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2020年03月20日22:06

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゚Д゚) < Babul (今日、父の家を旅立ちましょう / 1950年ヒンディー語映画版)

大阪-兵庫 自粛要請に影響深刻
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=6016551

 昔、阪神淡路で高速道路や線路が寸断された時は、一般道で大阪入ると大渋滞でほぼ交通網が機能してなかった時もあったなあ…。もちろん、あの時だって移動方法は色々あっただろうけど、大阪を通れなくなると色々と面倒なのは確かよね…。

 …ハッ!! だから神話上でも、淡路〜難波津あたりは重要なところとして出てくるのかっっっ!! 神武といい応神といい東征中に妨害されたのもこの辺だし、古代から大阪-兵庫間は壁があったってことだな!! 偉い人たちが、ここを閉じようとするからには、また西から誰か特別な存在がだれかとの結婚目的で婿入りに来てるかもしれないぞっと、唐突に思いつく神話好き。あ、全然関係ないですかそうですか。母方の田舎があった関係で、土地勘はそんななくとも愛着はあるヒョーゴスラビア連邦の皆様、ガンバレー!わーい(嬉しい顔)



Babul (今日、父の家を旅立ちましょう / 1950年ヒンディー語映画版) 1950年 131分(142分とも)
主演 ナルギス & ディリップ・クマール & ムンナワール・スルターナー
監督 S・U・サニー
"あの嫁入り行列が出て行っちゃえば、新しい私の嫁入り行列がくるのよ"

https://www.youtube.com/watch?v=z6Hu91wFlf8

 大学卒業後就職できないまま毎日劇場通いしていたアショクは、父の友人の紹介でマドゥーバン(アッサム州ジョールハート市の一区画)の郵便局長の仕事を紹介される。

 早速マドゥーバンに赴くアショクは、前郵便局長とその娘ベーラから仕事を引き継ぎ、父娘と仲良くなっていく中でベーラの方も彼を思い始めていく。
 そんな中、村でも有名なわがままなお嬢様ウーシャと一悶着起こすアショクだったが、なんと彼女は仕事を紹介してくれた父の友人の大地主の娘。そのウーシャの誕生日パーティーに招待されたアショクは、そこで彼女の婚約者はじめ招待客を驚かす歌声を披露しウーシャから歌を教えて欲しいと懇願される。
 その後もベーラとの楽しい日々を過ごすアショクだったが、大豪邸にて芸術を嗜むウーシャと共に音楽に耽溺する時間が長くなって行くと、それを側で見ているしかない状態のベーラは…。


挿入歌 Dhadka Mera Dil (青春は私を不安にさせる)

https://www.youtube.com/watch?v=JJ5rhAKkhTA


わーい(嬉しい顔) タイトルは、ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語)で「父の家」。
 劇中で歌われる挿入歌に象徴されるように、新婦側から見た婚家に対しての実家の意(にかけて、さらに多重な意味が込められている)。

 1950年に大ヒットしたロマンス映画の傑作。英語タイトル「Father's House」の他、ギリシャ語吹替版「I agapi mas den tha svisi pote(私たちの愛は消えず)」も公開されたよう。

 男1女2の三角関係が織りなす大仰な古典的ラブロマンス劇ながら、微妙に直球を避けた構成で話が進んでいき、ステレオタイプな恋愛劇から一転するラスト近辺の急展開に「えええええええ!!!!!」と衝撃が走る映画。
 主人公アショクも含め、ヒロイン2人も父親との2人暮らしで母親不在(&兄弟姉妹も登場しない)と言う家族構成が共通するのも、タイトルとテーマを浮き彫りにする感…じ?

