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2019年06月14日23:09

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本めも(粘土に書かれた歴史 1-5)

前記事参照
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971315736&owner_id=3960876
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971844537&owner_id=3960876

https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971833239&owner_id=3960876


肝心の探してた <飛脚型使者の粘土板の運び方> の件ですが。
読んだ二冊内には無かったorz
でも全然無かったらそもそも肩から掛けてるとか言わないよねタブン。

「シュメル」によると途中の時期までは羊の毛皮の服を着てるそうな
んで、あのへんの人達なら、運搬時の保護用なら包んでナナメに背負
うとか、毛皮で包んで革紐で括って肩から下げるとか、ありそうかな
ーって思ったけど。

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「粘土に書かれた歴史 -メソポタミア文明の話-」
E(エドワード)・キエラ  訳:板倉勝正
岩波新書 1958刊  1991・25刷

前書きによると、編:ジョージ・G・カメロン

訳者あとがきによると、1938初版の本の1951・6版の全訳。
収録写真などは映りの関係で削ったり絵と差し替えたものがあるよう。


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本文の構成上、読んでピックアップして纏めて書くみたいな感じになっ
てしまうようである。長。これでも端折ってるんだが・・。

まだ感想メモ書いてない「シュメル」の情報をぽいぽい混ぜてます。
(参照所在等は「シュメル」メモの際にて。)
あとこれも結局ウガリト資料背景用なので思ったことを好き勝手に書い
てます。

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巻頭モノクロ口絵写真7点あり。


●序文(編者まえがき。本文と頁カウント別)

ある日、大学の研究室の陳列室でキエラ教授が見物人を案内していた際
に、ぱっと見でわかる見栄えのするものを見た後、粘土板等のまぁ要す
るにぱっと見地味なところに行こうとすると、一人の客が、「やあ大変
結構なものを見せていただきました。ここは大急ぎで見て通りましょう。」
と言い、それに対して教授が立ち止まり、「一寸待って! ここからが
本当に面白くなるのですよ。」と言い出し、ひとしきり、それらから得
られる知識について語ったそうです。

キエラ氏は興味あるが専門知識は無い一般に向けて本を作ろうと草稿を
書き上げたが、病に倒れて亡くなってしまった(1933−1885=48 47才)
けど、↑の話を聴いていたというカメロン氏が草稿を元に彼の語りの雰
囲気が現れるように努めて原稿を仕上げ、他の関係者と共に出版したと
いうことみたい。


研究者は研究するだけで満足してしまうことが往々にあり、見ただけで
わかるものに一般に注目がいきやすいし成果としてわかりやすいのは仕
方無い点もあるが、それだけに傾倒するのは双方にとって全く良くない。
それは折角わかっていることを研究者側がわかるように提示できていな
いせいもあるのだ、というような話。

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本文も含めて、「世界最古の物語」の前置きが面白い!というひとには
オススメかと思います。

本文は最初ぱっと見詰め詰めでいかにもこのジャンルが好きな研究者の語
りそうな感じだけど、読んでいってみるとなるほど、一般人に説明するの
も慣れてる教授がとうとうとあれやこれやと喋ってるのを面白く拝聴して
しまう感じで、草稿原文どういう感じだったかわからんがカメロンさん
編集力すげぇかもしれん。

本文中で、「数年前までは」と幾度かこのジャンルや認識の変化などにつ
いて出て来るのですが、この草稿が書かれた当時は、本文末にあるように、
ラス・シャムラ(ウガリト)が発掘されて間がなく※。
編者序文で「アッシリア学」が研究分野としては百年ほど経ってはいたと
いうものの、おそらくこの頃、ひととおり情報が纏まって明らかな形にな
り、“従来の(固定的な)認識を覆す”情報源として成立してからはさして
間が無かったのだろう関連について、粘土板中心に語られています。

(※ウガリトが1928の発掘1929〜)

訳者あとがき(昭和33)によると、初版が1938なので、推定年代がズレてい
たり(※ハンムラビ以前が二世紀古くなる)発刊以降にわかったことなども
色々あるのだが、この本は単に最新を伝えるための本ではない、というこ
とで邦訳にあたっては、当時の6版を元に最低限の一部補修に留めたよう
です。

