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2021年08月16日15:50

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もじたま日記・3082日目・「十三の砂山まつり」=8月14日〜16日の盆踊り

 3082日目

 十三湊遺跡・・・
 丰(ホウ)
 𡗗=龵+乀
 𡗗+α・・・あるふぁ・・・或る譜のアは「丫・蛙」?
 春=𡗗+日
 舂=𡗗+臼
 泰=𡗗+氺
 秦=𡗗+禾
 奉=𡗗+キ
 奏=𡗗+夭
 一+夫+「禾・夭・氺・‡(十+一)・日・臼」
 二+大+「禾・夭・氺・‡(十+一)・日・臼」
 三+人+「禾・夭・氺・‡(十+一)・日・臼」
 ↓↑
 春≠舂≠秦≠奏≠泰≠奉≠春≠舂
フォト

 ↓↑
 秦=三+人+禾
   一+人+禾
   シン
   はた
   国名・戦国時代の七雄の一
   姓氏の一種
   ↓↑
   蓁溱嗪嫀獉
   搸殝榛瑧臻
   縥螓轃㰉䆐
 ↓↑
 太秦=うずまさ・はた・はだ
 右秦=うはた
 大秦=おおはた・おおばた
 秦 =しん・しんの・じん・たい
    はた・はだ・みな
 秦泉寺=しんせんじ・しんぜんじ
     じんせんじ・じんぜんじ
 朝秦暮楚(チョウシンボソ)
  一定の場所に生活の拠点をもたず
  ふらふらと放浪すること
  信念や主義などが
  すぐに変わる人のこと
  朝には秦の国にいたのに
  夕方には楚の国にいる
  出典 晁補之「北渚亭賦」
 ↓↑
 湊=氵+奏=凑
   氵+三+人+天
   氵+三+人+夭
   氵+一+人+丿+大
   ソウ
   あつまる
   みなと
   集まる・集める・人や物が集まる
   港・船着き場・船の集まるところ
 ↓↑
 奏=三+人+天
   三+人+夭
   一+人+丿+大
   ソウ
   かなでる
   すすめる・差し上げる・献上する
   もうす・申し上げる
   かなでる・演奏する
   なしとげる・やりとげる
   奏=かなつ・しん・はた
   奏(かな)でる
   楽器を演奏すること
   特に弦楽器の演奏
   奏(すす)める
   合奏
   複数の楽器を使って
   一つの曲を演奏すること
   四重奏
   四種類の楽器で行う演奏
   カルテット
   重奏
   複数の楽器で
   異なる声部に分かれて
   行う室内楽の合奏
   序奏
   楽曲で主な部分の前に
   演奏される音楽・導入部
   吹奏
   管楽器などを吹いて演奏すること
   帷幄上奏(イアクジョウソウ)
   君主制国家で
   帷幄機関である軍部が
   君主に軍事事項を上奏すること
   「帷」=垂れ幕
   「幄」=引き幕
   昔の陣営に幕をめぐらした
   作戦場所
   本陣や本営・軍部
   先斬後奏(センザンコウソウ)
   指示を受ける前に
   問題を解決し
   解決後に上の人に報告すること
   規則を破った人を処罰し
   その後
   君主に報告すること
   ↓↑
   奏+α
   凑湊揍楱腠辏輳
フォト

