起きたら夕方。そんな休日の目覚めは、嬉しくも悲しい。
何も予定のない幸せと、誰にも求められていない寂しさのせめぎあい。
今日の勝者は少し寂しい君だったが、目覚めとともに思い出す夢が
なかなか楽しかったのだから、イーブンだ。夢の中で
物語あったもん。どこにも出かけなくても経験した感あったもん。
って消化。
それもこれも先日買ったゲームが楽しかったから遅くまでやり過ぎたって
だけで、少なくともやりたい事の連続の結果(寝ることも)である。
ってことはやりたい事を連続ですると寂しくなるって奇妙な方程式が完成した。
これは一大事だ。自由に生きるとは、寂しい連続を産むわけだ。
確かにそうだ。自分の人生を振り返り、そう思う。ではどうだろう?
何か別の力に支配され、自我に気付く暇なく生きることは寂しくはないのか?
答えはそれもたま寂しいだろう。正確に言えば、そこに気付く暇なく
過ごすことが出来れば、寂しく(感じること)はない。
例えば子育てとかそんな期間になりがちなんだと思う。
株の方は難しい局面で、僕にとっての子である。
勝手に稼いでくる出来る子だが、たまに急に機嫌が悪くなるようで
目が離せない。とか言ってみたものの目は離せる。「目が離せない」とか
言いたい!!って結構僕の気分がバカになってる気がする。
株と言えば今日すかいらーくの優待券が届いた。
すかいらーくなんて行きたくないけど、僕の引きこもり生活を少しでも
解消するための外食系優待券で、僕の子(株)はこうして親である僕を勇気づけて
くれる。
そういえば、少し前に職場に子猫が現れた。これは神の思し召し?
思ったけど、すばやく他の職員がもらっていった。これが神の思し召し
なのだと思うのと、幸せは求めた人にしか訪れない方程式とともに
感じる。僕の子は株のみであるが、それが僕の現在地点に他ならない。
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