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2019年07月19日10:05

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蟻の街の子供たち 北原怜子(きたはらさとこ)−68

聖母文庫 聖母の騎士社刊

 片瀬海岸の、日帰り遠足ですらこの騒ぎなのですから、三泊四日以上の大旅行をやるとなると、どんな大きな支障が起こるか分からないと思いましたが、生まれつき天邪鬼(あまのじゃく)の私は、そうなるとなおさら万難を排してやってみたくなりました。
 しかし、どこに行って、どんなことをしたらいいのか、皆目見当がつかないので、松屋の中にあるツーリスト・ビューローに行ってみると、途端に、富士山を背にした箱根、芦の湖畔のキャンプ村を描いた美しいポスターが目に映りました。
ーーーそうだ。箱根なら、火山があり、湖水があり、温泉があり、その上途中の小田原には海があって、きれいなお城も見られる筈だ。
 私はさっそくこの計画を松居先生にお話ししました。
「もちろん、北原先生は箱根をよくご存じなんだしょうね?」
「いいえ、生まれてから、まだ一度も行ったことがありませんの」
「それは、いけない」松居先生は、珍しく渋い顔をなさいました。
「計画として大変結構ですが、一応どの位の予算で行けるものか、適当な宿舎があるかどうか、前に実地見分をして来たほうがいいですね。そうしないとの野宿しなければなりませんよ」
「大丈夫です。青カン(野宿)を驚くようじゃ、屑拾いはできませんもの」
 松居先生はますますあきれて「困ったものだ、それじゃ会長さんが承知しませんよ」と、道順や地図などを書いて、いろいろな予備知識を与えて下さいました。とうとう私のほうが逆に説きふせられて実地見分をしなければならない羽目になってしまいました。
 私は早朝の汽車で東京をたち、仙石原に着いたのは、十時頃でした。バスを降りると、すぐ前の丘の上に立派な別荘がありました。こんな家に子供たちを泊めたら、きっと喜ぶだろうなと思ったので、すぐその家に伺って、別荘のご主人にお願いしました。
 ご主人は私の顔を見て、「よろしゅうございます。あいていますから」と快く承諾して下さいました。
 私はすぐ「街」へ飛んで帰ってまっすぐに小沢会長さんの家へ行きました。会長さんも共に喜んで下さりながら、
「そりゃよかった。で、何日から出かけます?」
「この十一日の、予定でございます」
「大丈夫かな、あと三日ですね」と、会長さんは考えこんでおられましたが、私は、
「私の計画が御旨にそうものなら、きっとなんとかなりますわ」
 とお答えして、家に帰りました。しかし、実を申すと、旅費の六千円をどこから捻出するかまるで見当がついていませんでした。

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