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2020年06月13日07:07

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キリシタン紀行 森本季子ー145 聖母の騎士社刊

天草・歴史の幻影ー9

一、本渡城跡公園(殉教公園)

●殉教千人塚とキリシタン墓地
 本渡市内の殉教公園を訪れたのは、翌八日の午前である。「殉教公園」と呼ばれているが、殉教地ではない。
 天草にキリスト教が、西欧文化の象徴として歓迎された時期があった。永禄九年から慶長元年(1566〜1596)頃までの三十年間に数万と言われる入信者があった。本渡の城山は、もと、河内浦・天草氏が享禄年間(1530年代)に築城した場所である。その頃の天草氏は熱心なキリシタンで、本戸(現本渡市)城下は宣教師の居住地として河内浦と共に下島伝道の拠点となっていた。
 やがて禁教、鎖国の長い時代となり、キリシタンにとっては殉教と隠れの生活が二百六十年も続くこととなる。そして、明治、大正、昭和へと歴史は目まぐるしく回転した。かって弾圧され「耶蘇の邪教」として忌み嫌われたキリシタンの遺物、遺跡が各地で観光資源として脚光を浴びることになった。

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