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2019年05月05日16:32

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【1992年4月】四年連続だった春の京都の旅

平成元年に学生生活から社会人に移行しましたが、卒業旅行で四国に渡る前に京都に寄って以来、四年連続で春の京都を訪れています。4月10日が会社の創立記念日で、平成4年(1992年)は金曜だったので三連休となり、京都の桜を鑑賞する絶好の機会でした。

4月9日木曜日は休み明けの研究報告会の資料作りで6時半まで残業し、8時半に茨城県阿見町の社員寮を出発しました。サッカー班のメンバーが練習を終えて寮の庭で花見の宴会を始めたところで、声を掛けてきたのを無視して土浦行きのバス停に向かいました。京都までは寝台急行「銀河」を予約、東京駅で一時間待つ間にキリン一番搾りを三本空けたので、列車内ではよく眠れました。

4月10日金曜日の朝は京都駅に到着して、駅から五重塔が見えるので京都駅のシンボル(当時はまだ京都駅は大規模な工事が続行中、北側には京都タワーが見えましたが京都には不似合いでした)と感じられていた東寺を目指して歩きました。7時に着いて開門前だったので、洛南会館の喫茶店へ入ってトマトジュースとミックスサンドを朝食としました。サンドイッチの味はなかなか良く、鯉の泳ぐ池の景色が見えるのも良くて、開門を待つ場所として最適でした。東寺のお坊さんらしき人も朝食を摂りに来ていました。

東寺の講堂と金堂を拝観、大きな仏像が立ち並ぶ様が壮観で、京都にやってきて最初の収穫です。朝早く人の少ない時間に拝観してゆっくりと仏像の醸し出す厳かな雰囲気に浸りました。宝物館の見学ではチベットの仏像の数々が見ごたえありました。中には胸も露わな姿で剣を構えるセクシーな女神の金の像もありました。

実家の宗教は浄土真宗本願寺派と聞いていたので西本願寺まで歩いて行ったのですが、ちょうど龍谷大学の新入生のオリエンテーションを講堂で実施していて人また人の混雑、落ち着いて参拝できる状況ではありません。新入生の顔はみな幼くて12年前の自分もこんなだったのかとはちょっと信じられませんでした。西本願寺の参拝は諦めて東本願寺に向かい、広く静かな本堂でしばし休んだ後、外へ出ようとして思わぬアクシデントに遭遇したことに気づきました。

脱いだ靴が姿を消していたのです。代わりに大きさと形が似ているけれどボロボロな運動靴が鎮座していました。だれかが間違えたのでしょうか?盗まれたら盗み返すというのはフェアな行動ではないけれど、背に腹は代えられず、とりあえず残された靴を履いてみた瞬間、真相が判明しました。底がすり減って穴が開いたところをビニールで補修してあります。貧乏な外国人観光客(潔癖症の日本人は貧乏でもこんなことはやらない)がサイズの似た私の靴を見て、これ幸いと取り換えて履いていってしまったのに違いありません。高級な靴ではなくても注意は必要でした。雨が降っていたので京都駅まで歩く間にも底から水が滲みて靴下も水浸しです。近鉄百貨店6階のアシックスに寄って靴を新調して、ここまで履いてきた他人のぼろ靴は廃棄してもらいました。

駅ビルの6階の店で「おひつまぶし」を昼食にした後、散策を続けました。東へ向かって歩いて三十三間堂へ。千体の千手観音像と鎌倉時代に製作された仏像が立ち並ぶ様子は圧巻です。千手観音像は良く見ればそれぞれ顔や表情が微妙に違うのが分かります。手前に並ぶ仏像の多くには作者名が銘記されています。年月を経て黒ずんだ諸仏を眺めて充実した時間を過ごしました。

清水寺と周辺の坂は昨年も一昨年も散策したのでお馴染みの風景になります。清水寺は混雑していましたが新緑の美しさを堪能できました。雨に濡れた清水の舞台も趣があります。また満開のしだれ桜の写真も撮りました。二年坂を降りて円山公園へ向かう道の西側に木塀に囲まれた料亭が並ぶ味わい深い小路があるのは今回の新たな発見です。二年前の散策中に気管支喘息の発作のため苦しい息で歩いた平安神宮では、今回も雨に降られましたが、しだれ桜が見ごろでした。哲学の道のソメイヨシノはほとんど散っていましたが、葉っぱと一緒に咲く山桜や緑色を帯びた桜が盛りで、銀閣寺が近くなるにつれて桜の開花も見事さを増していました。

