ネット炎上間近か
浄土真宗の講師菊谷隆のYouTubeから始まった
配信元の仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太が言うには
「養う側が大人であり、人との意見が間違っていても腹が立っても我慢できるのが大人」
「子供は餓鬼道のガキが語源で、我儘であり幾らでも欲しがるだけの存在である」と言い切る
そんな自分の自分の意見や正論を言えない大人など自分は軽蔑に値する、様々な偉人が正論をいい、殺され国を追い出された歴史をなんと説明する
納得いかないな、これが宗教家のいう事ではないだろ
自分は子供に教わる事も多く、素直さ純粋、無邪気な無心、掛け甲斐の無い信用こそ愛情という事を子供達は無償で教えてくれた、
養護施設などへ慰問など何度も言った、皆素直でい子ばかりだった、この世に無駄な存在は無く、「子供は我儘なだけな欲しがる存在ではない」といコメントをすると
すると菊谷隆太
旦那もガキの教えも、自己を見る鏡です。と返す
鏡ならばその時点で、人の役に立っているだろう、欲しがるだけの我儘な存在ではないと書くと、
浄土真宗の講師菊谷隆太そのコメントを削除、以下全てコメントなし、これが宗教家のやり事なのか
自分は再度同じ内容のコメント書きなおしたけどね
子供とは菊谷隆太のいうような「我儘なものを幾らでも欲しがるだけの存在」では無い、
そのような思想を広める宗教家などが居るから、幼児虐待は無くならないだろうし、アスペルガー、ダウン症、ADHA、障害のある人間の差別は無くならない
菊谷隆太は多分、大人と子供の違いを言いたかったのだろう、言葉のチョイスと表現が粗末になると全く違う教えに成る、
又、この世に大人の見本などいない、
宗教は皆を救うためにあるそこに、一方的に上下を作ってどうする、命は全てにおいて等しい
「子供は欲しがるだけ人に与えない存在ではない」という表現はそれにあたる大罪である
その後、映画のストリー等、菊谷隆太独自の解説が有るが、説得力欠ける解釈が続く、こ
のような宗教家が居る事は末法末期なのだろうか
問題の動画はこちら
その人の精神年齢はここに出る。大人とガキを見分ける方法 仏教に学ぶ幸福論 by 菊谷隆太
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