mixiユーザー(id:65933753)

2019年06月29日18:26

149 view

「神は死体として横たわっている」(ゲオルク・ヘーゲル『エンチクロペディー』)

■迷惑客は「神様じゃなくて暴君」、気づいてくれ「そのクレームは、もはや犯罪かも」
(弁護士ドットコム - 06月29日 11:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=5684693


誰からカネをもらっているんだ、と言われる前に、誰がいないとこのプロジェクトが回らないのかね?といえるくらいに属人的にロックインした形で主導権を握れるようになりましょう。飲食店も、そういう方向を目指した方が、賢明かもしれないな。

フォト


残念ながらおれは、東龍みたいに、あまちゃんなやつではない。
コイツがいないとどうにもならないから、嫌々でもカネを払わせる、そういう仕事をするタイプだから。
東龍が芹沢先生を見たら、憤死してしまうかもしれんw
https://news.yahoo.co.jp/byline/toryu/20181008-00099728/

・・・・・・・・・・・・・・・

「神を見た者は死ぬ。言葉の中で言葉に生命を与えたものは息絶える。言葉とはこの死の生命なのだ。それは「死をもたらし、死のうちで保たれる生命」なのだ。驚嘆すべき力。何かがそこにあった。そして、今はもうない。何かが消え去った。」(Maurice Blanchot, La Part du feu, Gallimard, c1949)
クレーマーを見たら、死ぬみたいです。

フォト


神話の話形は、『IQ84』、『羊をめぐる冒険』、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『アフターダーク』で再現されているように、「邪悪なもの(リトル・ピープル)」の侵入を、センチネルの役を任じる主人公たちが徒党を組んで食い止めるものです。

村上春樹の有名なスピーチで、
「Between a high solid wall and a small egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg. Yes, no matter how right the wall may be, how wrong the egg, I will be standing with the egg.
(高く堅牢な壁とそれにぶつかって砕ける卵の間で、私はどんな場合でも卵の側につきます。そうです。壁がどれほど正しくても、卵がどれほど間違っていても、私は卵の味方です)」というのがありますが、
先の邪悪なものはこのスピーチに於いては「システム」に置き換わっておりましたわけです。

もともとは「人間が作り出したもの」が、それ自体の生命を持って、人間たちを貪り喰い始め、「卵の側に立つ」以外に、人間が「システマティック」な世界をわずかなりとも「人間的なもの」に保つためにできることはほとんどない。
そういうものです。

神様は、敵として現れるものです。神様は小さい人間として現れる、全く厄介な構造になったものです。

三波春夫はがっかりしているかもわかりませんが、それはそれでしょうがないわけです。

哲学の素養がある人間ならば、以下のジョークがわかります。ない人間ほど、青筋を立てます。

王様はロベスピエールに首をはねられ、
神様はカントに首をはねられましたが、
あなたは何回首をはねられましたか?

フォト


ここで「まだ2回目なんですよ」とか言えずに、「てめえ愚弄してるのか」とおこりだしたら、そいつはただのバカです。カントの哲学を直喩すると、そういうことになるわけですが。純粋理性批判ってのは、そういうことです。

いいか?わざわざクレームをつけてくるようなヤツは、無能ゆえにヒマを持て余していて、そのくせ無闇にプライドだけは高く、嫉妬深いクズのような人間だ。

といっても、怒り出さない人間なら、いいんですけどね。
ま、桃井かおりが「世の中、バカが多くて疲れません?」とかいって、切れるくらいじゃ、ダメか。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する