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2018年11月16日07:36

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我が町ー5−4 世田谷区深沢ー4 ジャー・ヒロ

高校時代のバイク全盛時代には、警官は敵だった。知らない土地で一方通行を逆方向に迷い込んで迷い込んでパトカーに鉢合わせ。くるっとUターンして逃げ出したり、夜に酒飲んで運転中、後ろから近づくパトカーに気づき、「やばい」と、ナンバーを読まれないよう、瞬時に明かりを消し、路地から路地へと逃げまわり振り切ったりと、そうだね逃げてばかりいたね。それで多少根性がついたかも知れない。そんなことないか。そうそう、国道246の駒沢交差点の近所の交差点で、赤になって突っ込んだら警官が飛び出してきて抱きつかれた。仕方なく停まる。そいつに「俺をひき殺す気か!絶対免停にしてやる!」といきまかれ、これは(やばい)と父親に泣きついた。親は歯医者で警察が死体の身元捜しで世話になってるからと・・・。すると所轄の署長命令で事件は握りつぶされたっけ。(警察はいい加減なものだな)と事件を起こした張本人の僕は思った。そんなこともあった。そして何故かよく警官によびとめられた。これが、僕にとって、悩みの種だった。(何故だろう?どうしてだろう?)と頭をひねり続けた末に或る事を思いつく。それは常々後ろ指を差されることばかりしてるから、どうしても交番や交差点に立つ警官を見ると、つい目がそっちに行ってしまう。すると「おいおい、停まれ」と声がかかるという仕組みということに気がついたのだ。それから路上で警官がいても、決して目を合わせないようにして、停められることがなくなる。それでも後年、1983年に初めてジャマイカに行った際、行き帰りにニューヨークに各一週間滞在したのだが、その時ダウンタウンのクスリの売人や売春婦やオカマだらけの地区で目の前を通りすぎるパトカーに目が行ってしまい、警官に「こい」と手招きされた。「僕は善良な日本の旅行者で〜す」と言うと、すぐに解放されたけど。でも原宿トレンチタウンで会った人の中には、警察に連れ込まれて袋叩きにあった話も聞くから、皆さん用心しましょう!決して警官をじろじろ見ないように。ハッパ関係もよくこれで捕まるんだよね。なに話してんだか・・・。

バイクの話はきりなしにあるけど、まっ、また次の機会ということで・・・。今日は町というものを考えてみたい。人も年取り町も年取ることを、そして信じられないことだけど、国も、人間を再生産できず、年取っていくということを。僕が暮らした頃の深沢は、今思うに、新興住宅地だった。歯科医院を開いた我が父親も、30代後半かなあ、若く元気で、仕事の前に田園テニスクラブで毎日のようにテニスを楽しんでいた。周辺の家々には僕と同世代の子供達がいっぱいいた。そして歳月が過ぎていくに従い、人は老いてゆき、子供達は成長して町を去り、古い家が取り残されていく。そのまま代が変わっても住み続ける人もいるとは思うが、何故か転居する人の方が多いような気がする。そしてまた若い世代の家族が移ってきて、新しい故郷と子供達が出遭っていく。もうそれ自身昔の話になるが、ほぼ40年住み続けた家を両親が手放し、妹夫婦の住む千葉に越した後、だいぶ経ってから実家のあった場所を訪問した。話には聞いていたが小さなマンションが建ち、隣の家もマンションになっていた。車を近所に停めて、前にはなかった近所の喫茶店でコーヒーを飲んだ。近所の人達が数人談笑していた。僕が数十年暮らした土地がまったく知らない人々の故郷になったことを実感した。

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