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2020年06月28日00:14

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お祖父ちゃんありがとう!

かつてない逆風 はんこ店の今
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6135914

文具店にも3文印売ってるから、ハンコ専門店って掘ったりして高価なのを売ってるところよね?アタシ、実は生まれて一度も足を踏み入れたことがないわ。銀行口座だって3文印で作れなかったっけ?それとも、兄弟の誰かが昔使ってて要らなくなったのを貰ったのだったかしら?

それにしてもさ、判子屋、今更逆風といわれてもねぇ、としか思えない。実はアタシのお祖父ちゃん、昔は判子屋だったらしい。父親の父親なんだけど、アタシが生まれる前に亡くなってるので知らないのだけど、アタシが子供のころお父ちゃんがよく言ってた話によると、関東大震災の後東京へ行ったら、電球が飛ぶように売れてる、これや!と思い、子供が産まれたばっかのお祖父ちゃんは、判子屋廃業して電器屋はじめたのよ。それが大正12年か13年、1923~24年の話で。伊勢で一番古い電器屋で戦前〜終戦直後までたった一軒の電器屋だったらしい。なので、終戦直後も、銅線や電球欲しい人が食べ物持って来たので買い出しに行ったりせずにもひもじい思いはしなかったらしい。

いや、ホント、お祖父ちゃんありがとうよね。もしあのまま判子屋やってたら、アタシなんて大学も行かせてもらえなかったかもしれない。家なんて子供5人みんな私立大学、その内3人は私立高校、公立高校行った二人の内、1人は私立医学部、もう一人はアメリカでアイビーリーグ大学、なんてチョー教育費使った一家だけど、日本が高度成長で電気製品を買い替えていった時代にあった電器屋だったからできたこと。あれが、判子屋だったら、絶対できないことだわよね。判子屋だったら、5人も子供作ろうと思わないからアタシなんて生まれてなかったかもしれない。実は、電器屋でも、5人は多いのでアタシが身ごもってる時に中絶しようかと占い師に相談に行った、ってお母ちゃんは言ってたわ。でも占い師さんにこの子は偉くなるから産みなさいって言われたんだって。って偉くはならなかったけどさ(まだわからない、と60超えて思ってる楽天家ではあるが)ウインク

なので、この1951年創業の判子屋三代目、団塊の世代でなにやってる?と思うわ。もっと今まで辞める機会はあったのでは?アタシの兄が1950年生まれなので生きてたら70歳だけど、葬式の時に会った大学の時の同級生の方が、実家の京都の鉄工所を大学出た時に継いだけど、30の時に、赤字の中から従業員に給料払いながら「これではやってけん」と思ってお父さんに話して鉄工所たたんでホテルにしたんだってさ。立地は京都駅近く東寺のすぐ前、というところ。それでコロナ前までは大繁盛らしく、お葬式に京都からフェラーリ乗って来てたわよ。

やっぱり「家業でも先が見えないと思ったら、辞めて新しいこと始めるが肝心」ってとこよね。辛抱強くやっていこう、なんてのは先細り産業ではダメだと思う。しかもこのお店、熊本?うーん、ギリギリ政令指定都市に入ってるけど、やっぱり地方都市、難しくね?これが東京だったら、バブルの時に潰してマンション立てる、って機会もあっただろうけど、熊本だったらどうだったのかしらね?田舎だと新しく始める商売もめどが立たないから、先細りでも「辞めて新しい事業を」ってなるインセンティブが少ないのかしら?
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