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2020年11月22日20:21

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須賀敦子のエッセイ

須賀敦子というエッセイストが1998年に亡くなったのですが、この人のエッセイはその構成も文章そのものも、本当に見事です。パリやローマに留学して、イタリア人と結婚してミラノでカトリック系の書店をやったり日本文学の翻訳をやったりしていました。イタリアでは夫と一緒に、カトリック左派の運動をやっていたようです。敦子さんは夫の死後、日本に帰って、何冊かのエッセイ集を書き、上智大学で教えたりもしました。私は生前の作品ー「ミラノ 霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエステの坂道」「ユルスナールの靴」ーは全部読み、その後の作品は「遠い朝の本たち」など読みました。文章の見事なことにひかれたのであって、特にイタリアに興味があったわけではありませんが、改めてイタリアが直面した問題を、日本の自分たちが直面してきたことと引き比べて考えさせられたりしました。今読んでいる「地図のない道」の「ゲットの広場」というエッセイでは、ユダヤ人評論家のデベネデッティの「1943年、10月16日」という本について書いています。1943年10月16日というのは、ローマのゲットからユダヤ人がナチに連行された日なのです。須賀は、1991年にローマに滞在したときに、「ゲットのレストラン」にいって「ユダヤ料理」を食べた時のことや、カトリックの教皇パオロ4世によるゲット地区のユダヤ人監視、ユダヤ人一家がかくまわれた2メートル×2メートルの部屋のことなど書いているのですが、デベネデッティの文章について「この迫害の記録が、政治批判のレベルや個人的な創作の基準を超えて、まずしいローマのユダヤ人をおそった悪夢のような不幸を悼む、無名の人びとの悲しみの合唱となっている事実にあって、そのことが読むものに深い余韻を残す」としているところに注目させられました。「読むものに深い余韻を残す」そんな文章に少しでも近づきたいと切実に思います。
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