現時点で 2019-1938=81 か。

現在絶版ぽいですが、入手だけ、であれば、出元が大手で手頃値な文庫で
刷数も出てるので中古は多そうですね。
(このへんの図書館だと収蔵レアでしたが)


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目次と文字系統図。


●プロローグ(ここからカウント1頁)
1行目に「著者の夫人への手紙」とあるので関係ある部分をそのまま使っ
たのかな。
文調は翻訳のテイストチョイスもあると思うけど、小説のような文だよ。
語り力すごいな。

(創作モノの学者の手記や口調の参考例とかにいいかもしれん。
情報ブっ込みつつ雰囲気を表現するのが上手い文)



●1:宝探し(7頁〜)

序文冒頭などにもあった、見た目がわかりやすいものだけが一般に価値が
わかりやすく研究側がきちんとわかるよう出さねばそれだけになってしま
う問題がある、という件の、エジプトは大きな石の遺物があって見さえす
れば誰もが存在自体を無視出来ないが、殆ど石の無かったメソポタミアは
河泥から煉瓦を造って建築物に使い、これらは屋根と上張りをきちんと管
理している間は十分な強度を保てるのだが、そうでないと数年もすれば崩
壊し、朽ちた積みになっていってしまうんだという。
(この残骸となった場所の雰囲気はプロローグの手紙でも書かれている)
・・・つまり、わかりにくい。
(救出されなかった家具やらだけが埋もれるがそれも朽ち、宮殿ですら残る
浮き彫りだけが建物も見合うものだったことを窺わせることに)
乾燥地であるエジプトと違い、湿地であることもあって発見や発掘を困難
にしているそう。

きちんとした素材でちゃんと焼成した煉瓦はとても頑強らしいのだが、燃
料問題があり、量を必要とする建材としては日乾で作られたものが多用さ
れたようだ。

12頁で出ている例だが、発掘現場にやってきた客が英国の建築家でゴミ捨
て場にあった前2200年頃の煉瓦に気を留めて欲しがった。
刻まれた碑文もありふれたもので関係者的には用が無かったのでOKとい
うことになったが、厚さ3インチ×縦横12インチ(約7.5cmと約30.5cm
くらい?)で嵩張るので、碑文の部分だけを手斧を借りて割って持って行こ
うとした・・・・のだが、炎天下で30分ほども頑張ったが割れず諦めたが、
見事な出来にとても感心していたそう。

薄手だとどんくらいまでの強度なのですかね。


そして、建物が崩れ、朽ちないものも発見するのが難しいメソポタミアに
おいてそれでもそこが沢山のものが得られる場となるのは、「バビロニア
の粘土板(クレイタブレット)」があるからだ、ということになる。



●2:不朽の書物(19頁〜)

種々の焼いた粘土が残り、様々な手掛かりになることは広く知られている
が、実は焼いていない粘土の製品も良品であれば非常に良く保つものなん
だそう。
素材となる粘土は、川が自動的に堆積させるものもあるし、必要であれば
人工的に水洗いして不純物を取り除くことで精製出来るらしい。

20〜23頁までで、湿気によって膨張したり表面に付着物がある場合の具体
的対処などを説明している。

(ウガリトだと乾燥気味そうなんで、壺の中でそれぞれ膨らんでぎゅうぎ
ゅうになって変形・・なんてものはそうそう無いのかな)

地中に埋没していることから齧歯類や地虫に喰われることもあり、後者は
真っ直ぐほぼ進んで1文字や2文字をダメにしてしまうことも、通りにく
いからと全面を半端に喰って全部駄目にしてしまうこともあるようで、研
究者たちは “最初の紙魚” と呼んでいるらしい。

粘土板は常用のものや重要なもの、保存の用があるものが焼かれたが、そ
れ以外はそうではなく、折角残っているものを駄目にしないよう取り扱い
には要注意、ということである。

粘土板の性質上、ゴミ捨て場に捨てたものがそのまま残る。
様々なものが記録されたそれは前3000年初め頃に大量に作られ始め、キリ
スト紀元の初めまで増え続けた、そう。

(この理由については「シュメル」のほうにあったが、泥(というか粘土)は
広い範囲で入手出来、筆記にインクを必要としなかったのでコストが良く、
焼成すれば頑強なので用途に応じて使い分けやすかった・・って感じだと
思う。)



