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2019年08月12日15:33

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日航機墜落事故

1985年、8月12日18時56分。



日航機墜落事故が起きてから今年で34年





上を向いて歩こう




若き日のブルックであり、テーマ曲は坂本九






ビンクスの酒






生き残ったのは524名中、女性4名。航空史上最悪の事故。



4名の中で当時12歳の少女だった女の子は端正な顔立ちだったので、マスコミに執拗に狙われた。芸能プロダクションからはアイドルにならないかという要請もあった。生き残ったことで、なぜお前だけといった恨みを込められカミソリを送ってこられたりもしたそうだ。



こんなことなら母ちゃんと一緒に死ねばよかったと漏らしたという。



当時のマスコミ


これがマスコミ。



今の年齢は46歳になるのかな。木村拓哉と同じ歳だったと思う。

今でも追いかけられるのはこの女の子。他の3人はあまり話題に上らない。女の子の親が共産党員だったらしいが、それは関係ないと思いたい。



今はアメリカ人と結婚してアメリカで静かに暮らしているようだ。





日航機墜落事故は謎が多く陰謀論が多い。事故現場をすぐに特定できなかったこと、アメリカが救出に行ったのに自衛隊に支援を断られたこと、急減圧があったかなかったか。



大事故である。日航だけの問題で済まない。ことは運輸省(当時)の管轄になる。レーダーで場所の特定は日航もすぐにしていただろう。普通に考えて。ただ運輸省の役人は別に飛行機のプロではない。だから右往左往してしまったのだろう。

アメリカの救助ヘリが現地に駆けつけて、支援を申し出たけれど、運輸省の許可がいるので自衛隊ではそれに答えることはできない。越権行為であるし、憲法でガチガチに固められ、今ほど自衛隊に対して国民の信頼のある時代でもなかった。自衛隊が下手に独断行動をしてしまうと、それが例え英断であっても非常にヤバい時代だ。携帯電話もない時代でもあり今のようなスピーディな対応を行政はできない。だからアメリカはトンボ返りをした。これが自衛隊がアメリカの支援を断ったということの真相だろう。



また横田基地に緊急着陸していれば大惨事は防げたかもしれない。横田基地も許可を出したという話しもあり、なぜ横田基地に降りなかったかの陰謀説で、自衛隊の練習機の誤射で尾翼を破壊してしまったから隠蔽するためであるというものがある。その証拠として御巣鷹山付近の聞き取りでオレンジの飛行隊が二つ確認されているという証言が元だ。旧日本軍からの伝統で、練習機はオレンジだ。と言っても相模湾で誤射をしたとして、御巣鷹山まで自衛隊機が付いて行く意味が分からない。

単純に米軍横田基地に降りるとレフトウィングがワーワー言うからだろうと考える方が当時の世情なども考えて筋が通る。


つまり運輸省が無能だったということだ。
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