mixiユーザー(id:28749778)

2021年07月24日21:28

66 view

(2017年)7月

(2017年)7月

(2017年)7月,最初のライブ鑑賞は2日(日)長沼のこぐま座でカルマン北海道ツアー初日でした。トシさんは27日(火)の別海までJJFの北海道ツアーがありましたから,そのまま北海道に滞在されていた可能性もあるかもしれません。

長沼にはこぐま座,あまりやはじめ伝え聞く名店が数々ありますが,車を運転しない私には交通手段が苦しく,それまで訪れたことはありませんでした。

ところが,この時のカルマン北海道ツアーは,(2017年)7月3日(月)のなまらやは職場行事と重なって行くことができませんでしたし,4日(火)の京極町オーリンホールは平日でなくとも独力で赴くのは無理,のやには行きたく思っていましたが,それだけというのは寂しく思いました。

そこで,真剣にこぐま座についてネットで調べてみると,食べログのたぐいにJRバスの中央長沼で降りてから歩いて行けそうなデータが出てきました。バスには地下鉄大谷地駅やJR北広島駅から乗り込むとよいようでした。バスはほぼ1時間おき。こぐま座は15時半開場16時開演にて北広島駅前14時半発で中央長沼に14時52
分着のバスがちょうどよいように思われました。

この日はりびあんでRose in the heatherと星さんのライブもあったのですが,18時開演にて,かえってカルマンの方が帰宅後に家事の時間も取れるのではといったことも考えたかもしれません。

道南との往来,千歳空港へ行く時,苫小牧室蘭伊達方面への出張時など,何度となく通過した北広島駅ですが,現在のところ乗り降りしたのはこの時だけと思われます。
バスの時間までかなりゆとりがあったので,北広島駅近くのcoopさっぽろなど立ち寄って時間調整をしました。翌月のライジングサンにビートニクスもお出になったのですが,その際に鈴木一族が北海道に集まるようなことがあったらしく,北広島生協のフードコートに佇む博文さんの写真が上がったりした記憶で,あの場所に博文さんが!と興奮したものでした。

また,北広島駅では北広島市芸術文化ホールでのビューティフルハミングバードの公演のフライヤーを入手しました。今年(2021年)のtricolorのように,通好みのアーティストを招き,廉価の入場料で住民に提供するという企画はずっと続いているようです。

さて,中央長沼で降りて,頭に入れた地図どおりの道を歩いたつもりが,いつまでも想定していたような道路状況になりません。町立図書館に寄ってルートをを再確認もしました。結果からすると,中央長沼が最寄りという情報が誤っていたようで,開場まで30分,開演まで1時間あった筈のゆとりは全て失われ,5キロほど余計に歩いてかなり歩き疲れた上,入場時には30分ほどの遅刻になってしまいました。実際には長沼中央ではなく2つほど先の農協前で降りると,こぐま座前までまっすぐ走る道路に近いのでした。

遅刻したとはいえ,カルマンのレパートリー,岡林さんの倍音笹の葉,前週の帯広では中村さんの脊髄反射により挫かれてしまったトシさんの自己紹介ラップの完結などを聴きとげることができてよかったです。

終演後は,カルマンンのDVD付きアルバムにお三方のサインをいただきました。
購入したのは2016年夏の一風来だったので(健さんとサリランさんの時だったでしょうか。)。約1年ぶりですが,その間,健さんトシさんとは個別に機会がありながら,カルマンは道南にいた頃以来だったと思います。2014年夏の帯広遠征が思い出されますしや,その後にのやでも機会があったでしょうか。臨時結成感がなくなり,パーマネントなユニットとして感じられるようになったことでもあり,このツアーでももう1回は行きたいものだと思いました。

因みに岡林さんとはカルマン以前にも遭遇したことがあり,2011年の震災後の春,終演近い西荻窪ののみ亭を訪れて,トシさん岡林さん岡大介さんによるレアな男声三重唱の「古い映画の話」を聴いたことがありました。その時はどなたかわからなかったと思いますが,トシさんにバウロンを習っておられる北川さんも客席にいらっしゃっていました。

終演後は,静子さんからあまりやでの打上げに来ないかとお誘いを受けたのですが,徒歩,バス,JRと乗り継いで帰るには,少々急いで農協前に戻る必要がありましたし,時間をかけて帰宅した後に家の用を済まさねばならなかったことから,帰らなければなりませんのでと申し上げて失礼しました。

静子さんからは忙しいのね旨の御反応だった記憶で,後に健さんから静子さんが私に声掛けをしたがふられてしまった旨をおっしゃっていたと漏れ聞き,申し訳なかったと思われたことでした。

