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2018年10月22日21:50

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四万十川ウルトラマラソン2018

10月21日、四万十川ウルトラマラソン100キロ部門を走りました。

初の100キロ。7月の誕生日に当選メールを受けてからの3か月少々、猛暑の夏の中でトータル1000キロ以上の走り込みを行い、この大会に備えました。
100キロに備えた各種備品やシューズの購入、高知県の四万十市はさすがに遠方のためJTBのツアーに参加したツアー代、フルマラソン以上のエントリー費用 等々、出費の多さも格別でした。近場の海外旅行にも十分行ける出費でした。

前日の土曜早朝に神戸からツアーバスで現地に向かい、受付を済ますと各自割り当てられた宿に向かいます。私の宿は民宿素泊まり。京都から来られたNさん、明石から来られたDさんとの3人相部屋でした。お二人とも気さくでいい方で、初100キロの私にもいろいろアドバイスをいただけました。

スタートは日曜の早朝5:30。そのため夜は9:00就寝、起床は2:15にしました。
手早く着替えと食事を済ませ、巡回バスでスタート地点に向かいます。
気温は10度ほど。寒い。荷物預けにゴール地点行きの一袋と、61キロ地点のレストステーション行きの一袋に分けて預けます。途中、自分の用意したもので補給や着替えができるわけです。

暗闇の中でスタート。さすがにいきなりかっ飛ばす人は少数です。でもスタートブロックでペースの速い遅いの区分けをしていないため、ランナー渋滞がしばらく続きました。
徐々にばらけて、スタートから21キロまでは山越えの登りを攻略します。特に15キロ以降の斜面はすごくキツかった。何とか歩かず登り切り、そして下りに入ると一気に下り坂が10キロ近く続きました。気持ちよくペースを回復。しかしこの攻略が後に大きな誤算を生みました。

下りの途中、トイレを済ませて出たところに何やら二人乗りバイクがコース内でランナーと並走しています。後ろの人は後ろ向きになってカメラを持っている。どうやら「ランスマ」のテレビクルーのようです。走っているのは宇野けんたろう。さすがにペースが速いです。5キロほど並走し、給水所でハイタッチをして一旦別れました。テレビ的な画が必要なのか、エイドでは長めに滞在してボランティアさんと交流をしているようでした。

下り終わるとしばらく平坦な、でも少しばかりの高低差もあるコースが続きます。
フルマラソンの距離の通過が3時間36分台。いいペース。良すぎるくらい。

しかしその後、50キロを過ぎたあたりから両脚の前ふとももの違和感を感じていました。やはり21キロからの下り10キロを飛ばし過ぎたか。でもこれで行くしかない。とすぐに2つ目の山越えが迫ります。最初の山ほどではない距離ながら、急な上り坂が行く手を阻み、またその後の下り坂も急で、さらに前ふとももにダメージが蓄積されました。でもペースはまだキープできる。

途中で「ランスマ」集団に抜かれました。抜かれ際、少しだけ宇野けんたろうさんとお話しもし、今度は握手して別れました。

61キロ過ぎのレストステーション。中高生のボランティアさんが素早く私の荷物を用意してくれており、タイムロスなく受け取りました。素晴らしい仕事ぶり。
靴と靴下は濡れていない、交換不要。着替えも不要。補給用ゼリーと自分用のスペシャルドリンクを煽り、両ふとももにサロメチールを塗りたくりました。痙攣止めの薬を飲み、ポケットに補給用ゼリーを2つ詰め込んで直ぐに出発。それでも約4分のタイムロス。

ここから残り約40キロ弱。ジワジワと暑さが無視できなくなり、給水所では給水のほか、大きなポリバケツに氷水をいれた「かぶり水」が用意され、ランナー達はみな給水の度に首の後ろに柄杓で水をかぶっていました。「ランスマ」集団も再度給水所で長めの時間を取っている間にまた抜かしました。

暑さで体も重くなり、前ふとももの違和感も痛みを伴うようになり、徐々にペースキープが困難になってきました。呼吸も上がってきます。
最近たまに参加するクラブの練習会のコーチが「ウルトラは75キロからが辛い」と言っていました。その通り、ここからの25キロは熾烈でした。

両脚の痛みがさらに増して全体的なペースが落ちてきました。それでも何とかかんとか落ち幅を抑えるよう懸命に走りますが、心理的にも1キロ1キロが長く長く感じられるようになり、距離計算を1キロ間違える(89キロと思ったらまだ88キロだったとか)ことに絶望的に落ち込んだり、心身ともにイヤな流れになってきました。

そんな中の90キロ通過すぐ、遂に自分の体が自分のものでなくなりました。
それは急に来ました。
両脚が動かない・・。
走れ走れといくら脳から指令を出しても脚が全く反応しない。まるで充電の切れたスマホのように。もうそれは努力根性でどうにかなる類のものではありませんでした。
ただ走れずとも、辛うじて脚は前には出てくれたので、懸命に腕を振り、骨盤を回転させ、歩きに近い超スロージョグで何とかキロ8〜9分で進むのが精一杯。このまま失意の中ゴールすることになりました。
91キロ地点辺りで「ランスマ」集団に抜かれました。
93キロ地点辺りで同室だった京都のNさんに抜かれました。
中盤で抜いた女性ランナーにも、キリンの着ぐるみをきたランナーにも抜かれました。
でもそんな無様な私の走りにも沿道の応援は温かかった。
沿道のお年寄りや小さな子供まで、遠くからヨチヨチ走ってくる私のゼッケンを見て調べて、名前を直接呼んで応援してくれた。給水所のボランティアは遠くから手を振って「給水所までもう少しです、頑張って」と大声で呼び入れてくれた。
ゼッケンに書いてある住所地の都道府県名を見て、「兵庫から来はったの、来年もおいでなぁ」と笑顔のおばあちゃんがいた。
ラスト数キロからはみんな「おかえり〜!」と言って迎えてくれた。
抜き去っていくランナーからも「あと少しです。頑張りましょう!」と励ましてくれた。
遂にたどり着いたゴール地点、こんな私にもゴールテープを用意して切らせてくれた。

応援の力を一身に受けて、そのおかげでゆっくりではあるが最後まで走り切れました。

グロス 9時間20分25秒
ネット 9時間19分56秒

1日経過した今日、凄まじい痛みが両脚にまとわりつき、走ることはまだできません。内臓も遅れてダメージが出たのか食欲もあまりなく、少々回復に時間を要するようです。
でも力を余してゴールして、ああもう少し頑張れたのではと後悔するのではなく、完全に自分の限界まで到達した走りができたので、今は悔しさも孕んだ良い満足感で一杯です。

次走は11月18日の神戸マラソン、でもこれは奥さんが初マラソン挑戦するレースのため、付き添いに徹し、本気のレースは11月25日の大阪マラソン。去年の大阪では自己ベストが出ました。1日も早くウルトラマラソンのダメージを回復し、戦える身体を取り戻そうと思います。



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