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2018年10月24日22:19

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ドゥーチュィムニー「「病室での最後まで、基地建設を止めようとした」翁長知事が遺した言葉とは」

 沖縄県の米海兵隊・普天間基地の辺野古移設に反対する「県民大会」が8月11日、那覇市で開かれた。集会には、7万人(主催者発表)が集まった。本来は翁長雄志知事が挨拶をする予定だったが、かなわなかった。参加者たちには、生前知事が遺した言葉や思いが伝えられた。【BuzzFeed Japan / 籏智広太、瀬谷健介】


「ここで諦めるわけにはいかない」
集会では、翁長知事に代わり、謝花喜一郎副知事が県知事職務代行者としてあいさつした。

「まさに戦いはこれからという時、志半ばで病に倒れ、本当に無念であったろうと思います」

翁長知事は、2014年の知事選で「普天間基地の県内移設」に反対を訴え、対抗馬に10万票以上の差をつけて圧勝。

就任以来4年ちかく、政府との話し合いや国を相手取った裁判など、あらゆる手段で県内移設をやめるよう働きかけてきた。

7月27日には、仲井眞弘多・前知事による名護市・辺野古沖の埋め立て承認を撤回すると表明したばかりだった。

「翁長知事は1日1日、しっかりと公務を着実にこなし、県民から私への付託に答えたいのは絶対のことだ、と話されていた。まさに命を削り、辺野古新基地建設反対を貫き通した姿勢は、末長く後世まで語り継がれるものと思います」

「翁長知事は『政府はなりふり構わず埋め立て工事の既成事実をつくろうと躍起になっており、県民の諦め感、無力感を誘おうとしているが、県民の権利を守り、新基地の危険を子や孫に背負わせないため、ここで諦めるわけにはいかない』と言っておられました」


息子に遺した言葉とは
一方、知事の次男で那覇市議の雄治さんがあいさつに立ち、病室でも資料を読み込んでいたという最後の様子を伝えた。

「最後の最後まで、どうやったらこの辺野古新基地を止められるのか、一生懸命病室のベットの上でも資料を読みながら、頑張っておりました」

翁長知事は、雄治さんにこうも言い遺していたという。

「沖縄は試練の連続だ、しかし、一度もウチナーンチュとしての誇りを捨てることなく戦い続けて来た。ウチナーンチュが心を一つにして戦うときには、お前が想像しているよりも、はるかに大きな力になる」

壇上には知事の椅子が置かれ、翁長知事がこの日ために用意していた青い帽子が置かれていた。

「父は最後まで見届けることはできませんでしたが、父に、辺野古新基地を止められたという報告ができるように、みなさま、がんばりましょう」


6日後には土砂投入の予定
政府は8月17日にも辺野古基地建設のため、埋め立て土砂の投入を始める予定だ。

一方の県は知事の意思を引き継ぎ、近く埋め立て承認の撤回に踏み切るとみられる。

知事を「信念の強い方だった」としのんだ菅義偉官房長官は、「唯一の解決策であることに変わりない」としているが、土砂投入についてのコメントは控えている。
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