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2021年06月16日19:02

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空を見上げて。

まだ決めないのか。

玉木は2年先輩の田辺から声をかけられた。

東京の梅雨入りはいつにするんだ?

空ばかりを見上げる玉木は苦笑いしながら誤魔化すしかできなかった。

毎年局内で恒例となっている新人研修の一環の行事だ。
無作為に選ばれた気象局の新入公員がその地域の梅雨入りを発表する。
事例交付時に局長からそれを言い渡された時、気楽にやればいいと申し伝えられたのだが、もちろん額面通り受け取るわけにはいかなかった。

梅雨入り。一口に言ってしまえばたった四文字の言葉に過ぎない。そして地域ごとにばらつきがあり、明確な定義らしき定義も曖昧なままだ。初夏、夏の始まり、5月から7月にかけて雨や曇りの多い期間...などなど。
その影響においては通念的なものも多いが、特に農業においては田植えの目安とされ、その時期の見極めによっては雨の多い年においては農作物の出来高にも大きく影響される。
ということをいくつか調べてしまった。もはや後戻りできない。気楽にはできない。
世の中にはデリバティブ保険なるものもあり、天候による農作物の不良などによる保険も梅雨入りの時期に左右されるとかされないとか。果ては賭けの対象にもなるという噂も聞いた。
梅雨入りに時期の如何によって、どういう影響が出るのか見当もつかない。場合によっては死人が出るかもしれない。押しつぶされそうな錯覚に目眩が止まらなくなった。

過日になってのことだが、愛知県は5月の中旬に梅雨入りが宣言されている。
今はもう6月だ。
思えばあの時愛知だけではなく、関東にも梅雨前線と言っていい前線がかかり、1週間程度雨模様が続いた日があった。あの時梅雨入りをとも思ったが、例年よりずっと早い梅雨入りに世間はきっと戸惑うに違いないと思い止まってしまった。そのあとしばらく穏やかな天候が続いたため余計にあの時宣言を出しておけばと後悔したものだ。

デスクの電話が鳴った。
考え事をしながらだったこともあって、ナンバーディスプレイを確認せずに出てしまった。電話口の声はこう話した。
「いつになったら梅雨入りを出すんだ。もう8月だぞ!」

ハッとして目が覚めた。思わず上半身が起き上がった。夢を見ていたようだ。大丈夫。自宅のベッドの上だ。カレンダーを確認する。まだ6月の中旬だということを確認してまた横になる。
横になると、段々と苛立ちが募っていることに気が付いた。まるでそう、雨雲が水分を保ちきれずにいる飽和状態であるかのように。

翌朝、玉木は出勤と同時に天気図としばらく向かい合った。堰を切ったかのように上席や先輩に自分の意見を相談する。
なんかが吹っ切れたのか、きっと気分は大雨だ。
そうして何度かやりとりをする中で確信を得た気になろうとしている自分がいた。

やがて梅雨入り宣言を出した。愛知県の梅雨入りから約一ヶ月も経ってのことであった。

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