洗濯をして脱水をしていると、ふと経済の事が思い浮かぶ、
脱水をかけると最初はガタガタ振動する、偏った洗濯物を整えて再びかける、
水が抜けてくるに従って回転数が上がってゆく、
最高回転数まで上がってしばらく継続し脱水は完了する、
家に高速脱水機を置いているので、
脱水は通常の洗濯機でも行うが、仕上げに脱水専用機で脱水する、
その時、なぜか経済の事が思い浮かぶ、
まず脱水機を効率よく回すには、
洗濯物の配置が重要、重いもの分厚いものを左右まんべんなく配置すること、
脱水槽に密集してかけるよりも、分散させ薄く広く配置した方が効率的だ、
なぜなら洗濯物に回転で加速度をつけて水を分離させるのが脱水機の機能、
であるなら、洗濯物の層は厚いより薄い方が水を分離させる時間は短くて済む、
短くて済むと言うことは、短時間でも効果が得られるとも言えるし、
より高い脱水の効果を得ることが出来るとも言える、
次に初期の水が抜けるまで回転数は上がらない、
これは洗濯機をかけたものではなく、
タオルなどを手で絞ったものをかける時、実感する、
脱水機を起動すると最初の数秒ほど振動する、
洗濯物に含まれる水分が多すぎるため、バランスが取れないためだ、
数秒から十秒程度の振動をしのぎ切れば回転数は上がってゆく、
初期の振動に驚いて委縮してはいけない、
高速脱水機は小型で軽いので振動の影響が大きく出る、
仕方ないのでしばし手で押さえて振動を吸収するのだが、
回転を上げるために手を出す事で大きな効果を得ることができる、
なぜこれが経済に関係するように思うのか、と言えば、
経済(洗濯物)を廻すための創意工夫である点だ、
個人的な主観だが、脱水の観点で言えば、
手で絞って脱水する経済でよかったのは産業革命以前の話だ、
現代の経済は脱水機のように廻させばならない、
なぜ手で絞っていてはいけないのか?
その速度では維持できない水準の生活と産業を抱えているからだ、
回転を落とさない様に、バランスを崩さない様に、
回転を妨げる物を排除してでも廻す事を主眼に創意工夫を凝らしてゆく、
脱水機から学んだ、と言えば妄想乙と言われそうだが、
分厚い洗濯物はよく稼ぐ高所得層だ、
それが水(資本)を抱いて居ては廻らない、
水が抜ける事で回転は上がってゆく、
分厚い洗濯物から初期の水が抜けると一気に回転数は上がる、
これは景気の目に見える回復だと思えた、
高所得層に使える資金を渡し、使わせる事で経済を廻してゆく、
この観点から言えば消費増税は水の抜けない洗濯物の投入だ、
回転を妨げ続けるだけで、廻す効能はほとんどない、
なぜならそれは「税」だからだ、
経済の視点で言えば、税金が益をもたらす事はあまりない、
駆け込み需要はその後の冷え込みを考えれば益とは言えない、
相続対策の家の建て替えなども、不要不急の出費のせいで、
長期間にわたって、その世帯での消費が冷え込む、
建築業界にとっては益かもしれないが、
消費と言う点で益だけは認められない、
この妄想がある程度意味があるのではないか、と思ったのは理由がある、
江戸時代の経済を調べてみたのだが、
経済規模だけ言えば、あの人口が生きてゆけない程度の規模しかもたないのに、
なぜあの人口を養える経済を有していたのか?
その要因は大火による焼失の復興などの景気刺激があった事もあるが、
お金を使う事の美徳を知っていた、と私は見ている、
現代日本で浪費は悪癖とされるが、
当時の庶民は碌に貯金もないのに結構な額を使う、
それは娘の身売りなどにも繋がるので、
一概に美徳と賞賛は出来ないが、
「気風(きっぷ)のよさ」と消費を讃える言葉は多い、
それらから類推するのは使うことの美徳を、
庶民は経済学が無くとも、生き方のひとつとして学んでいた、
そうすることで小さな規模の経済を、
可能な限り高速で廻して、多くの人が暮らす糧にしていた、
そう考えると、今現代の日本経済は、
専門家も多く居て、勉学として学んだ人も多いが、
経済を、資本を廻し続ける一端を見る限り、
むしろ江戸時代の経済から学ぶ事が多いように思えてならない、
などと洗濯をしながら、ふと妄想した事を日記にしてみました、
珍しくニュース記事を題材にしていない日記ですが、
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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