本を貸してくれた奴なんでね。
その第3弾というわけだ。
で、両方とも、もらって帰った。
アンパンはトースターで焼いて、カミさんと半分こした。美味かった。
映画本の方は私は見ないと言われたので、自分の部屋に置いた。
さて、ここまで書いたところで、僕には二つの道があった。
ひとつはアンパンから広げてお菓子類のことを書くこと。
ネタはいくらでもある。
もうひとつは映画本から広げて70年代映画のことを書くこと。
こっちも自家薬籠中のものだ。
この町山智浩ほど過激なことは言わない、80年代以降もいい映画はあると思うけど、そうはいってもなにはなくともおいらの時代、70年代だからね。
で、後者でいくことにした。
だって、アンパンは何日か前に食っちまったけどさ、映画本の方はこういうのが手元にあるんだから。
実際さ、まだつまみ読みしてるだけなんだけどさ。そそられる読みものが満載なんだよ。
こうきて
こうだからねえ。
これなんか、わかるわかる。
「ゴッドファザー」の大ヒットがなかったら、「仁義なき戦い」の企画が日の目を見たかどうか。。見なかったんじゃないかなあ。
うひゃひゃ、ウイリアム・フリードキンって、ハワード・ホークスの義理の息子なのか。だから出来たのが「フレンチ・コネクション」
まあ、70年代なんて古くさい時代の映画は知らんという人もいるよね。
なにしろ20年前にして、この本の関係者は俺らが特集するのは古い映画だと自嘲してたんだから。
でも、そういう人たちもさ、ちょっとだけ付き合ってくんなましよ。
へえ、なんか1本ぐらい見てみようかなと思ってもらえるように頑張るからさ。
ただし、ひと口に70年代の映画と言ってもいろんなのがある。この見出しの通りだ。
その中で今回はアメリカン・ニューシネマに絞ってみる。
このウェイン町山(町山智浩)とガース柳下(柳下毅一郎)の対談で、二人の映画キッズが70年代の映画ってのはブームの最中はもちろんのこと、ブームの後も大なり小なりニューシネマの影響を受けていたという点で合意していることに敬意を表するためだ。
じゃあ、アメリカン・ニューシネマって、どういう映画群だったのか。
若者、反体制、自由への逃避、、いろんな切り口から映画史的に整理されているけれど、僕なりにはポイントは3つじゃないかと思う。
ひとつは主人公が死ぬ映画。
もうひとつはザラザラした質感の映画。
ここまでは二人の意見をもらってるんだけど、僕的にはもう一つ。
新しい音楽、ロックンロールが多いんだけど、それ以外でもヴォーカルをセンターにした音楽が単なるBGMでなくて主役の一つになっている映画だ。
これらの全部でなくとも一つでも満たしている米国映画であれば、アメリカン・ニューシネマなんじゃないかと思う。
そして、3つとも文句なく満たしているのはこの作品だ。
これはもうねえ、OPが一番イカシてる。
冒頭、ピーター・フォンダがバイクのタンクに仕込むのはコカインだ。マリファナよりはヘヴィーで、ヘロインよりはライト。 これはとある作家の受け売りだけど、映画の重みをそこで示す。
そして、彼は腕時計をポイっと捨てる。時間に拘束される生活とはオサラバだ。
で、デニス・ホッパーとハーレー・ダビッドソンを並べたところで、ステッペンウルフの「ワイルドで行こう」が鳴り出す。
二人は州境の河を超える。ここから先は南部だ。
Easy Rider - Intro - Born to be wild!
