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2020年10月14日08:04

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キリシタン紀行 森本季子ー256 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー114

アルメイダが天草鎮尚(しげひさ)に提示した五ヶ条、というのがある。
・領内での布教を許可すること
・教えの是非を知るため、領主自身が説教を聞くこと
・教えを是と判断したなら、領主の子息を入信させること
・領内に教会設置の土地を提供すること
・領民のキリシタン入門を許可すること
 これは、アルメイダが彼を招いた他の領主たちにも求めた条件であった。
 鎮尚がこれを容れたのも〈人々と談話していて、その心を摑むことに不思議なまでの才能を有していた〉アルメイダに、打算抜きで、好感をもったからであろう。
 彼はイエズス会の修道士として、ずっと布教に従事していた。が、天正八年(一五八〇)司祭となるため、マカオに派遣された。翌年には司祭となり、天草地区の院長に任命され、河内浦に帰ってきた。鎮尚の死の前年であった。
 これまでは、他の長上の下にあって活動してきたアルメイダは、今後、天草地区全域の責任者として、最後の数年を河内浦、一町田の司祭館(レジデンシア)で過ごすのである。この間、長崎の宣教会議にも天草の代表として出席している。
 生来の病弱に加えて、この時期には、長年の困苦、無理な旅行の結果、アルメイダは体力を消耗し尽していた。
 だが、彼にとって、この天草での晩年は心満ちたものであり、河内浦こそ埋骨の地、と心に定めていた様子である。貧しいこと、苦しむこと、愛することは彼の第二の天性となっていた。
 日本で過した労苦に満ちた三十年。彼はそれを懐かしさと喜びをもって回想したであろう。これまで縁遠い存在のように思っていたルイス・デ・アルメイダが、急に身近な人となって大きく心に迫るのを感じた。

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