●3:七つの都市の丘(25頁〜)

「イラク」は「水辺の」「沿岸の」という意味らしい。
東方・北方に山脈があり、西方・南方にステップと砂漠があり、他の地域
と地理的に区切られた上で水に恵まれた独特の土地らしい。
この土地の大部分は二本の河が北の山脈から運んだ沈泥(しずみどろ)で
成っていて、沈殿し土地を拡げ続けているらしい。
古代は別々に海に注いでいた河はその後合流して更に積むようになったの
で、元々都市のあった昔海沿いだった地は海から遠ざかり古代文明崩壊後
の新しく積まれた土地には何も遺物は無い、らしい。

河によって作られた土地で平坦で、それに更に洪水の度に積まれていくわ
けで、有名なナイルの例のように氾濫を前提に豊かな農耕地として住まっ
ていたが、運河を造り水路網で灌漑を巡らせ、配水と、過剰氾濫の予防を
行うようになったらしい。
運河は流通路でもあった。
運河や支流を維持し手入れを差配するのは支配者層の仕事であり、管理担
当者達の必須任務。小さな灌漑はそれぞれの土地主の管理義務で、もし管
理を怠って破綻させれば損害賠償させられたそう。


(と、この土地では灌漑は大変だが非常に大きな力あるものなのね。
支配者の力とイコールな点もあるのでは。
「シュメル」で思ったイルウへの豊穣象徴スライドと同様に、
アシュタル=灌漑とすると、ウガリト近辺だと環境が違うから“小さい”
(力を十分に発揮出来ない)のような感じになってるんだろうか。
水の豊富な土地とでは全然条件が違うよねぇ・・。
そしてバアル=雷雨=天水をもたらすもの、が力を持つことになって。
この本に後で出て来る(117-119頁)マルドゥクのエピソードのアッシュー
ルへの差し替えが、ウガリトのバアル(ハダド)で状況設定改変されて
行われたという感じになるとすると、それっぽいなと。)


29頁〜。
ここの場合は、見る認識を持った眼さえあれば、古代の運河跡が現在も
はっきりと見え、運河に沿って古代都市の遺跡が集まっているので、こ
こを掘りたい人は“探す”のではなく、自分の目的に合わせて“選ぶ”
知識と力が必要なんだそうです。

ここからこの章題の説明になる、時代の違う都市が重なって存在する理由
が38頁の章末まで続いていきます。
32-33頁に絵で見る積層例図あり。

識別しやすい出土品としにくいものがあり、このへんだと例えば王関係の
刻印入りの敷石とか出ると区別し易くて楽だとか。
(別の章でもこれ出て来るんだけど、識別にはとても助かるけど、量産品
なので文字資料的には価値が低くて見本以外はイイヤーとなるそうで。アリャー)


洪水時に泥が増えるので、家は少し高くした場所に造る
→環境的に集積的なゴミ捨て場の概念が無かったようで
 たぶん支障の無いものは道に捨てる
 (日本人でいう水に流すの意味で泥に埋めそうよな・・)
→続くと道が埋まって高さが・・

日干し煉瓦の家はさして長持ちするものではないので痛んできたら倒して
その上に建て直してしまう→地味地味嵩増し・・

何らかの理由で都市が滅ぶ→時間が経って再建したり、別の民が住んだり


みたいなパターンになってるそうで。
このため遺跡丘(テル)と呼ぶみたい。
場所によっては、人が入りきらずに裾野に広がったり、テルの上に小さい
テルが積まれたりすることもあるようです。
なりゆき人工台地。


・・・というわけで冒頭の話題に戻るんだけど、こういう積み地の発掘で
は、検討段階で、自分の探す地層というか丘層?が手が届きやすい遺跡を
探し出すのがポイントなんだそうです。
(住みやすい土地で重なってるほど大変!ということになるので、そういう
場所を調査したい場合は、ある程度の共同企画で組んで層ごとに交代して
いったりとかする感じなのかな、専門別で)



●4:人間理解の始まり(39頁〜)

3章とは逆に、識別する認識と目を持っていないと、沢山ある遺跡の存在
や、過去には有名な場所だったり、現在砂漠になっている場所が昔は緑豊
かで人の集う場所だったことにも気づかないだろう、という冒頭。

