紀州の秘境 龍神と教会ー30
龍神に潜入した最後の落人は、幕末史に名を残す「天誅組」の残党であった。これについては後に記す。
奈良時代の人・役小角(えんのおずぬ)を開祖とする修験道の行者が踏破した険路である。それをたどり、人目を忍ぶ落人が隠れ里を求めた紀州の秘境。奥龍神の山地に立ち、山また山と重なり合う連山の起伏を見渡した時、この、地の不利が彼らを招き寄せたことが思いやられた。
また、この辺境の生活が貧しく厳しかっただけに、不幸な落人への温い思いやりが、里人にあったのだろう。
七、村人の必要を探して
●保育園
既に触れたように、教会敷地内に整備された広場が、運動場のある小学校からも遠い下柳瀬の人々にとって大きな喜びとなった。
子供たちは教会広場で野球の練習に熱中し、対抗試合の選手も下柳瀬の子供から出るようになる。明治二十二年の水害によって、主要道路に見離されて以来、この集落全体が辺境コンプレックスの下積みとなっていた。が、教会の運動場がコンプレックス解消に向け、最初のテコとなった。
また、外国人司祭の英語レッスンが人気を呼んだ。戦後間もなくで、英語を知っているということが、宝物のように見なされた時代である。一語の英単語にも子供たちは目を輝かせた。これが親の誇りにならないはずがない。
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