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2020年09月15日18:25

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山崎今朝弥・・・

 今日は何を書こうかと考えていましたが、どうも適当な題材がありません。
 午前中、頼まれている委員会に出て、2時間以上議論して来ました。
 面白いテーマなのですが、事の性質上ここに書く訳には行きません。
 何が良いかと探していて、今日9月15日が山崎今朝弥の誕生日だと知り、
 面白い人物なので、前に書いた文章をもとに書く事にしました。

 山崎今朝弥は、1877年(明治10年)9月15日に生まれ、
 1954年(昭和29年)7月29日に亡くなった弁護士です。
 布施辰治などと共に、自由法曹団を結成し、社会主義関係の弁護を多数手がけました。
 自らを「米国伯爵」と名乗るなど多くの奇行で知られた人物です。
 最もよくその変人ぶりが分かるのが、「弁護士名鑑」に載せた自伝履歴書ですので、
 その全文を載せておきます。

 君姓は山崎、名は今朝弥、明治十年逆賊西郷隆盛の兵を西南に挙ぐるや、
 君之に応じて直ちに信州諏訪に生まる。
 明科を距る僅かに八里、
 実に清和源氏第百八代の孫なり。
 幼にして既に神童、餓鬼大将より腕白太政大臣に累進し、大に世に憚らる。
 人民と伍して芋を掘り、車を押し、辛酸を嘗め尽くす。
 傍ら経済の学を明治大学に修め、大に得る処あり。
 天下嘱望す。
 不幸、中途試験に合格し官吏となる。
 久しく海外に遊び、ベースメント・ユニバーシチーを出で、
 欧米各国法学博士に任ぜられ、特に米国伯爵を授けらる。
 誠に稀代の豪傑たり。
 明治四十年春二月、勢ひに乗じて錦衣帰朝、
 一躍直ちに天下の平弁護士となる。
 君資性豪放細心、頗る理財に富み、財産合計百万弗と号す。
 即ち、業を東京に興し、忽ち田舎に逃亡し、
 転戦三年、甲信を従へ、各地を荒らし、
 再び東京に凱旋し、爾来頻りに振るはず、
 天下泰平会、帝国言訳商会、私立天理裁判所、
 軽便代議士顧問部、各種演説引受所等は、
 皆君の発明経営する所なり。

 文中、明科と言う地名が出て来ますが、
 明治天皇暗殺を計画したとされる大逆事件で、
 死刑となった宮下太吉が爆裂弾を作ったとされる場所です。
 ベースメント・ユニバーシチーは、堺利彦の注釈によると、
 アメリカの地下室で皿洗いなどをしながら苦学した事を指すそうです。

 この履歴書の通り数々の奇行の主でもあり、
 1907年(明治40年)に東京で弁護士を開業した時の広告には、
 「公事(クジ)訴訟は弁護士の喰物
  東京米国大使館前 弁護士・米博士 山崎今朝弥
  電話赤局八○○番 弁護士頼むな公事するな」と出して、物議を醸し、
 甲府に移転せざるを得なくなったとの事です。
 電話番号は真っ赤な嘘八百をもじったものだと思います。

 山崎今朝弥を知る方も少ないかと思います。
 僕は、このような奇人変人が大好きです。


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