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2020年01月17日00:17

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とうとう四半世紀やもんな

関西に住む人間に取って、一生涯忘れらない災害と言えば、85年の日航機事故、95年の阪神淡路大震災、05年の尼崎列車脱線事故。
ちょうど10年おきに500人余、107人、約6400人が犠牲になっている。
平成が始まったのが89年で、それからの30年間、自然災害がこれほど続いた年代は日本史の中でもそんなになかったけど、そうした中でも阪神淡路は関東大震災に匹敵する大災害やったもんな。

終戦から25年と言うと万博の年。
うん、あの頃はまだまわりに戦争を体験した人がいっぱいいて、いろんな話を聞かせてくれたもんや。
隣のおっちゃんはフィリピンで片脚をなくしたいうてたし、3軒先の中村さんとこのおじいちゃんは大阪の藤永田造船所で駆逐艦作ってたいうてた。
おっちゃんがいまの自分と同年代で、おじいちゃんはフミオちゃんよりちょっと若いくらいやったかな。
どんな話をしてもらったか、子供すぎて忘れてもたけど、そのときは興味津々で聞かせてもろたことだけは覚えてる。

語り部というほど大したもんやないけど、震災の記憶がどんどん風化し、あの頃にまとめ役やった40代から上の人たちがどんどん現役から退き、あるいは鬼籍に入っていってることを思えば、
自分らの世代がもっと積極的にあのときの話を伝えていくようにせなあかんのかもな。
最終的に犠牲者は6400人てなってるけど、なにより重い事実は5000人余りがあの数日の間に逝ってしまったってことや。

日本ではなぜだか大きな災害のとき、政治的に問題のある場合が多い。
関東大震災のときは内閣解散直後で指揮系統が整備されていなかった。
阪神淡路のときは連立政権で、最悪なことに社会党の村山富一が首班を務めていたせいで自衛隊の出動が遅れ、そのせいで死なずに済んだ多数の人が犠牲になってしまった。
東北のときは民主党政権、事後の処理が悪かったもんやから、いまだに原発問題が足踏みしたまんま。
しかもあいつらはそのときの総括すらしないまま、いまだにのうのうと政治家面をしている。
そういうことも含めて、いつまでも忘れたらあかんなと、心を新たにした25年目だった。


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