https://gendai.ismedia.jp/articles/-/77021?imp=0
日本のみなさんへ オードリー・タン
自由には2種類あると、私は思っています。
ひとつは、ネガティブ・フリーダム。
もうひとつは、ポジティブ・フリーダム。
オードリー・タン。
新型コロナウィルスが蔓延する台湾で、マスク在庫がリアルタイムで確認できるアプリ「マスクマップ」を開発し、その対応が絶賛されたことで名前を知った人も多いことだろう。
彼女(ここでは便宜的にそう呼ばせていただく)は2016年、35歳という若さで蔡英文政権に入閣、デジタル担当政務委員(大臣)に就任。
そんな彼女が語った、このデジタル時代に「自由になる」ということ、貴重なインタビューを『オードリー・タン 自由への手紙』より全14回でお届けします。
「ネガティブ・フリーダム」とは、既存のルールや常識、これまでとらわれていたことから解放され、自由になること。「個人として何かから自由になること」と言ってもいいでしょう。
ネガティブといっても否定的な意味ではありません。いわば消極的な自由であり、これが自由への第一歩です。
そして「ポジティブ・フリーダム」とは、自分だけでなく他の人も解放し、自由にしてあげること。
みんなが自由になるにはどうすればいいのか、具体的なToDoを考えること。自分の可能性を力に変え、その力を誰かのために役立てることです。
「本当に自由な人って、どんな人ですか?」と聞かれたなら、私は「ポジティブ・フリーダムを体現している人」と答えます。
自分が変えたいと思っていることを、変えられる人。
自分が起こしたいと思っている変化を起こせる人。
それこそ、自由な人です。
ネガティブ・フリーダムを願い、手に入れたのなら、ポジティブ・フリーダムまで歩をすすめてはどうでしょう。自分が自由になるだけでなく、みんながみんなを自由にするために行動を起こせたら、すごいことです。自由をお互いにシェアしよう――それが私からの最初のアドバイスです。
「権威のAI」に自由を奪われてはいけない
日本や台湾は世界の中では恵まれている国です。いろいろな運命を自らつくっていける自由があります。ただ、本当に重要なのは、その自由のサステナビリティ(持続性)だと思います。
さまざまなAI(Artificial Intelligence:人工的な知能)をつくり出す自由は素晴らしいものですが、それが権威のAI(Authoritarian Intelligence:権威主義的な知能)になったとしたら、自由は持続性を失います。
今の世界は「権威のAI」や、個人情報を収集してビッグデータを分析する「監視資本主義」が幅を利かせていますが、私たちはその間の道を見つけなければなりません。
私がスマホを使わない理由
権威をもつのは組織や人だけではありません。テクノロジーもまた、権威をもち、私たちの自由を損なう場合があります。
そこで私は二つ折りの電話を使っています。“ガラケー”に見えますが、スネークのようなゲームもできるし、検索もできるし、自分好みのアプリを入れることもできるし、プログラミングも可能。
ただし、オープンソースのフリーソフトウェアで稼働しているので、誰かに与えられたコンフィギュレーション(設定)ではない。自分で自由に設定できるものです。
私の電話にできないことは、指でスクロールすることだけ。モードを変更しない限り、スマホのようなタッチパネルにはなりません。
私がタッチペンやキーボードがあるPCを主に使うのは、テクノロジーの支配から自由になるためです。指ですぐに操作できるとなると、常にスマホをスクロールしてしまいます。しまいには依存症になってしまうでしょう。
私は「アンチ・ソーシャルメディア」を標榜していますが、指だけで簡単に操作できないように自分で設定した電話を使うことで、SNSに過剰に注意を払わずにすんでいます。テクノロジーとはあくまで、人間のお手伝いをしてくれるもの。テクノロジーの奴隷になるのはおかしな話です。
必要なのは支援のAI
私たちがつくり、未来に役立てていくべきなのは、たんなるAIではなく、ましてや権威のAIでもなく、支援のAI(Assistive Intelligence)です。
支援のAIは、障がい者や高齢者、マイノリティの補助役として期待されているテクノロジーですが、もっと幅広いものだと私は考えています。
支援のAIは、人間の尊厳を守り、強化してくれるものですが、人間だけでなく、あらゆるものの尊厳を守り、助けてくれます。
海と空を、森と大地を、自然の尊厳も守ってくれるのが支援のAIです。
日本には大昔から「あらゆるものに魂が宿る」という考え方がありますね。それは台湾も同じですが、日本はさらに『ドラえもん』を生み出したほど、テクノロジーに親しみがある国です。ロボットと言えば『ターミネーター』のような敵をイメージする欧米とは異なります。
自然を尊重し、親しみのあるロボットを考えられるのが、日本の特徴です。人間だけでなく、「人間を中心とした文化」を支援する、そんな支援のAIに近い国ではないでしょうか。
お互いの「弱さ」を認め合う
支援は、障がいがある人や、マイノリティだけに必要なものではありませんし、そもそも私たちは誰もがマイノリティです。みんなかたちが違うだけで、それぞれに弱さを抱えた人間であり、その弱さを共有することが大切です。
そこで鍵を握るのが共感ですが、デジタルテクノロジーによって、以前よりもより深いレベルで他者に共感できるようになったのではないでしょうか。
たとえば私は先日、イマーシブテクノロジー(没入型技術)で、「難民として台湾にやってきた外国人」として働きました。
映画というのは観客として誰かの人生を「眺める」ことですが、イマーシブテクノロジーでは、バーチャルな空間で他人の人生を「生きる」ことができます。外国人労働者を眺めるのではなく、体験できるということです。
テクノロジーの力でさまざまな体験をする。そこから共感が育まれれば、お互いの弱さを認めて、助けあえる世界になっていくでしょう。
ログインしてコメントを確認・投稿する