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2018年11月18日05:25

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我が町ー6−1 キングストン、ジャマイカー1 ジャー・ヒロ

我が町と言うには少し抵抗あるけど、1983年と85年に二度滞在した、このレゲエ・フアンを惹きつけてやまない不思議な町、キングストンは僕の思い出の中で今でも息づいている。特に83年、真冬のニューヨークに一週間過ごした後、ジャマイカン・エアラインで着いたキングストンの空港の、滑走路に陽炎が揺らぐ、真昼の熱気に卒倒しそうなほど感動したこと、レゲエではなく、カリプソが流れる空港の建物と税関を過ぎて、さて外に出ようとした時、鉄格子の窓に群がる黒い顔の群れにたじろいだこと、建物を出た途端にわっと集まるヤバイ連中にのけぞり、幸運にも近くの警官が安全なタクシーまで案内してくれたこと、そして車でキングストンの街に向かう途中、曲がり角で両手に枕を持った青年や大きな魚を握り締めた男が通り過ぎる車に向かって大声で売りつける姿や通りを横切る山羊たちの光景にアフリカとカリブと混じりあった、「これこそジャマイカ!」と大声で叫びたくなる興奮と、少しの後悔が胸の中で焔(ほむら)となり正気を失いそうになったことを思い出す。


初めてのジャマイカ行きは空の色から強烈な太陽の日差し、道路の補修部分のセメントに、「BOB MARLEY LIVE!」と書かれたことまで、すべてが驚異と感動で目に映った。特に、小説「ラスタマン・バイブレーション」でも描いたが、縦に何本にも裂けて、もうズボンとは言えない代物を半裸の黒い肉体にまとった男が道端の、ゴミを捨てるドラム缶の中を漁る姿には、ボブの歌う、苦しむ民衆の姿が重なって、深い悲しみなしでは見ることが出来なかったし、よく食べに行った、中華の店で、物乞いをした少年を口汚くののしるジャマイカ人の姿に、(なにもそこまでしなくても・・・)と胸を痛めた。一日タクシーに乗り、キングストンの街を案内してもらった時、金持ちの豪華な邸宅が建ち並ぶ、通称、ビバリーヒルズの丘の下には極貧と思える人々のスラムがひしめいている光景に、異邦人ではありながら、腹が立ったことや、ほんの一瞬通り過ぎただけだけど、70年代の最も銃器犯罪が蔓延した時代に生まれた、銃や銃弾を持ってるだけで終身刑という法律での囚人達が収容されているガン・コートの鉄条網と機関銃で武装した凶悪な姿にジャマイカの闇の世界に心を冷やしたこと、そして多くの若者達の顔がナイフの傷跡で飾られていることで、ルード・ボーイ(不良)の現実に触れた気がした。

ここで当時の旅日記を開いてみる。11月25日(金)KINGSTON行。(約一週間滞在したニューヨークからジャマイカに向かった)早朝なのでネたりおきたりして、落ち着かない。5時UP(起床)。(外は)どしゃぶり。雨の中歩いてE,A,T(EAST AIRLINE TERMINAL。空港バスの発着所)にいく。(大きなバッグごろごろ引っ張って、不安な気持ちで歩いたなあ。)6:20〜7:00、バスでJ、F、K(空港)へ。American Airlineにのる。スチュワーデスおばさんばっかり。日系の人もいた。2:00、Montegobay。3:00、KINGSTON。
すごいエネルギー。暑さ。85度K!ポリスが(タクシーに)案内してくれる。タクシーでメイフェア(ニューヨークで予約したホテル)へ。通りのすごさ!逃げ出したくなるほど。空港にも人が一杯つめかけ、まさにアフリカ!今日はホテルでディナー。US$18,50.早寝!

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