https://www.youtube.com/watch?v=J1cDECkN2xg&t=8s
そして、半世紀前に作られたこの映画は未だに優れて今日的だ。
二人に向けて鉄砲をぶっ放したプアホワイト。
僕は泡沫候補だったはずのドナルドがどんどんのしてきたとき、こういう層が支持しているに違いない。米国南部、こええと思ったよ。
実はそういう層だけでなくて、もっともっと大勢の米国人が米国ファーストを支持していることが後々にわかったんだけどね。
主人公の乗り物が州境を超えて南部に入るOPとしてはこれもある。
僕はこのOPも好きでね。
ぼんやりした光が線を結ぶとそれはトレインのヘッドライトだとわかる。列車はミシシッピの州境を超える。悪名高き米国南部だ。列車が止まると、仕立てのよいスーツを着た黒人のシドニー・ポワティエがゆっくりと降りる。白人の車掌が足台を差し出す。ポワティエの手にはラストで生きてくるスーツケース。
なにも語らずに物語のバックボーンを客に示す。
映画のOPってのはこうでなくちゃいけねえっていう教科書みたいなOPだ。
歌うはレイ・チャールズ。
Ray Charles - In the Heat of the Night
https://www.youtube.com/watch?v=scj4jJA8A0s
この「夜の大捜査線」も一般的にアメリカン・ニューシネマに分類されている。
たぶん、白人支配体制の否定、反権力性が際立っているからなんだろう。
僕的にはレイ・チャールズ+クインシー・ジョーンズの新しい音楽が立っていたのがニューシネマ的なんじゃないかと思う。
そして、「夜の大捜査線:In the Heat of the Night)と同じ1967年、アメリカン・ニューシネマの嚆矢とされる作品が登場した。
日本でも翌年に大ヒット。それには邦題の功績も大きかったと思う。
”Bonnie and Clyde”を「俺たちに明日はない」。たまらんセンスだ。
日曜洋画劇場のヨドチョーさんの解説が忘れられない。
有名なラストの手前、麦畑をざっと風が渡る、鳥たちが飛び立つ。これで不吉な影が走るというんだよ。 そして、このシーンが炸裂する。
映画の前半のクライマックスはクラシックカーの平原での追いかけっこ。
バックに流れたのはバンジョーとヴァイオリンの陽気な調べだ。
Lester Flatt and Earl Scruggs - Foggy Mountain Breakdown (Original 1949)
https://www.youtube.com/watch?v=z_Y3mnj-8lA
もう一つ、忘れられないのが冒頭のフェイ・ダナウェイのどアップだ。
あれは10年ぐらい前だったかな。
レンタルビデオ屋でDVDを借りた。 そしたら、うっかり字幕がついてない盤を借りちまってね。 まあ、何回も見て筋がわかってる映画だからいいかあと思って見始めた。
そしたら、いきなりフェイ・ダナウェイ。
彼女はベッドで寝ている。外から呼び声がするので起きる。
ベッドの格子に手をかける。濡れた唇。きらめく瞳。
なんかね、檻の中の牝の獣の風情がビンビンだったんだよ。
その後通りに出て、待っていたウォーレン・ビューティー(昔はこういう表記だった)とお喋りするんだけど、その英語が聞き取れなくて、こりゃあかんわでDVDのスイッチを切っちゃったんだけどね。
「俺たちに明日はない」のストップモーションを使った強烈なラストを見て、先を越されたと歯噛みした男がいる。サム・ペキンパーだ。
彼の「ワイルドバンチ」もアメリカン・ニューシネマに分類されることがある。
僕はどうなのかなあと思っていたけど、主人公が死ぬことではたしかに僕自身のニューシネマの定義に当てはまる。特に当時の西部劇では掟破りだった。
「ワイルドバンチ」の撮影現場で「俺たちで『俺たちに明日はない』を葬り去ってやる!!!」と、ペキンパーが何百もの弾着を仕掛けながらそう言っていた、なんていうエピソードを聞くと、ますますその意を強くする。
そのワイルドバンチ(野盗)を主人公にしたもう一つの西部劇はまぎれもないアメリカン・ニューシネマだ。
”Butch Cassidy and the Sundance Kid”を「明日に向かって撃て!」。
邦題も「俺たちに明日はない」を意識していたと思う。
そして、ラストはこれまたストップモーション。
おいら、学生時代にこのシーンのパネルを下宿の壁に飾ってたよ。
先にあげた諸作を最初に見たのがテレビの洋画劇場だったのに対して、これは学生時代に仙台の名画座で見たこともあってね。
このシーンをスクリーンで見たときなんかさ、僕は映画史上もっとも美しく描かれた自転車の二人乗りだと思ったよ。
このB.J.トーマスは今年5月になくなっちゃったんだよなあ。
B. J. Thomas - Raindrops Keep Fallin' on My Head(雨にぬれても)
