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2020年02月13日23:39

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【映画】女王陛下の007

女王陛下の007 1969年

現在までに6人の俳優が演じたジェームズ・ボンドだが、当時の感覚からすれば『007と言えばショーン・コネリー』だったであろう事は容易に想像がつく。そのコネリーが、自身の俳優としてのイメージが固着するのを避ける為、降板を決意した。その話を聞いた時は意味が理解できなかったが、後に、渥美清が何の役を演じても、全て『寅さん』に見えてしまい、コネリーの決断が理解できた。
さて、世界的な大ヒットシリーズに成長して007シリーズの主役が交代、となれば、結構な騒ぎとなった事だろう。そして撮影現場でも様々な騒ぎが巻き起こった。
栄えある2代目ボンドに抜擢されたのはジョージ・レーゼンビー。テレビCMなどで、当時のイギリスではお馴染みだった様だが、世界的にはまだまだ無名の若者だ。スキーや空手はインストラクターレベルで運動神経抜群の30歳。当時39歳のコネリーと比べても、身体のキレ味は断然鋭い。身長もコネリーと同じく188cmあり、モデル上がりだけあって素晴らしいスタイル。長い手脚、小さく形の良い頭と広い肩幅。遠目には2mくらいあるんじゃなかろうかってシルエットだ。

物語は1人の美女トレーシー(ダイアナ・リグ)との出会いから始まる。ボンドのクルマを抜き去った彼女だが、その先の海岸で謎の男達に襲われ、それを助けるボンド。
次の舞台はカジノ。ここでも、負けてお金が無いと揉めてる彼女に助け舟。
『先に言っておけばよかった。彼女は僕の、今夜のパートナーなんだ』と洒落たフォローでお金を肩代わりする。
実はトレーシーは巨大犯罪組織ユニオン・コルスのボス『ドラコ』の娘であり、ボンドは『娘と結婚してやってくれ』と頼まれる。

一方、ロンドンに戻ったボンドは上司のMと仕事の事で対立し『辞める』と口走ってしまう。Mも退かずにそれを受諾。ボンドはマネーペニーに退職届けを渡して行ってしまう。
戻って来たボンドは彼女から『Mは受け取ったわよ』と聞いて愕然とする。退くに退けずつい口走ってしまったものの、やはりボンドはこの魅力的な仕事を辞めたくはないのだ。慌ててMの部屋に飛び込むと、
『君の休暇届けは受理したよ。ゆっくり骨休めして来たまえ』と言われて呆気に取られる。
『Mに渡してくれ』とボンドから渡された退職届けを、しかしマネーペニーは密かに休暇届けにすり替えてMに渡したのだ。
これでボンドは『辞めてやる』と言ったものの、『頭を冷やしたいから少し休暇をくれ』と言う形となり、Mの方も『辞めてもらって構わんよ』と言ったものの、『休養したらまた帰って来てくれ』との形となる。双方のメンツを守ったマネーペニーの粋な計らい。
『やっぱり君がいないとダメだよ、マネーペニー』と感謝して部屋を後にするボンド。
彼が出て行った直後に電話が鳴り、受話器の向こうから
『やっぱり君がいないとダメだよ、マネーペニー』とM。
意地の張り合いとなってお互い退けなくなった2人の男の間を取り持つマネーペニー。ここは007シリーズ屈指の名シーンであろう。

007シリーズは迷走していたと言える。ショーン・コネリーが5作を演じたが、各作品毎にタッチが異なり、子供向けの戦隊モノの様な、荒唐無稽でまるでコメディー作品かと見紛う様なモノもあるし、サスペンス調のシリアスタッチの作品もある。
コネリーが降板し、レーゼンビーを迎えた今作が6作目となるが、それまでのシリーズを一新する様なシリアス路線となり、仕切り直した感がある。空手のインストラクター経験者だけあってレーゼンビーの身体のキレは抜群で、格闘シーンの迫力は歴代ボンドの中でもトップクラスだろう。

敵の首領であるブロフェルドも役者が変わるのだが、これがテリー・サバラスってのがちょっと違和感あったな。アメリカ映画では定番の悪役だけに、急に『お馴染みの顔』が出て来て、何とも妙な気分。

後半から、スイスのスキーリゾート地が舞台となる。山頂の建物に世界中の美女が集まり優雅な生活をしており、実はブロフェルドはここで細菌兵器の研究をしていた。
ボンドは爵位の判定の為、という名目でブロフェルドを訪ね、それと同時に総攻撃を行う。ここから迫力満点のスキーシーンとなり、途中ボンドは片方のスキー板を失いつつ、片足だけで滑走する妙技を披露。
このシーンでレーゼンビーは、自分で演じたかったらしいが、当時はスタントマンが当たり前だったので、その夢は叶わなかったそうだ。彼自身の腕前を是非観てみたかった。

その後、ボブスレーでのチェイスに移る。高速で疾走するボブスレーの上で追いつ追われつのデッドヒート。CGなど無い時代に実写でこの映像は凄い。007シリーズと言えば当時最先端の迫力ある映像が売りの1つだったはずだが、悪ふざけの様なコメディタッチの作風に対するスタッフ達の憤りや不満が爆発したかの様な気合いである。

そして今作最大の衝撃となったのがラストシーンである。トレーシーと結婚して幸せの絶頂となったボンド夫婦だったが、新婚旅行となったドライブの最中、敵の銃弾によってトレーシーは非業の死を遂げる。
世界を股にかけたプレイボーイ、あのジェームズ・ボンドが結婚した事自体がまず衝撃であり、しかもその若妻の死。悲しみに暮れるボンドと言うバッドエンド。何もかもが異色だ。そしてその衝撃と共に007シリーズは全く新しく生まれ変わり、コネリー降板と言う最大の危機を乗り越え、スパイ映画の金字塔としてこれからも長く人々に愛される作品へと成長して行くのである。
ジョージ・レーゼンビーは結果的にこの作品が最初で最後となってしまう訳だが、まるで007シリーズを生まれ変わらせる為だけに現れたかの様であった。

蛇足であるが、レーゼンビーがなぜ1作しか出なかったのか?俺は長い間不思議でならなかった。007シリーズと言えば当時の大ヒットシリーズであり、出演すれば即世界的なスターの仲間入りとなったはずだ。
実は当のレーゼンビー自身がこのオファーに舞い上がってしまい、撮影が進むにつれ『自分はスーパースター』と勘違いして態度が急変したらしい。撮影後の軽い食事会などでも
『俺は正式な招待を受けてない』とひねくれてみたり、あまりの大柄な態度に
『君が世界的なスターかどうかは君が決める事ではない。それを判断するのは観客だ』とプロデューサーに釘を刺されたり。
彼の態度に閉口したスタッフは、慌てて次回作に再びコネリーにオファーし、頼み込まれて仕方なくコネリーが再登場したのが『ダイヤモンドは永遠に』。その次でようやくロジャー・ムーアが登場し、スマートでユーモアたっぷりなボンド像が確立される。レーゼンビー、ボンドはその狭間に咲いた一瞬の徒花であった。興行収入もあまり良くはなく、作品自体やレーゼンビーに対する評価も低かった。しかし、単純かつ明快な娯楽性を求められていた当時と違い、考えさせる余韻や奥深さなどが評価対象へと変化して来た現代に近付くにつれ、この『女王陛下の007』やレーゼンビー自身への評価も上がって来た様だ。中にはシリーズ最高傑作と絶賛するファンもいるくらいである。
俺も個人的には、レーゼンビーのボンドはもう2作くらいは観てみたかった。



女王陛下の007 ☆☆☆☆☆☆☆
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