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2020年11月23日01:42

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11月に見た映画 寸評(4)

●『鬼滅の刃 無限列車編』(外崎春雄)
ついに私も『鬼滅の刃』を見てしまった。何でも公開からひと月で233億円稼ぎだしたとか。そりゃあ、一つのシネコンで一日42回上映という前代未聞の最多上映記録を作ったんだからそれくらい行くか。このまま行けば、歴代興行収入2位の『君の名は。』250.3億円は軽くひとっ跳びだし、1位の宮崎駿『千と千尋の神隠し』308億円超えも夢ではない。私もそれに貢献したことになるのな(笑)。まあ、どうせなんだかんだと来年の夏くらいまでは(一日一回上映でも)やっているだろうから、興行収入の記録も塗り替えるかもしれない。
映画『鬼滅の刃 無限列車編』のキモは何といっても煉󠄁獄杏寿郎というキャラクターである。実質上の主役であるといっていいだろう。本作の全体3分の2ほどは主人公の少年、竈門炭治郎(とその仲間たち)と夢を自由に操る鬼、魘夢(えんむ)との戦いに費やされている。ここの部分はTVアニメを見てきた人なら、列車という映画的な乗り物が出てくる面白さはあれど、まあ、いつもどおり普通に面白いだけだ(贅沢な)。この魘夢を倒して、ああ終わったのかと思うと、本当に唐突に、猗窩座(あかざ)という最強に近い鬼が現れ、主人公の炭治郎を差し置いて、煉󠄁獄杏寿郎と対決するという展開になる。それが残りのだいたい3分の1という構成だ。
この煉󠄁獄杏寿郎というキャラクターがきちんと描かれるのは、この劇場版が初めてだそうである。そう思うと、実はこの作品が初めから杏寿郎を描くためだけに周到に計算されて作られていたことがよくわかる。私たちが炭治郎の目を通して煉󠄁獄杏寿郎を見た第一印象は、一人で駅弁を食べながら「うまい」「うまい」と口に出して言い、人と喋るときも相手の顔を見ずに話す変人である。しかしこれも計算で、彼が夢から覚めてからは文字通り目覚ましい活躍ぶりで、「柱」としての実力を発揮して驚かせる。その実力とは、単に強いだけではない。リーダーとしての統率力――状況を即座に把握し、部下たちの性格や能力を見て、的確な指示を出す。人命を守ることが最優先であるとし、自分でスタンドプレイにはしることもない。戦いながらも、炭治郎の妹もしっかり見ていて、最後に「誰が何と言おうとも彼女は鬼殺隊の仲間だ」と嬉しいことを言ってくれたりもする。炭治郎たち部下を何よりも思いやり、猗窩座に弱い者だと言われても、論理的にきちんと庇ってくれたりもする。こうなってくると最初、炭治郎を見ずに会話していたのも周りに鬼がいつ現れないか監視していたともいえるし、馬鹿みたいに「うまい」とか言っていたのも裏表のない人間だという証になる。さらにそのとき炭治郎を奥の窓際に座らせたのも、自分がすぐに出やすい場所に居る必要があったからだと推察することもできる。つまり煉󠄁獄杏寿郎とは、人間というものはこうであってほしい、という理想が徹底して詰め込まられた完全無欠のスーパーヒーローだと言える。
それゆえに、その憧れの、理想の、スーパーヒーローが猗窩座との戦いで、片目を失い、身体を破壊され、どんどん敗北していく姿は炭治郎共々、観客も見ていられないはずだ。しかも巧妙なことに炭治郎が知らないことを観客は知っている。それは彼が本当は完全無欠のスーパーヒーローではない、ということである。先の魘夢のパートにあった杏寿郎の夢の場面。ここでは心を塞いだ父の言葉に傷ついた、我々と同じ弱い人間である煉󠄁獄杏寿郎の姿が描かれていた。だから、ひょっとしたら、いや99%あり得ないが、残りの1%、猗窩座の「鬼になって最強にならないか」という誘いに負けるかもしれない杏寿郎を思い浮かべる。
実は理想のヒーローはあくまで理想であって、それは現実ではない。猗窩座が強いのは鬼だからである、というのは(『鬼滅の刃』という作品の中で)絶対に動かせない現実だ。鬼は人間の能力を超越しているわけだから。実際、どんなに杏寿郎が猗窩座を斬っても、すぐに復活するので、杏寿郎は勝つことができない。杏寿郎は「お前とは考え方が違う」と言っているが、強くなるために鬼になるということは、実は説得力がある。猗窩座の誘いを断ることはひょっとすれば間違っている=ただの理想かもしれないのだ。そしてそこが覆されれば杏寿郎の思っている正しいこと(弱き人を助けることは強く生まれた者の責務など)も、すべて理想にすぎないということになる。だからこの物語のロジックでは、なにがなんでも煉󠄁獄杏寿郎は猗窩座に勝ってもらわなければならないのである。この作品が単純な「善と悪の対決」に止まらないのはこういう仕掛けがあるからだ。
そして勝敗の行方は…映画を見た人ならご存じのように煉󠄁獄杏寿郎は死ぬ。それは悲しいことではあるが、そのこと自体が感動的なのではない。感動的なのは杏寿郎の理想が敗れそうで敗れなかったことである。猗窩座は、確かに鬼であるが故に杏寿郎に勝ったが、同時に鬼であるが故に陽の光から逃れなければならなかった。そのため自分が弱いとバカにした炭治郎に一太刀浴びせられる隙が生まれた。鬼が人間より強いという動かしようのなかった現実に、そこで初めてヒビが入る。どれだけ人間の能力を凌駕し強かろうとも、お天道様の下を堂々と歩けないようでは真に強い存在とは言えない。杏寿郎が鬼になるのを拒む選択をしたのは正しかったとはっきり証明されたのだ。炭治郎は逃げる猗窩座に向かって叫ぶ。「卑怯者!」と。感動的なのはその瞬間である。理想は守られ、そちらが現実となったのである。
確かにこの作品は大ヒットしてもおかしくないほどの魅力を持っている。
<TOHOシネマズ鳳 スクリーン1 M−6にて鑑賞>