現在(2021年)のところ長沼でのライブ鑑賞はこの時だけとなります。

さきに記したとおり,(2017年)7月3日(月)のカルマンなまらやは職場行事にて行くことができませんでしたし,翌4日(火)嵯峨さんとの京極町オーリンホールも平日に普通に仕事をしていたのでは到底行くことができない場所でしたので,私の次のカルマンは5日(水)ののやとなりました。

この日も仕事帰りとなり,精一杯急いだものの5分ほどの遅刻。
大遅刻のこぐま座に続き,ライブをきちんと最初から目に収めることなく私にはこのツ   アーは終わってしまうのかもしれないと危機感を抱いたことでした。

ちょうど道南にいたこともあり,カルマンはこれまであまり機会に恵まれておらず,
2015年5月ののやでは終演するや否や22時の急行はまなすで帰るために岡林さんやトシさんとは御挨拶できずに失礼したこともありました。

その年(2015年)の8月には道央に戻ることになるのですが,自分ではまだそれがわかっていない時期のことです。思い起こせば,開演前のチューニング中に私が来ているのを認めた健さんが,オオフジツボがまた来ますよと教えてくれたのがその時でした。いつ頃なのかとお尋ねすると,9月の連休頃と。

2015年9月秋のオオフジツボ北海道ツアーは5日間のうち3日間を健さんがゲストとして共演されましたから,後から思えば5月頃には既に健さんにオファーがあったのでしょう。

お客とトシさんの会話がもれ聞こえてきて,2015年の更に1年前,私が帯広の彩乃のみ訪れることができた2014年夏のツアーでは,トシさんはツアー終了後も少し残留されていて,オールナイトインドなどの催しにもお出になっていたのではなかったかなと思い出しました。

2014年の夏,帯広から道南に戻った私は,はこだて国際民俗芸術祭(お目当てのユニットはパイレーツカヌーだった年で。)を訪れ,出店していたみんたるのみかよさんに御挨拶したところ,函館に来たためにオールナイトインドに行けなくなったことを残念がっておられた記憶があるからです。

さて,2017年7月ののやですが,この日のお客からはお三方のハモリ,殊に健さんの歌声を絶賛する声が多かったです。

それは軟石造りの構造や松川さんのPAによるのやの響きのためもあったことでしょうし,ツアー4日目となりユニットとして熟してきたり練れてきたりしたことによるものもあったことと思われました。

その変化を感じ取るのもツアーを追う楽しみの一つなので,今回なまらやや嵯峨さんとのオーリンホールも観てみたかったと思われたことでした。

トシさんの自己紹介ラップには,香取慎吾に新たに大江健三郎が加わっていました。

健さんが世代的に懐かしいとおっしゃられ,既に亡くなっていると言及もあったサンディ・デニーのカバーもありました。JJFには活動休止前から別な曲のカバーもありましたが,この日に聴いたのは「海へ」だったのか,それとも別の曲だったのか,今となってははっきりしないのです。

当時書いたものにもありますが,中学生の頃からずっと敬愛している作家の梶尾真治さんの記念すべきデビュー作「美亜へ贈る真珠」に,主人公がサンディ・デニーの曲を口ずさむ描写があり,当時は男性か女性かも知らなかったのですが,その名前はずっと憶えていたのでした。

のやの開演に間に合っていたなら,あるいは悔いなく成仏できていたのかもしれません。しかし,遅刻がゆえに未練が残り,翌7月6日(木)も札幌駅から17時50分発の快速エアポートに飛び乗って千歳に向かったのでした(ツアーはこの後も興部,豊富温泉,水切り大会と続いたのですが,流石にそこまでは追うことができないので,私にはこの日の千歳が最後の機会だったのでした。)。

エアポートは15分間隔で走っており,新千歳空港までは40分近くかかりますが,千歳までなら30分ほど。千歳駅から会場となる博信堂は調べてみたところ1.2キロほどで,初めての場所にて迷ってしまうと苦しいですが,通常であれば十数分程度。エアポートに乗り込む時点で勝負が決まり,開演には十分間に合いました。これはこのツアー初のこととなります。

ぎりぎりで乗り込んだエアポートでしたが,次の便だと間に合ったかどうかというところで,長沼やのやでも味わった運命の分かれ道でした。博信堂はかねて評判の場所で,ジャック界隈の音楽の販売テープが未だに現役で店頭販売されているなどと耳にしたことがありましたが,この日は2階の奏ホールに出入りしただけで,1階の店舗は閉まっていたようでした。

