mixiユーザー(id:18006698)

2018年09月23日02:29

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「ごめんなさい、これより大きな声では話せない。」

真実が全て明らかになるものなら、私はとっくに淘汰されているだろう。
忘却というものがないのなら、私はとうに圧殺されているだろう。

経験科学も含めて、科学は私に憐れみの一瞥もしないだろう。
フッサールやハイデガー、サルトルらは十分に研究されたのだろうか?
(否、まるで研究されていないというべきだ。)

そういったことについて、私は私の連れとごくまれに話し合うことができる。
それは私の強みかな。そのうえ連れはキリスト教会のメンバーだ。

私のこのような状況は誰かにとって嫌悪を誘うものかもしれない。
それは沈黙という名の、この社会での大人の嗜みによって遇されるかもしれない。
いやたぶん遇される。

私は本当は臆病なので、対象の言動に注意を払う。
肯定されることを求めるほど厚顔無恥ではない。
そして隠されているであろう嫌悪にやはりとため息をつく。

なぜこんな得にもならぬ(致命的な)書き込みをするのか?
言葉という呪術にまだ希望をもつからなのか?
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