mixiユーザー(id:1037907)

2018年11月26日12:51

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こえる?

バリアフリーとか、ユニバーサルデザイン、とか聞いたことがある人、皆さんの中にもいるのでニャ。

健常者も障碍者も使い勝手がいい事、それがバリアフリーとか、ユニバーサルデザインの目標であり、目的ニャ。

私は出来るだけ「障碍者」の表記を使うつもりニャ。

「障害者」表記が、普通に生きたいだけなのに毎日の生活がまるで「障害物競走」と感じている人、と言う意味で使われているなら、それもありニャね。
でも現実には、障害物扱いしているようで、あるいは、障害物扱いされているようで、違和感や不快感を覚える人たちもいるニャ。
私もそう感じている一人ニャ。

常用漢字表から「碍」の字が外されたために、「障害」の字があてられるようになって、様々な違和感を訴える人達がでたが、当然のながれニャろね。
「障碍者」表記を広めようとする動きがあるのは、嬉しいニャ。

障碍者は、自らの心や体に何らかの障害があるために環境に適応しにくくて困っている人ではなく、周囲の配慮が足りないために普通に暮らしたいのに障害物競走状態の中での暮らしを強いられている人と考えたらどうかニャ。

障碍者に暮らしやすい環境は、実は誰にとっても暮らしやすい環境と言う事になるのでニャ。

普通に暮らしたいのに障害物競走状態の中での暮らしを強いられていると感じている人がほとんどいない、それが当たり前な環境が、実はバリアフリーな環境なのではないかニャ。

そう発想を転換したら、どうなるニャ。

ホワイトな労働環境の職場とは、障碍者に対して働きやすい配慮のある職場、どうニャ。

障碍者であっても能力を最大限に発揮できる配慮のある職場は、健常者にとっても快適な労働環境の職場ではないかニャ。

人手不足と言うなら、障碍者も働きやすい環境を作って彼らの能力を最大限引き出せるようにした方が良いニャ。
他社に先駆けた方が、あなたの求める人材が集まりやすくなることニャろね。

障碍者とは、周囲の配慮が足りないために障害物競走状態での日常生活を強いられている人と見れば、乳母車の人も、もたつく高齢者も、ある意味障碍者となるのでニャ。

子育てや、介護や看病、これらが元で周囲の配慮が足りないために障害物競走状態での日常生活を強いられている立場になっている人は皆、障碍者的な状態に一時的にせよいると見たらどうニャ。

つまり、障碍者とは特別な人達ではなく、人生のある段階では誰でもなり得る状態なのではないかニャ。

そう考えると、バリアフリーは実は、自分たちのためになる、どうニャ。

ユニバーサルデザインは、みんなのためになるデザインのことなのニャ。
でも、無個性、没個性とは違うニャ。
誰もが、使いやすい、使い勝手が良い、そう感じるように工夫する事なのニャ。

その場所や地域の特徴にあった、誰もが使いやすいバリアフリーな施設や設備、システムを考える事がユニバーサルデザインを考える事なのニャ。
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