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2019年09月06日13:05

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マイカーの思い出

皆様、こんにちは。


近況:

昨日(9月5日)の誕生日に、自動車免許の更新を諦め、運転履歴証明書の申請に、最寄りの墨田区本所警察署に行ってきました。

今まで使用していた免許証と運転履歴証明書用写真(縦3cm×横2.4cm)を担当窓口に提出し、運転履歴証明書の申請用書面2枚を受け、名前(漢字とカタカナ)と電話番号のみ記入させられました。

後の項目は、運転免許証に掲載されているので、係員が確認して、申請書を作成するとのことでした。

15分程待ち、納付窓口で、運転履歴証明書の作成代に、1100円払い、2週間後に、引換書持参で、運転履歴証明書を交付するとの告示でした。

今までの運転免許証は、穴パンチされ、運転免許自主返納記念(警視庁交通部)用のカード入れに入れて、渡されました。

運転履歴証明書は、種々の特典を受けることが出来、種々の文化施設、美術館、銀行、ホテル、デパート・スーパー、警備、趣味娯楽等々での割引サービス、一部の個人タクシーを安価で乗車できたり、有名なホテルのランチ・サービス等々を掲載した一覧表(高齢者の運転免許自主返納をサポート:警視庁)を受けました。



自動車免許証の取得:

さてさて、私が自動車免許証を取得した時は、35歳時(昭和57年9月17日)で、京成自動車教習所(高砂電車区の裏手)で、仮免許取得に、45時間要しました。

坂道発進と車庫入れ、急カーブが上手く曲がれず、2回も受けやっと仮免が取得できました。

教習所の生徒の大半は、20歳前後、35歳は老人の部類で、私の他に1人(50歳)がいて、50時間乗ってもまだ仮免がとれないと零していました。

仮免後、蔵前通り、千葉街道、金町・水元公園近辺で、20時間、実習運転を受けました。

高速道路の実施訓練は、東関東自動車高速道路で、千葉、四街道、佐倉、成田近辺で、高速道路の出入り方、追い抜き方、時速100km走行、路肩での止まり方等々を学びました。

鮫洲にある教習所で、ペーパー試験を受け、1〜2時間後、正式な免許証を受けとることが出来ました。



自動車(マイカー)の購入と利用:

蔵前通り沿いにあった中古車専門店で、三菱のギャラン1600型(3〜4年使用したもの)を、52万円で購入しました。

新小岩駅近辺の中古店から押上の自宅までの初めてのマイカーの運転が、怖くて、怖くて、ゆっくりゆっくり、乗ってきたことを思い出しました。

自宅前の広場に、東武鉄道の子会社が経営している駐車場があり、そこを15000円/月で借り、昭和57年10月から翌年の4月末まで、利用しました。

長女が喘息状態となり、喘息解消のために、会社(新日軽)の総務部と相談して、借り上げ社宅の空き家が四街道市千代田団地内にあることが判り、ゴールデンウイーク期間に、引っ越しました。

借り上げ社宅は、2階建てで、広い庭とカーポート付きの物件で、15000円/月の家賃でした。

押上の青空駐車代と四街道市の家と駐車の家賃が同額でしたので、助かりました。

カーポートに自動車をバック状態で、入庫させるとき、後ろのドアーが壁に当たって、凹み、修繕費として、メタル塗装の黒茶色だったので、10万円/ドアーかかりました。

教習所での車庫入れのトラブルが、ここで起き、2年間に、全ての4ドアーの修繕に、40万円要してしまいました。

メタリック塗装でなければ、3万円/ドアーで修繕できました。

昭和63年に、先妻(野田市の野田教習所で、昭和55年に自動車免許証取得)が運転中、自動車自体が千代田団地内で、動けなくなり、団地の外れにあった知り合い(朝起き会の仲間)の自動車修理屋に診てもらったら、寿命が来たので、修理するよりも、新しい自動車の購入を勧められました。

今度はセダン・タイプでなく、軽自動車で、車庫入れが容易な、メタリック塗装でないものを希望しました。

知り合いの自動車修理屋に頼んだところ、新車の軽自動車で、スズキのエブリー・1ボックス・タイプ(ホワイト色、ターボ・エンジン)を勧められ、120万円で購入しました。

車庫入れがすごく容易になり、急カーブも曲がりやすく、坂道発進もスムースになり、1年11か月(車検前)乗りましたが、一度も、ドアーの凹みトラブルも、その他のトラブルもなく、快適にドライブを楽しむことが出来ました。

三菱のギャランは、東関の高速道路で、最大145km/hrまで、出せることを検証しました。

また、スズキのエブリーも、同様の高速道路で、最大95km/hrまで、検証出来ました。

ギャランでは、先妻の友人宅が新潟県の十日町の山奥にあり、そこまで、2日泊りがけで出かけたり、三重県津市の山奥にある山岸会(自然食の生産・製造)の農場(研修場)まで、3日泊りがけで出かけたり、していました。

平成元年5月離婚しました。

理由は、

先妻が、3人の子(長女、長男、次女)を連れて、山岸会に入りたいとの要望で、私は生き方を異にするため、入会拒否をしたのが、離婚の原因でした。

財産を一切所有しない、お金を一切持たない自然生活を先妻は好みましたが、私は定年退職時まで、特許管理(知的財産権の増大化)の仕事で、生活していく方針で、財産の有無の在り方の相違とライフスタイルの大いなる相違で、離婚に踏み切りざるを得ませんでした。

養育費の問題で、3人の子を山岸会に入れることは不可能で、長女は入りたくないと告白し、長女が私の方に残りました。

5人家族が2人家族となり、長女の要望で、富士山の五合目に、エブリーで、2回程登ったり、四街道市と野田市の間の往復が、マイカーの主たる役目でした。

四街道から野田市に引っ越して、3か月後、押上に戻ってきたため、マイカーは不要となりました。

平成2年に、エブリーを購入した知り合いの自動車修理屋に、33万円で引き取って貰えました。

この時代、軽自動車の中古は、どこでも引き取りを拒んでいました。

この33万円は、リビングルームのカウチ・ベッド・ソファー(定価70万円の半値セール品)の購入に使いました。

一寸変形したフォームで、寝そべって音楽も聞けるものでした。

今でもそのソファーは使用しており、100年は使用できると想います。

平成2年以降、レンタカーも乗ったこともなく、オートマチック車も乗ったこともなく、今更、また乗ってみたいとの要望もなく、経済的面、安全面、活用面等々を鑑みれば、これで、自動車の運転免許証の更新は、70歳以上、ゴールド免許でも、教習所での実施講習が必須条件なので、諦めざるを得ないと判断した次第です。

山岸会に入った長男と次女は、20歳を超えた頃、私の方へ戻って来ました。

マイカーについては、先妻と一緒にならなければ、一生、考えもしなければ、眼中にありませんでした。

鉄道マニアとして、自動車よりも電車が好きだったので、自動車に興味を持っていませんでしたから。

鉄道が便利な恵まれた環境にあったため、マイカーを考える余地がありませんでした。

しかし、マイカーで、どこへでも自由に行動できる便利さ、有難さ、鉄道利用が不便な山奥に行ける魅力は感じました。

鉄道の沿線風景写真撮影に特化(専念)していたら、先妻と一緒にならなくても、マイカーを考えていたかもしれません。

このような思い出が蘇ってきました。

感謝。




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