楔形文字が【読むことが出来る文字】として広く評価・認識されるまでに
は、とても時間が必要だった。現地民に拾われれば土産物とされ、西欧人
は興味を持っても正しく文字だと認識するには長く掛かった。
(これ、冒頭の認識に掛かってきてるよね・・)


コーランでは「地獄で焼かれ悪魔が文字を誌した煉瓦」と語られているも
のがあるそうで、キエラ氏は粘土板の存在もそれが文字だということも認
識していたんだろうと思うようです。
・・・旧約関係でも異神の悪化やりましたしねぇ・・。
しかし、これで悪化した神々が追い出された先の異界でも自分たちの使っ
ていた文字をそのまま使っていたとか考えると楔形文字が悪魔文字という
のはFT的には大変いいかもー。
現代FTとかなら、専門家がたまたまそのテの悪魔を偶然で喚んじゃったら
資料に気を留めてなんの気なしに読み上げて、眼の色変えてガッシ!って掴
まれるとかありそうw教えてくれ!みたいな。
(契約書もガチ正式のものは粘土板とかでヨロ)


そして、エミール・ボッタという特に学者でも無い領事をしていた人物
が興味を持ったことから、ニネヴェの存在を証明し、サルゴン王の王宮
を掘り出した。
これによりある意味ゴールドラッシュのように人々が発掘に興味を持っ
たので、マンパワー的にはそれ自体は悪いばかりでは無かったのだが
・・。

やりたいから掘ったというパターンのそれらは、当時は考古学というも
のもイメージ的で調査方法なども型式になっていなかったし、当時続い
た発掘でも見栄えのしない粘土板や碑文の類は多くは放り出されて散逸
・埋もれてしまったという。

現在代表的な楔形文字が解読出来ている要因であるという図書館を持っ
ていたアッシュールバニパル王の書付漁りはこの本でも言及されている
が、166頁に、名は不明だが彼のものっぽい収集令の手紙の訳がある。
サルゴン王も資料集めをしていた可能性が高かったようなので、もしも、
発掘されたタイミングがもっと後か、せめて文字に興味がある人がいた
ならば・・・という非常に残念な事実。

ただ、多くが掘り出されたことで、西欧人にもこれは文字だろうという
確信は出来たようです。


エジプトのヒエログリフ解読は、現在では有名なロゼッタ・ストーンに
別語で同文の内容が記されていたことからで、楔形文字の場合はペルシ
アの岸壁に三種の言葉が書かれていることがキーだったそうである。
(古代ペルシア語・バビロニア語・エラム語)

この当時の「以前」はアッシリア語はヘブライ語の同系語として、旧約
聖書の解読の為に参考資料として研究されていたそうなんだが、膨大な
粘土板と近代にも魅力ある物語が解読されたことにより、それ自体が別
の主役として表舞台に立つことになり、あるところではヘブライ語の
学習や研究がアッシリア関連に代わったところもあるんだという。

この草稿の頃の後、ウガリトが旧約相互資料と化して今度は相互依存で
やりすぎになったとかっていうことらしいですが。
そうするとそこで同様に、アッシリアからウガリトにシフトしていた
ところも多かったのですかねー。
(そしてウガリトは未だにパズル状態で正解不明らしいという)



●5:古代のABC(48頁〜)

文字の成立推定の話。
シュメルの初期テキストで、遊牧民族を「家も知らず小麦も栽培しない
連中」と言っていたようである。
聖書とかも農耕民族disあるが、遊牧VS農耕、対立古いな。

場所の取り合いとか、諏訪さんの「玄奘西域記」にあったように、広い
地域を季節ごとに遊牧する民が、季節の場所に巡って来たらそこには他
の地域から入植した民が土地を開拓して家や田畑を作り、放牧の地が失
われていた・・・
みたいなのからだったら避けられぬ争いな感じはするけど。
このあたりのはどーなんでしょうなー。
水の豊かな地なので超狙われてはいたようですが、基本的にここ狙うの
って定住農耕民?それとも遊牧民も草地的に欲しがったのだろか。

この小麦礼賛が“ビールが文明”ってやつの元ですかね。
(現代では小麦は人類を奴隷にしていた説出てますがw
米も支配してそうだが。)