 歌や演劇、絵画などの芸術をたしなむ文化人アショクを狂言回しに、そんな都会出身の男を取り合う貧しくも率直なおてんば娘(死語?)ベーラーと、村唯一の文化人であるがゆえに孤立気味のお嬢様ウーシャとの恋の駆け引きと対立が話の主軸で、セット撮影の山岳農村地域の様式化された牧歌的風景がより説話的絵本を見ているかのような画面作りを強調する。
 まあ、郵便局の仕事が、前局長とアショク、時々手伝いに来るベーラの3人だけで回してる小規模さもビックリだし(その割に全然忙しそうじゃないしぃ)、宮殿かと思わせる彫刻や絵画で占められるウーシャの個室の荘厳さもスゴい。ザミンダール(荘園主)って言ってたように思うけど、インド映画でよく出てくる荘園主ってのはどんだけ金持ちだったのよー!!(そして、貧しいながら安定職のように描かれる劇中の郵便局長の仕事が、どんくらいの社会的地位にあるのかも知りたいぞー)

 クレジットで最初に出てくるベーラ役のナルギス(生誕名ファティマ・ラシード)は、1929年英領インドのベンガル州カルカッタ(現 西ベンガル州コルカタ)生まれ(またはパンジャーブ州ラーワルピンディー生まれとも)。
 父親は元モフヤール(ムヒヤール、ミーアールなどとも。パンジャーブ系民族集団の1つ)・ブラーミンでイスラーム教に改宗したアブドゥル・ラシード(生誕名モーハンチャンド・ウッタムチャンド)。母親は高名なインド古典音楽家兼ダンサー兼女優兼映画監督のジャッダンバーイ・フセインになる。異父兄に、男優アンワル・フセイン、アクタール・フセインがいる。
 家族でパンジャーブ地方のイラーハーバード(現ウッタル・プラデーシュ州所属。別名プラヤーガラージ)に移住したのち、5才(または6才)で母親を通じて1935年のヒンディー語映画「Talashe Haq」に"ベイビー・ナルギス(ペルシャ語で水仙の意)"の芸名で子役デビューし、43年の「Taqdeer(運命)」で主役デビュー。以降、ナルギスの芸名で40年代後半〜60年代のスター女優として大活躍する。58年の「Mother India(マザー・インディア)」でフィルムフェア主演女優賞とチェコのカルロヴィ・ヴァリ国際映画祭主演女優賞を獲得。同年にはインド映画女優としては初めてパドマ・シュリー(インド政府から一般国民に与えられる第4等国家栄典)を授与される。
 長年、共演の多い既婚者ラージ・カプールとの仲を取り沙汰されながら、58年に「Mother India」で共演した男優スニール・ダットと結婚。68年には前年公開作「Raat Aur Din(夜と昼と)」でナショナル・フィルム・アワード主演女優賞を獲得するも、この年に公開された「Tosa oneira stous dromous(道端で見る夢は)」でギリシャ語映画デビューすると共にこの映画を最後に女優引退する。その後は夫スニールと共に慈善事業や慰安訪問劇団などの活動を続けていたものの、80年に膵臓癌である事が告知され翌年に病死する(一説に免疫低下のための尿路感染症が死因とも。その死は、息子サンジャイ・ダットの映画デビュー作公開の4日前だった)。享年51歳。その死の1年後、夫スニールによってナルギス ・ダット記念癌財団が設立されている。

 もう1人のヒロイン ウーシャを演じたのは、1924年英領インドのラホール(現パキスタンのパンジャーブ州都)のパンジャーブ系イスラーム教徒の家に生まれたムンナワール・スルターナー。父親はラジオアナウンサーをしていたと言う。
 元々は医者を志望していたといわれるが、41年の「Khazanchi」の挿入歌シーンで"アーシャ"の芸名で端役出演して映画デビュー。45年に俳優兼映画監督マザール・カーンに見出されて映画出演の契約を交わしてボンベイ(現マハラーシュトラ州ムンバイ)に移住し、その年に公開されたマザール・カーン監督作「Pehli Nazar」で正式に女優デビューする。その後は、女優兼歌手としてヒンディー語映画界で活躍。一時は大女優スライヤーやナルギスと並び称されるほどの人気を得ていく。
 50年代に入って出演数が減って行く中、56年の「Jallad」を持って女優引退。翌57年のパキスタン映画「Bedari」を最後に歌手引退する。66年に家具ビジネスマンの夫を亡くして4男3女を育てたのち、8年間アルツハイマーに苦しめられた末の07年に物故される。享年82歳。