今出川まで歩いて地下鉄で京都駅へ戻って手荷物を受け取り、バスで宇多野ユースホステルへ向かいましたが、平日午後のラッシュアワーにぶつかってしまったようです。仁和寺まで来てもまだ座れない状態で、歩き疲れた体には辛い一時間の乗車です。宇多野YHは平日ですが外国人の宿泊も多く混雑していました。韓国人の女の子三人組、スイス人の男性二人(一人はドイツ語、もう一人はフランス語)が宿泊。談話室では英語で漢字のこととか、好きな音楽のこととか、会社の仕事のことなど話しました。ドイツ人の可愛い女の子も英語がかなり出来て、日本人と中国人が漢字で筆談できるのは信じられないと感心している様子です。一人旅の日本人女性がやって来ましたが、三十歳の既婚者でした。京都もユースも数年ぶりだそうです。ビートルズとレッドツェッペリンとか古いロックが好きで、その話題で話し込んでしまいました。居室に戻ったのは夜11時頃で、それから前日の仕事や同僚の様子などから日記に記していました。

翌4月11日土曜日は京都旅行で久しぶりに天気に恵まれました。YHを出発したのは8時20分頃でした。嵯峨・嵐山方面を目指して歩いた道は歩道も整備され下り道が続くので楽でした。田園地帯で道端のタンポポの花はガクが反り返った西洋タンポポではなくガクが上を向いた日本タンポポが圧倒的に主流でした。子供の頃、植物図鑑で見た野に咲く花もたくさん見かけましたが、ほとんど名前を忘れています。風が心地よくて春の柔らかな空気を満喫しながらの散策となりました。

大覚寺では仏教関連の表彰式を挙行しているところで、赤い絨毯が敷き詰められ、盆栽がたくさん飾られていて、拝観できそうな状態ではありません。通り過ぎて念仏寺へ向かいました。途中には土産店が多くてタレントショップの看板が目障りでしたが、白壁土蔵で格子窓のきれいな建物が並ぶ通りは、お気に入りの景色となりました。念仏寺はしだれ桜と竹林が見事です。三脚をセットして本格的に竹林の撮影を開始している中年男女三人組がいました。ひっそりと水子供養に向かう人も三人見かけました。

二尊院と常寂光寺を拝観。紅葉の頃の見事さには敵いませんが、常寂光寺の竹林や新緑など4月にも魅力があり気分が落ち着くのを感じました。竹林のトンネルを越えて天竜寺に向かいました。建物自体にはあまり魅力を感じませんが、しだれ桜やツツジが咲き乱れてあたり一面が花で埋まっています。若い女性(日記にはギャルと表現)やオバサン連中もあちらこちらで記念写真に忙しい様子です。新緑もきれいで春の喜びを発散しています。

渡月橋の周辺は混雑が激しいけれど、遠くから写真を撮るなら渡月橋は素晴らしい被写体で背景の山々の新緑と桜とも調和しています。昼食は適当な店でまあまあの味の湯豆腐定食を食べました。阪急電車に乗って河原町で降り、祇園を散歩しました。白川のほとりの桜の名所、舞妓さんがいると思われるすだれを下ろした茶屋街のそれぞれの地理に少し明るくなった気分になりました。新京極を抜けて今出川まで歩いてしまったので、足の疲れもたまりました。途中で、河原町丸太町の近くにタコ焼き屋を見つけて入りました。椅子が4つしかない小さな店で、12個平らげました。大阪風のまずまずの味でした。

京都御所は皇居より広いのではないかと思われました。カップル(日記ではアベックと表現)の姿を多く見かけました。玉砂利を敷き詰めてあるスペースが多く、皇居と比べて鬱蒼とした空間が少ないように見えました。一般公開の実施中でしたが、すでに午後4時になっていたし、警官の姿が多いのにも気後れしたので後戻りしました。烏丸今出川の停留所でバスを待ちましたが満員だったので、地下鉄で京都駅へ向かいました。南口のAVANTIに入ってCDショップに立ち寄り、クラシック音楽のディスクも充実していることを確かめました。かなりオシャレで西武デパート(つくば店?)に劣らないと思ったのでした。

