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2020年08月29日20:31

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「死後」を考える

73歳になって、肝臓がんの疑いまで掛けられる(検査の結果、がんではなかったが)ようになると、自然に「死」や「死後」について考えずにいられない。両親はずっと前に亡くなり、今度は間違いなく私自身が呼び出されるわけだから。
映画というものは今はどうか知らないが、昔はフィルムに焼き付けた映像を銀幕に映写した。元にあるものは、実際の人間の演技だった。私は、現生の肉体を持った人生を銀幕に映し出された映像と考え、その元になる実態のような存在が本来の人間であると考えることにした。人間は死んで「あの世」に行くわけではない。死ぬということは、銀幕に映った映像が消えることだ。死んだ人間の世界とは、映像ではない「本来の人間の実体」の世界であるというように考えている。そして「この世」での経験の中で自分の心(魂、精神)に刻み込んだものは、死によって消えるのではなく、死後の生活にもっていかなければならない。
私はキリスト教の洗礼を受けてはいるが、今はどの教会にも宗教にもかかわっていない。しかし科学や哲学の領域をはみ出すところで「死」や「死後」を考えるときには、聖書を手掛かりにしている。今年12月には74歳。聖書の内面の意味の探求を進めたいと思っている。
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