https://www.youtube.com/watch?v=_VyA2f6hGW4
一方、ポール・ニューマンのこいだ自転車のハンドルの前に乗ったキャサリン・ロスがスターになった作品も仙台の名画座で見た。
これまた、アメリカン・ニューシネマの傑作と言われているんだけど、正直言って僕はあんまり感心しなかった。
お金持ちのボンの学生さんが親子丼食って、母娘の両方から肘鉄くらうだけの話じゃないか。 そりゃ、それで苦悩するかもしれんけど、まったく同情する気にならん。 大体、花嫁を結婚式場からかっさらってどうしようってんだ、お前は?という感じだった。
でも、サイモンとガーファンクルの音楽は聴かせた。 歌はスグレモノのニューシネマなんだよ、おいらにとって「卒業」は。
Simon & Garfunkel 映画「卒業」 Sound Of Silence
https://www.youtube.com/watch?v=AX3948kEyJo
ダスティン・ホフマンにとって、本当のアメリカン・ニューシネマはこっちだったんじゃないかな。
これも仙台の名画座で見た。
大都会のうらぶれ者たちの話だから、カウボーイでなくてカーボーイ。
寒々としたニューヨークの風景が沁みた。
「卒業」との共通項はラストで主人公たちがバスに乗るところ。
描き方はまったく違うけどね。
S&Gの「アメリカ」もグレイハウンド・バスの歌だし、あの国ではバスってのは自由への逃避の象徴なのかなと思ったりしたもんだ。
そして、この映画もイケてる歌を使ってるよ。
ニルソンNilsson/うわさの男Everybody's Talkin' (1969年)
https://www.youtube.com/watch?v=iTdmLUav0Io
しかし、仙台の名画座の連打だな。
名画座、名画座って本当の名前はなんていうんだよ?と言われても、ほんとうに単なる「名画座」っていう名前の映画館だったんだよ。
そして、おいらが学生時代に通っていたその仙台の名画座はほんとのオールドファッションドの名画も上映したけど、どっちかというと当時としては同時代的だった作品をよくかけてくれたんだよ。
キューブリックとかペキンパーとかね。
中でもアメリカン・ニューシネマは定番だった。ヌーヴェル・バーグはあんまりやらないけど、ニューシネマはやる。スタッフの感性だったんだろうね。
例えば、こういうのも見た。
いや、70年代の映画のことを書くぜい
といいながら、ここまであげた諸作はぜんぶ60年代末に作られた作品だったんでね。
ちゃんと70年代の映画を出さねばということで、思い出したのが名画座で見た「スケアクロウ」だったんだよ。
これはちょっとした発見だった。
僕はこれまでアメリカン・ニューシネマは70年代の映画だと思い込んでいたんでね。
ひとつには僕自身がテレビや名画座で鑑賞したのが70年代だったからなんだけどさ。
そこに町山智浩たちが70年代はアメリカン・ニューシネマの時代とかなんとか囃してくれたもんだから、すっかりその気になっちまったんだよ。
でも、こうやってひとつひとつの作品を検証していくと、60年代末こそがニューシネマの全盛期だったということがわかる。
町山たちも一方でこう言ってるしね。
そういう中で真正の70年代アメリカン・ニューシネマ、僕が大好きな一作がこれだ。
どういう映画かというと、こういう映画。
シャブ(覚せい剤)は米国では流行らないので、主人公のコワルスキーはコカインかなにかのケシ系のヤクをやってたんじゃないかと思うけど。
ストーリーは単純そのもの。
クルマの運び屋が賭けをする。デンバーからシスコまで1日で走破できるか。
で、そのクルマで砂漠の1本道を疾走する。
道中、マッパでバイクを駆るヒッピー女子と出会ったりする(ナニはしない)。
で、スピード違反やらなんやらやってるうちにラジオのDJが電波に乗せたので、アメリカンヒーローになっていく。警察も捨て置けなくなる。
それだけの話。
カーチェイスもね、「ブリット」や「フレンチ・コネクション」みたいに街中でやらかすんじゃなくて、障害物がなんもない砂漠の1本道だからねえ。
手に汗握るという感じじゃない。
なんだけど、魅せるんだよ。
実際、そんなにヒットしたわけじゃないけれど、僕みたいなファンはけっこう多い。
コワルスキーが砂漠を疾走させる白のダッジ・チャレンジャーのOAー5599をキーナンバーにしている人もいるんじゃないかな。
最後はそのバニシング・ポイントのテーマソング。
聴いたことがある人はあんまりいないと思う。なにしろマイナー系、カルト系の映画の主題歌なので。
でも、アメリカン・ニューシネマにふさわしいメリケンの田舎町っぽい歌ではあるよ。
Kim & Dave 映画「バニシング・ポイント」Nobody Knows
https://www.youtube.com/watch?v=hc_EOboILK4
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