17時20分頃のバスに乗ったら最初から座れたのが幸運です。車内で10分くらい眠りました。渋滞でユースホステルまで一時間掛かりました。この日のユース宿泊者は小学生の団体が入って騒がしくなりました。外国人が少ないのは飛び込みの宿泊者が断られたためのようです。21歳の女の子が二名宿泊。一人は印刷会社に勤務する静岡の子でYHは初めて、可愛らしい感じです。もう一人は銀行に勤めているけれど旅行関連の仕事に転職したがっています。ちょうどツアーコンダクターの女性(30歳、既婚)と元銀行員で現在JTBに勤めている体のデカい30歳の男が泊まり合わせていたので、詳しい話を聞かせてもらえた様子です(けっこう大変なので転職は勧められないなんてことを言われていたかもしれません)。この日の外国人宿泊者は英語を話す人が5〜6名、台湾人の女の子が一人、英語でのコミュニケーションの機会が何度も訪れました。外国人の一人は同時通訳機能の付いた電子辞書を片手に日本語会話に挑戦していました。この日も夜中の11時40分からベッドの上で一日分の日記をしたためてから就寝しました。

最終日の4月12日(日)はYHを出発したのが8時半でした。三日とも同行者がいないのを少し寂しく思いました。雨がたまに強くなって傘が必要になりますが、散策の妨げにはあまりならなかったのが幸いです。三年続けて雨の京都の散策を経験したことになります。当初は奈良まで足を延ばすことも考えていましたが、京都に的を絞ることにしてバスで大徳寺へ向かいました。9時の開門の前に到着したら、すでに団体さんが到着していて、あまり教養がなさそうなオッサンが記念写真を撮りあい、後ろからは修学旅行の班がやってきましたが、どちらも小さなグループだったのが幸いです。

まず大仙院を拝観。今回は竜安寺を訪れなかったのですが、大徳寺の石庭に出会ったのが大きな収穫となりました。(大徳寺はこの時以来、京都の旅の定番になります。)朝まだ早く参拝者の少ない時刻に枯山水を前に座って静寂に浸り、心の中を色々な思い(雑念)が通り過ぎるのを見つめながら、しばしゆっくりと心を落ち着かせるのも精神の安らぎを得る貴重な時間となります。大徳寺の和尚さんは愉快な人で、修学旅行生一人一人に対して鉢巻きに筆で何か揮毫しながら、その人の名前から連想する講釈を加えています。瑞峰院の石庭は竜安寺よりもダイナミックな景観を感じました。大仙院よりも拝観者が少なく落ち着いた時間が続きました。受付の女性が若くて親切なぽっちゃりした美人でした。龍源院には石庭の他、苔に覆われた庭が見ごたえありました。

雨の中を今出川通りまで南下して京都御所の参拝へ向かうつもりが堀川今出川を通り過ぎて、気が付いたら御所の南端にたどり着いてしまったので、御所参拝は諦めて東福寺に向かうことにしました。京阪電車を使うつもりが河原町通りの下を通っていると勘違いして、駅の入口を探しながら御池通までさらに南下しました(京阪電車の上は川端通り、日記の記述に従いましたが、狂った土地勘の詳細は不明です)。東福寺の駅を出て少し歩いたところの寿司店で「京寿司」で昼食としました。味は良かったけれど量的に1100円は高いと思いました。

東福寺の境内はとても広く、通天橋からの楓の新緑が美しくて、紅葉の頃はこの世ならぬ美しさであろうと想像しました。天気が回復した中で新緑の楓の下を歩くのは心地よいものでした。枯山水と島を表現しているような岩の並ぶ方丈庭園でしばし休んでいると、鳥の鳴き声に混じって電車の音も聞こえてきます。念願となった東福寺の紅葉を見られたのは、この年の11月下旬に京都大学での学会への出張の帰りのことになります。

東福寺の新緑に満足した後は京都駅まで歩きました。三日間の旅は毎日8kmくらい歩いて京都の地理に少し明るくなった気がしたのが大きな収穫でした。京都駅ビルの地下街でお好み焼きを食べましたが、鉄板の上ではなくフライパンに載せて供されるのが今一つ、味の方も近鉄奈良駅の近くに一昨年見つけた店の方が良かったけれど、一応、関西の味覚を味わってからの出発となりました。14:46の「ひかり」は空いていませんが、自由席に座って東京まで帰れました。

東京に着いた後は銀座(おそらく山野楽器かヤマハ銀座店)とお茶の水に寄り、お茶の水の神田川寿司(回転寿司)で15皿を平らげました(それまでの最高記録)。「スーパーひたち」に乗って土浦に着いたら、雹が降っていたのでびっくりしました。天候が落ち着くまで待つことにして、みどりの窓口に向かい、ゴールデンウィークに計画した九州旅行のため寝台特急「あさかぜ」の切符(東京→広島)を購入したのでした。旅の二日後にはコンピュータ分子設計支援システムのデモンストレーションを見るための大阪出張が控えていて、公私ともに関西にますます馴染みつつあるような気がしたのでした。

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