ツアー5日目,進行などは円滑の度を増しているように感じられました。
ネズミの大中小話などは久しぶりというようにおっしゃっていたので,このツアーでは初だったのではないでしょうか。おかげで2015年ののやで聴いたような記憶が甦ってきました(その反面,千歳では自己紹介ラップはありませんでした。)。

オープニングアクトは中原さん金一さん大沼さん。中原さんの本職は教諭でいらっしゃるのだと思いますが,客席には元教え子のような方々が多くいらっしゃる盛況でした。これも千歳ならではなのでしょう。

かつて道央勤務の折に職場関係の冠婚葬祭で千歳駅の南口を歩いたことはありましたが,北口方面は殆ど初めてだったのではないかと思われます。この時に千歳市街地を歩いた経験が,後のオオフジツボの時に役立つことになります。

興部,豊富と続くカルマンのツアーも私にはこの日限り。終演後はゆかりの方々との打上げなど開かれるらしく,車に乗り込むなどされあまり構っていただく時間はなさそうでしたが,遅くまで快速エアポートの走る土地柄,初めてお三方のお見送りができ,私もJR千歳駅に向かいました。

その週末は特に予定がなかったので,(2017年)7月9日(日)手稲の試験場に行って運転免許の更新を済ませました(完全なペーパードライバーで,運転技術は持ち合わせていないのですが…)。

翌週末は(2017年)7月15日(土)から17日(祝)までの三連休でした。
私は未だに訪れたことがありませんが,土曜から日曜にかけて追分という名の石山ラッキーフェスがあり,札幌圏のゆかりの方々はそちらに行かれたため,ライブ行事などがあまりなかったと思われる週末でした。

16日(日)はタワーレコード限定発売という小田朋美さんのアルバムが札幌ピヴォ店でも売られていたので買い求め,チェロの関口さんのお名前に2009年5月の阿佐ヶ谷ヴィオロンを思い出したりしていました。
夜は南郷通り沿いのmellowに行きました。当時の最寄駅である地下鉄白石駅を出てすぐの立地です。西28丁目に住んでいた頃のJAMUSICAのようなもので,毎日のように前を通って市井みさとさんのお名前をお見かけしたりしながらも,この時まで2年近く中に立ち入ったことはなかったので,行くなら今日かなと訪れてみたのでした。

直接のきっかけはNaNaPiの出演情報でしたが,出演者客席ともラッキーフェス帰りの方々が多くいらっしゃっていました。5組の対バンの中には当時高校生だったハルタカ君もお出になっており,今にして思えば客席にはてまりさん,御主人,わかなちゃんもいらっしゃっていたようだったのでした。ハルタカ君は曲想について話すMCなども堂に入ったものでした。

NaNapiは記念すべき初ライブだったようで,曲目はアイリッシュの代表曲中心。シーベグシーモアでは,ピエゾウさんがギターをホイッスルに持ち替える場面もありました。最後はブルーグラスチューンの速弾きを中心とするピエゾウさんソロでした。

こうした対バン形式のライブは久しぶりで,札幌では初だったかもしれません。19時半開演で5組全て終演すると23時。予想外に遅い時間となり,三連休のなかびで米も炊いていなかったことから外食でもしようかと思っていたのはやめて帰宅することにしました。

三連休最終日の(2017年)7月17日(祝)は,ローカルアイドルの候補生が日頃の練習の成果を披露するような催しを観に行っています。会場も歌やダンスの専門学校のホールでした。

翌(2017年)7月18日(火)は,くうであらさんと奥野さんでした。
くうは20時開演にて少々の残業をしてからでも十分間に合います。
何年も機会がなかった時期もあったのが嘘のように,道央に戻ってからはもう5回目くらいなのではないかと思われました。

くうではおなじみと御紹介のあったサックス奥野さんとは,あらさんは演奏では初のお顔合せとのことでした。くうでおなじみということは,ジャズ畑の方なのだと思われますが,これまでのあらさんとの共演者とは少し趣きが異なるようにも感じられました。

共演者によって様々に色合いを変えるナイトフラワーや,その後のアンコール曲ももちろんよかったのですけれど,この頃とみに機会が多かった武満徹曲を奥野さんとも試みられてまた新しい形を見ることができたことや,my favorite thing はあらさんで聴いたことはあったかしらなどと考えているうちに22時の終演となりました。

週末(2017年)7月21日(金)は,カルチャーナイトでした。
 私の職場も参加している催しで,かつての道央勤務の折や後の2019年の折には係員に駆り出されたこともあるのですが,この年は一市民として楽しむことができました。
ちなみに函館カルチャーナイトというものもあり,こちらはゆかりの方々が演奏するような会場はなく,専ら職場の係員として働いていました。国際民俗芸術祭関連の催しで私を見かけていたらしい国際カップルの方から,ザッハトルテのファンの人だとお声掛けされたこともありました。