 ↓↑
 青森県津軽半島北西部の日本海岸にある汽水湖
 十三湊遺跡
 ↓↑
 十三湖西側の十三地区
 (五所川原市十三、十三湖大橋南部の日本海と湖に挟まれた地域)
 「十三の砂山まつり」=8月14日〜16日の盆踊り
 盆唄の「十三の砂山」
 歌 詞
 十三の〜砂ア山ナアアアヤ〜イ
 米イなアらアよオかアろオナア
 西の弁財衆ウウにア〜エ・・・弁済使=運漕(海運)の従事者
 た〜だ〜つ〜ましよ
 弁財衆にアナアアアヤ〜イ
 ↓↑
 弁財衆にア西のナア
 西の弁財衆ウウにア〜イ
 た〜だアつ〜ま〜しよ ただつ〜ま〜しよ
 ↓↑
 十三の砂山
 米ならよかろ
 西の弁財衆にただ積ましよ
 弁財衆に西のな
 西の弁財衆にただ積ましよ
 二
 つつじ椿は山でこそ咲くが
 今は十三船のともに咲く
 十三船の今はな
 今は十三船のいともに咲く
 三
 笠を忘れた敦賀屋の宿さ
 西が曇れば思い出す
 曇れば西がな
 西が曇れば思い出す
 ↓↑
 地域名「十三」は、語源はアイヌ語の「トー・サム(湖畔)」・・・?
 十三の川が流入する湖に由来
 アイヌ語で「川尻の湖」
 ↓↑
 13=12+1
  子(12)→丑(1)→寅卯辰巳午未申酉戌亥→子(12)→丑(13)
       牛=ウシ=宇志=大人=主=あるじ・・・紐(ひも)
  12使徒+キリスト+天主(ゼウス・ZEUS=是碓・是臼⇔是ウシ)
  12使徒+キリスト+マリア
    ヘブライ語「ミリアム」
    ギリシア語「マリアム」
   『コーラン』「マルヤム(聖母マリア)」第19章
          マリヤ・マグダレナ(MARY MAGDALENE)
    マグダラの「マリア(羅語 Maria Magdalena)」
          馬利亞・瑪利亞・瑪麗亞・瑪莉・瑪麗
  ↓↑
 イエス=移鼠(大秦景教流行中国碑)・・・移動するネズミ
         781年(唐代 建中二年)
        「伊斯」が建立
        「景浄」が撰碑文
         碑文
         32行・毎行62字・計約1900字
         書は
        「呂秀巌」
        「阿羅本」が景教を伝えた時に
         唐の太宗(タイソウ)=李世民
              第二代皇帝
              高祖=李淵の次男)
         が感激して
         宰相の「房玄齢」に出迎えさせ
         貞観十二年七月に
         詔勅を賜ったこと
         玄宗や
         唐の武将
        「郭子儀」・・・「郭務悰」とはダレ?
         が
         景教を保護したコトが記録されている
         ↓↑
         1623年(天啓三年)or1625年(天啓5年)
         に出土
         明王朝末の
        「ディアス(陽瑪諾)」
         の
        『唐景教碑頌正詮』の序に
        「大明天啓三年」
         ポルトガルのイエズス会士
        「アルヴァロ・セメド(魯徳照)」
         の
        『支那通史』に記録
        ・・・12+1=13=丑=牛
               =大人(宇志=宇宙の志)=主=あるじ
               =一+人+人=一从(從 =従)
  12使徒          
   ガリラヤの漁夫シモン(ペトロ)
         アンデレ(ペトロの兄弟)
         ヤコブ
         ヨハネ(ヤコブの兄弟)
         フィリポ
         バルトロマイ
         トマス
         マタイ
         ヤコブ(小ヤコブ)
         タダイ
     熱心党のシモン
  イスカリオテのユダ
  ↓↑
  13使徒=マグダラの「マリア(羅語 Maria Magdalena)」?
      馬具妥覶の「馬利亞・瑪利亞・瑪麗亞・瑪莉・瑪麗」?      
 ↓↑
 戦国時代の
 『廻船式目』に
 「三津七湊」の一つとして
 「奥州津軽十三湊」と記録
  東北
 「阿倍・安東」氏の拠点
  ↓↑  ↓↑
  阿毘・・・安日彦(アビヒコ)・長髄彦(ナガスネヒコ)
  阿毎=九州熊本王朝
  ↓↑  ↓↑ ↓↑
     安東将軍・・・
     夷蛮伝・倭国の条(宋書倭国伝)
     兄の「興」が死亡
     弟の「武」が王に立ち
    「武」は
    「使持節
     都督倭
     百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓
     七国諸軍事
     安東
     大将軍
     倭国王」
     と自称
     唐の
     六都護府は
     太宗の時に
     安東・安西
     安南・安北
     単于(ゼンウ)・北庭
     の六ヶ所に設置
    「安東」とは
    「旧高句麗に安東都護府」・・・?
 ↓↑   ↓↑
     唐
     総章元年・(668年)9月・・・総ての章の元年
     高句麗
    「宝蔵王」二十七年・(668年)
     高句麗滅亡
    「安東」都護府設置
     朝鮮半島北中から
     満洲南に相当する
     高句麗の旧領域・・・
    「倭国の武王」は
    「安東大将軍=高句麗領有権」
     主張の王でもあった
 ↓↑   ↓↑
 唐朝が
 新羅の版図に設置した統治機関
 「都督府」制度
 唐が周辺の国々を征伐した後
 征服した国に設置した統治制度
 高句麗と百済が唐朝により滅亡し
 旧高句麗に
 「安東」都護府・・・安東「津軽」?
 旧百済に
 「熊津」都督府・・・九州「熊本」?
 新羅に
 「鶏林州」都督府・・・鶏・鷄・鶏・雞
 を設置
 朝鮮半島全域を
 藩属国から
 「羈縻州」・・・羈縻(きび)=羈は馬の面懸(おもがい)
                縻は牛の鼻綱(はなづな)
         馬や牛をつなぎ止めておくという意味
         異民族地域を唐王朝の州県に組み込みながら
         現地の異民族にその地の一定の統治権を分与し
         懐柔・州をまとめて監視するための
         都護府を置き
         都護府の長官以下の官吏と
               付属の軍隊は中央から派遣
 へと変更
 ↓↑
 南北国
 唐
 熊津・安東都護府
 統一新羅
 鶏林州都督府676〜892・・・鶏・鷄・鶏・雞
              阿輩雞彌   雞彌
 安東都護府668〜756・・・?
 渤海698〜926
 ↓↑   ↓↑
 江戸時代前期までは「とさ」
     後期以降は「じゅうさん(じふさん)」と読む
 ↓↑
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