50頁。
絵→絵文字のひとつの意味が複数の意味を持つようになり、他のもの
との組み合わせで様々な物事が表現される。便利な絵文字。

51頁。
楔形文字の書版に書記が落書きしたらしいものの写真だが、シンプルに
中々な鹿の絵。


わかりやすいが、絵文字の弱点は、共通認識が無いと通じないこと。
そして別枠の単なる音などを表せない。
シュメルでは、固有名詞には特定の並びに注意記号を付け、これは元の
それぞれの表記そのままでは無く〇〇と読む、というようなルールで
共通認識の応用範囲を広げたらしい。

ここでの見本例は、「クラカ」と書こうとした際に、
山「クル」+水「ア」+口「カ」=クルアカ→クラカ、という“音”で読む。

そして絵文字が効率を求めて記号になり、何故か方向を変えてしまった
ことで原型がわかりにくくなり、最終的には何だったのか知らないとわか
らないものになってしまった。


初期の文字を記したものがある程度見つかっているそうだが、キエラ氏は
発達段階的に、更に古いものは木簡など残りにくいものに書かれていたの
ではないかと推定している。

(補記で、O・メンギンという石器時代の前に木器時代を想定している人物
がいるそうである。・・・加工的に木器時代はありえるよね。
木が一定以上ある場所である必要はあるけど)

絵文字であったものが方向を変え省略されて原型を失い、粘土板が使われ
始めた際にペンの関係で曲線が無くなり・・。
(59頁・文字変化例表)

記号的な文字が出来上がった時点で例えば「足」は「行く」「立つ」
という派生の意味とそれぞれ専用の音を持つようになった。
基本的に3つか4つの音と意味を持つようになった、のだそうである。

(ウガリトもこのシステム引き摺ってんのか)

古代シュメル語は単節音だったので、同音だらけだっただろうということ
で、例えば「ドゥ」と書こうとすると二十三もあったっていう。
ただこれではやってられないので、そのうちのひとつに次第に絞られ、
基本的にこれで書く、みたいなことになってくる。


(ウガリトにも同字異音異義語多い推定書いてあったな)



音節は、検索したらこれがわかりやすい説明なのかなぁ。
https://kotobank.jp/word/%E9%9F%B3%E7%AF%80-41933
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音節【おんせつ】

言語学用語。母音と子音の組合せからなり,ひとまとまりと感じられ
る音連続。音節構造は言語により異なる。
たとえばbandは英語では1音節であるが,日本人に〈バンド〉と聞こ
えたとすれば3音節である。
日本語の促音や撥音(はつおん)も音韻論的には1音節としてよい。

出典 平凡社・百科事典マイペディア
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言語によって認識が違う;;
まぁ、ここでは英語判定でいいのか?



60-61頁で名前表記の具体例をあげているが、
「マルタシュ」という外国の神名を表そうとした場合、バビロニア語で
「マルト・タシュ」になるが簡略表記らしい。
それぞれ別の読み方が出来るので・・ということで、間違えないだろう
場合以外はここまで略さないらしい。
少なくとも二十通り表記できるそうで、逆に一番長く表記するなら、
「マ・ル・ウト・タ・アシュ」だそうである。
音を分解してる感じですね。

一つの記号で一つの音を表すためのアルファベットまでいかなかったの
で、「数年前」までは発展の中途段階で中断されたのだと考えていたが、
この草稿の時点では、これが完成形として使われていたのだとキエラ氏
は考えていた。
既に外国で使われていたアルファベットがあり、インクペンも使われて
いたが、“あえて”使っていたというのを、キエラ氏は現代の英語だっ
て合理的かどうかについては音に対する綴り方やら色々おかしいだろ!
という旨の例えと、変えてしまうと過去の財産から切り離されると思う
危惧と保守主義とを挙げ、わかってはいても変えてしまうには
「歴史から学ぶには二つの教訓が必要なのだ!」(62頁)と締め括ってい
る。

・・・合理的に整備するのとはまた少々別物だが、実際に変えてしまう
と旧語は古語になってしまい、限られたものしか読めなくなることにな
るし、これはこれでひとつの王道なんじゃないかなーと思うます。

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続き。6章−10章分
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1971895064&owner_id=3960876

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