只今、ハノイ滞在中です。
3月20日
ホテルの大門の向かいにあるレストラン“Nhà Hàng Xuân Anh”にて食事。フォーとプレート定食。卵が新鮮で美味い。ノニ(ヤエヤマアオキ)の漬物も結構いけた。
ウニはひとりでゴルフ・コース回り。
3月21日
本日もウニはゴルフ。
午後、ホテルでタクシーをチャーターして買い出し。連れて行ってもらった街道沿いのフォー屋。やっぱ専門店は美味いわ〜!
市場もちょこっと散策して(思った通りの汚さだった)、大きめのスーパーマーケットへ。ビールやベトナム・ウォッカ、パン、カップ麺、果物など、非常食を購入。
道すがら、鴨の丸焼きを売っていたので、それも購入。
ホテルの大門の隣のカフェにフェス出演者らがたむろ中だったので、そこに合流。日本からも人がいっぱい。
ホテルに戻ったら、布山くんがちょうどチェックインするとこで、その後は部屋で飲み。久々の再会。メキシコ以来かな。
ジュニョンとサンテがハノイでライヴやっていて、明日こちらに合流する予定なのだけど、Telあり。
サンテ「兄貴〜、会場の様子はどう?」
わし「…アハハハハ…」
サンテ「わかった! 僕らは当日入りします!」ガチャ!
3月22日
本日はサウンドチェックの日だったのだけど、前夜のサンテとのやり取りそのまま、全然準備が追い付かず、(最初からそうなると思っていたけど)わしはぶっつけ本番でやることに。
Nhà Hàng Xuân Anhへ行ったら、ひっきりなしに到着してくるフェス出演者が多量にいて、宿泊施設への搬送などの手際の悪さだけではなく、通訳も上手くいってないこともあり、大混雑。
飯はフェス持ちだけど、ビールはお店にお金払って〜がまったく伝わっていなかった…。
ホテルでは、DJのメマイ君やmoro君と飲み。
3月23日
フェス開始。突貫工事ではあったが見違えるようになってた。
山道を登った先の入り口では警察の検問で、荷物検査など厳重警戒態勢。社会主義国家なんだなぁ〜とあらためて思う。現地のお客さんもホントに沢山集まった。
山内桂さんにもこれまた久々にお会いできて嬉しかった。
フェスの頭である、美術家のDao Anh Khanhさんもご満悦であった。
しかし、開催に向けてあまりにもいろんな問題、障害、準備不足、常識外れ、軍や警察がらみのその他の事柄が発生していて、風人やNicoは爆発寸前(というか実際は爆発してたわさ)。
一見フェスは滞りなく進んでいるように見えるのだけど…まぁ、はっきりいって無茶苦茶で無謀な計画だったわけなのだが…。
水辺の配線で、むき出しの電源の線がコンセントに突き刺さっているのを発見! こりゃ、危な過ぎるでしょ! 事故が起きないことを祈りつつ…。
オールナイトはきついので、一旦ホテルに戻り仮眠。
2月24日
さて、わしの出番は、本日の昼、ほぼ最後、トリ前。
わしの出るステージ2は約30分遅れで進行中。セッティング5分で、演奏時間15分って言われて慌てた。
松岡涼子さんチームの舞台が終わるや否や間髪入れず、わし。「TNK」をアコギで歌ってから、おもちゃのギターでノイズ攻撃。このためにはるばるギター2本持って来た(Nicoがこれをやってくれって言ってたから)。超、ハイスピード&ハイテンション演奏で、10分強で終了。
ラストのチームにバトンタッチしようと思ったら、PAが片づけ初めて、電源が落ち、フェスは終了(予定時刻午後2時半)。
他のステージも同様で(メインステージは2時間遅れで進行していた)、最終的に演奏できなかったアーティストが何組も残った…わざわざ海外から来たのにである。なんとも残念。実はこれ、運営側が電気代の支払いを巡り業者と揉めて、夜中に電気を止めるとかいう話になったが、まぁそれでも契約だから午後2時半までは供給するということになったということだ。
他にも検問のところで、首にかけるアーティスト証を貰っていなかったアーティストが会場に入れず、帰ってしまったという人達もいたとか。
フェスはなんとも後味悪く終了し、疲労困憊の出演者は帰路についたのであった(今夜の便で帰国する人も多かった)。
我々は、ハノイにいる友人ヒョンジュンのところへ。彼は、韓国人向けのスクリーン・ゴルフ屋を経営中。ウニは喜んでゴルフ練習に励む。
閉店後、ヒョンジュン宅にて就寝。明日からは、純粋に観光です。
《お話のある平和コンサート》
3月31日(日) 6:00pm 忠清南道 並川小学校前 アリアリカフェ 公演場
天安市 東南区 並川面 並川2路 28
出演:佐藤行衛(vo,g)、ほか
https://www.facebook.com/Kopchangjeongol
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