さて,2017年のカルチャーナイトですが,道立文学館ではロケット,東札幌のほくでん関係の施設で長崎さんなど同じカルチャーナイトの催しとして重なっており,普通のライブも含めると四,五本の催しがあったのですが,私は職場から最も近いと思われるテレビ塔のホールに行きました(それでも若干の遅刻。エレベーターを待つよりはと階段を登ったところ,普通のビルの4階分くらいあるということで,更に時間がかかってしまいました。)。

あらさんはじめ札幌カンテレクラブの皆さんでした。

前年(2016年)夏に久保達男さんユキさんはじめSapooro Accordion Quartetとタンゴのダンサーの方々の催しを観覧して知った立派なホールがテレビ塔にはあるのでした。

あらさんも初めてだったようで,音,特に声が予想以上によく響く会場で楽しく演奏ができた旨をお書きになっていました。

あらさんがそうお書きになっていたように,この日の曲目ではカンテレクラブの方々の歌声が特に印象に残りました。

テレビ塔のホールはこのように隠れた名会場なのですが,後にはこだて国際民俗芸術祭に出店中のみかよさんとお話しした際,みかよさんもこの日にいらしていて,テレビ塔の従業員の方々にライブを観にとお伝えしたところ,料金を言われたため,無料なのではとやり取りをしたところ,先方はダイブと聞き違えていた…などという面白エピソードを教えてくださったこともありました。バンジージャンプのような企画が開催中だったようです。

翌(2017年)7月22日(土)は,ハンモックベースカフェで長崎さん周さん田村さんの新ユニットGotta Gottaでした。

ハンモックベースカフェは,カリトマトやザッハトルテのために訪れたことがありましたが,Goota Gottaのライブもこの頃からかなりの頻度で訪れることになります。

そもそもカリトマトやザッハトルテが道央圏にも頻繁にいらっしゃるようになったのは,田村さんと都丸さんが親交を深められたことによるようで,ありがたいことです。田村さんがゲストの時のカリトマトのライブには,周さんも客席にいらっしゃっていたようです。

御三方とも動物の面を着けての入場でしたが,この時の周さんのダルブッカに,音楽や楽器の知識がなかった自分が繰り返し観たzabadakのライブ盤やライブ映像のaround the secretのイントロは,カホンでもなくジャンベでもなくダルブッカだったのだなと懐かしく思い出していました。トルコのものとアラブのものとの違いのお話など興味深かったです。

ウスクダラでは,日本では江利チエミさんがカバーしているというお話がありましたが,私の守備範囲ではムーンライダーズの1977年のアルバム『イスタンブールマンボ』でもカバーされています江利チエミさんがカバーされていることは,ムーンライダーズのメンバーもインタビューなどで語っておられました。武川雅寛さんがほぼメインヴォーカルを務めておられたのが印象に残っています。当然リアルタイムで聴いたわけではないのですが,ムーンライダーズのカバーからもこの時点で40年が経っているのでした。

 後半では,今回のジャンルの懐の広さを表すようにmy favorite thingなどもありましたが,あらさんと奥野さんでも聴きましたから,週に2度聴いたことになります。

翌(2017年)7月23日(日)は,ダイマで星さんソロでした。
RINKAのライブは少し間が空いていますし,この月の初めのりびあんのように私の方も機会を逃していたりして,ダイマも星さんも春から少しお久しぶりでした。
前年にソロアルバムをお出しになったことや,RINKAのライブが本数を絞るようになっていたことから,この頃から星さんのソロライブの機会が増えていたと思います。

私はライブ会場での食事はあまりしない方なのですが,ダイマの日曜夜のライブだけは必ずと言っていいくらい開演前にダイマライスと何か飲み物を頼んで夕食を摂るのが常でした(普段からすると早い時間の夕食となるため,帰宅後に小腹が空いて間食してしまうこともあった気がします。)。

ソロアルバムもお出しになって,ソロの時のライブの形ができてきていると感じて聴いていたところ,後半では覚えたてという曲も披露されていました。星さん曰くには,まあまあ事故もなくお披露目できてよかったとのことでありました。

小さいながらもマイクにスピーカーは珍しいなと思ったのですが,星さんによるとダイマデのソロの時はいつも使っているとのことでした。

客席には操さんもいらっしゃっていて,次回のRINKAのダイマライブも9月に決まったとのことで何よりでした。

翌週末の土日は某グループ関係のライブに行きましたが,ここに記すような2017年7月のライブ鑑賞は以上となります。

0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する