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2019年03月23日08:32

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー11

(※は本文より転載)
大院君(是応)の深謀遠慮(はるか先のことまで考えて立てた計略)

 王族の一人である是応は、王室章典に精通していた。王室章典によれば、哲宗没後の王位継承者の決定権は神貞王后趙大王大妃(シンジョンワンフ チョデワンデビ)にある。
 趙大王大妃はかっての王世子妃であり、王妃の位についたことはない。第二十三代純祖の王世子であった孝明世子(ヒョミヨンセジャ:第二十四代憲宗の父)は父王の在位中に没し、翼宗(イクジョン)の名を贈られた人で、趙大王王妃はその妃であった。
 彼女は趙万永の娘で、かって憲宗の時代に純元王后によって起用された趙寅永は彼女の叔父である。趙寅永は閣僚の最高位にまで登り、趙氏一門を率いて金氏と勢力を競ったが、敗退した後は金氏の天下が続きている。趙大王大妃が金氏一門の専横に憤懣(ふんまん)を抱いているだけではなく、生家である趙氏一門をあくどい手段で凋落(ちょうらく)させたことへの深い恨みを抱いている、と是応は察知していた。

 是応はまず趙大王大妃の甥たち、若い官僚である趙成夏(チョソンハ)と趙寧夏に接近した。彼は二人に向かって、金氏一族の勢道政治の腐敗を攻撃し、政局を論じ、代々の王が飾り物同然であることを嘆き、王室の権威回復策を述べた。是応の言葉は理路整然となめらかで、説得力に富んでいる。ついに彼は次の王位継承者には自分の第二子が最適であることを、彼らに納得させた。
 さらに是応は、元老の筆頭である鄭元容や実力者の朴珪寿(パクギュス)など、選びぬいたごく少数の人々にも本心をほのめかし、趙大王大妃への”売りこみ”のため慎重で着実な手を打った。

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