 2人のヒロインの恋のお相手アショクを演じるのは、1922年英領インドの北西開発州ペシャーワル(現パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州都)のヒンドコワン(ヒンドコ語を母語とする民族集団)系アワン族の家に生まれたディリップ・クマール(生誕名ムハンマド・ユースフ・カーン)。
 父親は果樹園主兼果物商人。のちに共に映画スターとなるラージ・カプールとは近所同士の幼馴染だったと言う。
 40年に父親に反発して家出して、英語力を生かしてプーナ(現マハラーシュトラ州プネー)の食器販売員の仕事や陸軍クラブ内のサンドイッチ屋台を経営。家業の手助けするためのベンチャー企業設立の資金を貯めて行く中で映画会社ボンベイ・トーキーズの脚本・台本制作の仕事を得る。ここで男優アショク・クマールと知り合って演技に興味を持ち、女優兼ボンベイ・トーキーズのオーナーであるデーヴィカー・ラーニーから"ディリップ・クマール"の芸名を与えられ、44年の「Jwar Bhata」で主役級デビューする。
 当初はヒット作に恵まれなかったものの、47年の「Jugnu(蛍)」のヒットで注目され、49年の「Andaz」でナルギスやラージ・カプールと共演してトップスターの仲間入りを果たして50〜90年代にかけて大活躍。
 52年の「Daag(汚濁)」でフィルムフェア主演男優賞を獲得したのを皮切りに、フィルムフェアだけで10回の主演男優賞を獲得し続け、インド俳優の中での最多映画賞受賞者としてのギネス記録を保持している。80年にはムンバイ・シェリフ(1年限定の特別外交官市民代表の名誉職)に任命され、91年にはパドマ・ブーシャン(インド政府から一般国民に与えられる第3等国家栄典)を授与された他、98年にパキスタンからニシャン=イ=イムティアーズ(最高権威のパキスタンの国家栄典)を授与され、15年にはパドマ・ヴィブーシャン(インド政府から一般国民に与えられる第2等国家栄典)が贈られている。

 薄幸ヒロインが似合いそうな顔のナルギスが、お茶目妹系ヒロイン演じてる所に最初は「ええ〜?」とか思ってしまったワタスですが、見てる間にどんどん魅力的に見えてきてしまう映画マジック。そのナルギス演じるベーラから恋の相談されて「私の大事な人を奪ったのは貴方よ!」と言われてショック受けてすぐ身を引くお嬢様ウーシャが「あれ? 実は話のわかるいい人なの?」って感じなのも意外(角度によって、今のプリヤンカ・チョープラを彷彿とさせるような眼力!)。
 そこから始まる見合い結婚をめぐる父親と娘との対立が、強制的に父権優勢のまま進む悲しさも重要モチーフながら、それを喜ぶベーラの愛に狂う姿・その報復を受ける運命の儚さもまたトンでもね。平凡なラブロマンス劇が、ラストに向かって狂気をはらんだ誰も幸せにならない展開に落としこまれる物語展開の恐ろしさよ。
 そんな恋愛劇の中にあって、ミュージカルとはまた違う不穏な心象風景として数カ所挟まれる、ゲーテの「魔王」を彷彿とさせるようなシュールレアリズム的映像も見所の1つ。芸術を志すアショクやウーシャ、それに影響されるベーラといった若さにまかせた思い込みの強さを表現するかのようなアーティスティックな絵作りは、この映画特有のものかこの時代故のものか。インド映画でそんなん見たのは…他にあったっけなあ?

 ああ、それにつけても適当に仕事かたずけてしまえば、絵を書いたり歌歌ってたりして過ごせるような生活してみたい。そんな仕事を紹介してれるザミンダールの知り合いがほしいよー!!(ダメ人間発言)


挿入歌 Chhod Babul Ka Ghar (今日、私は父の家を出て行きます)

https://www.youtube.com/watch?v=u1JO7WiWIRk

挿入歌 Panchhi Ban Mein (木の中の鳥が [つがいの相手を呼んでいるわ])

https://www.youtube.com/watch?v=Dcb7ht8RFOA



・Babul を一言で斬る!
「にしても、やっぱ芸術に親しみそれを深化させるってのは、暇を持て余すほどの財力あって成立することなんだなあ…と、つくづく突きつけられてしまうようですよ。ウーシャの悲しさを見てると」
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