前回の日記で、冗談で今年を漢字一文字で表したが、
真面目に考えても「漢字一文字」というのは難しい。
ただ、何度も浮かんできた言葉というのはある。
それは、
『新しい困難に対しては、新しい考え方で戦う』
というものだ。
父親の認知症が進み、幻覚が見え、夜中に騒ぎ出すようになった。
それでも、病院嫌いの父親は、
「病院には行かない」
「病院に行くくらいなら死んだ方がマシだ」
と頑なに拒み、介護保険の訪問調査も、
「人とは会いたくない」
と拒み続けた。
そんな父親をなだめすかし、嘘をついて訪問調査を受けさせ、
病院に連れてゆき、入院するまでに至ったのは奇跡と思える。
認知症への対応の仕方も、相談窓口も解からず、全てが新しい体験だった。
こうした未経験のことには今までの能力では対応できない。
「できることは何でもやってみよう」と動き回った。
色々と試してみて、一番いい状態に落ち着いたかと思う。
そして、その間に得た情報や知識は、同じ悩みを持つ人にアドバイスできる。
逆に、他人にアドバイスするために問題が起こるとも言える。
「この困難を乗り越えることによって自分は何を学べるだろうか」
・・・こう考えると、問題解決に対して積極的になれる。
その積極的な精神がより良い結果を引き寄せる。
「嫌だ」という思いを出すとさらに嫌なことを引き寄せ、
「ありがたい」と思えば、ありがたいことを引き寄せる。
人生の目的は、単に平穏無事な毎日を送ることではない。
人生の中で体験したことから智慧を引き出すことだ。
そして、その智慧を他者と共有することである。
「お笑いネタ」ではなく「救済ネタ」を集める旅かも知れない。
・・・いや、「救済ネタ」は「自虐ネタ」になりやすいので、「お笑いネタ」にもなるかもしれないが(笑)。
車を事故で3台潰したとか、
バイクで車にぶつかって、ハンドルが曲がった状態で帰ったとか、
仕事中に手をローラーで挟んで入院したとか、
足をロータリーに引っかけて骨折したとか、今では笑い話だ。
(↑全部実話です)
人生、いつ、何が起きてもおかしくない。
危機の中で新しい考え方を生み出し、乗り越えたいものだ。
「発想という名の智慧」を生み出すのが人生の目的である。
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