●『薬の神じゃない!』(ウェン・ムーイエ)
中国の医療制度を一人の男が動かした実話「陸勇事件(=ニセ薬事件のほうがわかりやすい)」に基づく、貧しい庶民視点の人情エンターティンメント。
人生どん底のダメ男チョン・ヨン(シュー・ジェン)が、国内で認可されていないインド製の白血病治療薬を輸入すれば大儲けできることを知り、実行に移したところ大当たり。この背景には国が認めたスイス製の治療薬は高額すぎて貧乏人には買えず、ただ死を待つのみだったのを、チョンが同じ効能のインド製ジェネリック薬を安く売って救った、という事情があった。当然ながらスイスの製薬会社は商売が邪魔され、中国の警察にチョンの薬を「ニセ薬」として取り締まるよう圧力をかける。逮捕を恐れたチョンは密輸販売から手をひき、手堅い縫製工場の経営を始めるが、自分が手を引いたことでジェネリック薬が出回らなくなり、病状を悪化させたかつての仲間が自殺してしまう。それを知ったチョンは、今度は儲けを度外視して、ジェネリック薬の密輸販売に全力を注ぐようになる…という筋立て。
最初は冴えないダメ男だったのが、自分が金目当てで始めたことが人を救っていると知って人間的に成長し、最終的には姿形も含め、立派な人物になるという王道を行く物語である。集まってくる白血病関係の仲間も、冴えないメガネ男、くたびれたポールダンサーの女、茶髪の田舎青年、カタブツの神父などいいメンツで、それをイイ顔の俳優を揃えて演じさせている。このあたり、ちょっとイギリスの再起奮闘映画『フル・モンティ』あたりの雰囲気も思わせる。また追いかける警察の側にもチョンの義理の弟というキャラクターを配置し、チョンとの会話のやり取りでバレないかとスリルを煽る一方、逮捕した白血病患者たちの悲痛な訴えに情がほだされるという描き方もしていて、抜かりはない。
伏線の張り方も巧みで、最後の集まった人たちが次々マスクをはずしていくところなど、見事に伏線がキマって、ボロ泣きしてしまった。ベタといえば、ベタ。けど巧いと言えば、巧い。今年見た韓国映画『マルモイ ことばあつめ』もそうだったが、こういう王道パターンの庶民映画が今、日本でほとんど作られていないのが残念だ(『半沢直樹』が一応そうだが、あれは映画じゃないし)。
<シネリーブル梅田 劇場3 F−4にて鑑賞>
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