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2019年03月22日07:44

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閔妃(ミンピ)暗殺(朝鮮王朝末期の国母)角田房子著 新潮文庫ー11

(※は本文より転載)
この事件を興宣君是応は背筋に悪寒の走る思いで聞いた。王家との血縁だけで考えれば、是応は特に金氏一門から危険視される位置ではなかった。しかし幼少のころから父の南延君<ナミヨンゲン>に才能を認められて高い教育を受け、早くから秀才のほまれ高く、成人ののちはその識見とさわやかな弁舌で、”王族中の傑物”といわれてきた。金氏一門の勢道政治下に生きる王族にとって、”傑物”という評価はきわめて危険である。李夏銓の事件がこれを語っている。
 興宣君是応は町の酒家に姿を現し、庶民と共に酒をあおり、彼らと膝をまじえて語り合うようになった。王族はもとより、両班階級の末端の者さえ、決して足を踏み入れない場所である。封建支配社会である朝鮮王朝は、支配層である両班を上位に、良人(サンノムと呼ばれ、常民、常奴とも書く)、奴婢などによって構成された身分社会でもあった。その社会で、最高位にある王族の一人のこうした行動は、まさに破天荒と呼ぶべきものであった。(中略)
 王族の身分を忘れたような是応の行為は,町の酒家だけに止(とど)まらない。彼は民家の宴席にも気軽に顔を出し、ふるまい酒に陶然となって祝い歌を歌った。さらに是応は、金左根や金ムンゲンなど勢道政治の中心人物の邸宅を訪れて、生活の窮乏を語りながら金品をねだり、時には深く頭を下げて長男のために仕官を頼みもした。
 悪罵や蔑視が是応に集中した。人々は嘲笑(ちょうしょう)しながら、彼を宮乞人(クンゴルイン)と呼んだ。乞食貴公子という意味である。

 顰蹙(ひんしゅく)を買うこうした是応の態度は身を守るためのかくれ蓑(みの)であったのか、と人々が気づくのは、ずっと後のことである。


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