昔から、本気で理解できないのである。レトリックでもなんでもなく..
「セミラーミデ」(ロッシーニ、1823)への評価が、である。
たとえば、Wikipedia を引いてみる。
>保守的なヴェネツィアの聴衆の好みにあわせて、
>さらに母殺しの悲惨な結末を和らげるために、
>劇の最後を唐突に新王誕生の祝典的な合唱
>(アレグロ・ニ長調・4分の4拍子)で終わらせている点については、
>これを非難する論者も多い。
..なにを言っているのか、理解できない..
少し読み進めると、
>そして冷酷にも、霊廟の外では、アルサーチェを新王として歓迎する、
>事情も知らない民衆たちの陽気な合唱が響き渡るのであった。
これだろ、これ! だからこそ素晴らしいんじゃないか!
だからこそ、「劇的」なんじゃないか!
光の中でこそ、闇はいっそう暗い。
後景の輝かしい歓喜の合唱の中でこそ、前景の母殺しの悲劇が、
逆光の中で最高の(暗黒の)光芒を放つんじゃないか。
ロッシーニの見事な設計が、なぜ、理解できないのか。
200年間も..
大体、「カルメン」がそうだろう。
群衆の歓呼の中の、陰惨で悲劇的な結末。
それでもこちらは、最終和音に到る経過がいくらか短調を帯びているが、
私は、もっと思い切って明るい音楽ならなお良かったのに、と、
思っているぐらいなのである。
廃墟通信、更新しました。
http://www.kurata-wataru.com/ruin/ruinc12b.html
(今週号の目次は、
2021年02月08日:LPC2-T 予備機確保
2021年02月09日:カビダッシュが..
2021年02月10日:依存症ではないらしい [;^J^]
2021年02月11日:メディア経由の経路を確保
2021年02月12日:輪ゴムが切れた [;^.^]
2021年02月13日:怪物原稿 初稿アップ
2021年02月14日:幻想美術選「孤独な塔」サミュエル・パーマー
です。)
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