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2018年08月28日02:42

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さくらももこ

《憧れた偉人のひとり》

本日の仕事の休憩中、不意に同僚と『さくらももこ』の話になった。
話の大筋は今や国民的アイドル『ちびまる子ちゃん』だ。
代表するクラスメイトの実在人物か架空人物かを言い合っていたワケだが、どうしてそんな話題が出たのかはさっぱり分からない。

でも、これって俺の中の虫の知らせみたいなものだと思う。
過去に似た事が何度もあった。

唐突に思い出したかつての友人知人や、不意に頭に浮かんで離れない同僚など、知り得た人物が去る手前で何故か思い浮かぶ時間帯は僅かばかりではあるものの、異常な程に濃密だ。


当然、俺はさくらももこ本人に面識はなく、彼女の異常なまでの引っ込み思案もあって、その姿を知っている訳でもない。
でも、俺からすれば数少ない憧れの対象ではあった。

例えば、その時代の年齢層というか、
『有名な人で憧れる相手は?』
みたいな質問を若い頃にけっこう受けたが、回答は必ず決まっていた。

男性ならば『志村けん』
女性ならば『さくらももこ』

この両名だ。俺の中ではとにかく偉大な人物だ。他には誰も居ない。見付ける気も無い。

性格を隠さず、したい放題に見せる志村けん。
徹底して過去を惜しみなく暴露するさくらももこ。

両名は誰もが出来る事を、誰もが持つ記憶を『イメージ』ではなく『実際に』伝える事が自然と出来る存在だと思い、そこに強さを感じ続けていた。

その片方が他界したとか。
原因は乳癌らしいが、そういった事実を一切メディアに伝える事無く他界した所が彼女らしい一面であり、彼女のままの最期だと感じたのが第一印象だった。
アニメ『ちびまる子ちゃん』でブレイクした声優のTARAKOですらその事を知らなかったみたいだから、彼女の書き記したエッセイにあるように、本人は病的な程に臆病だったのかもしれない。

結局、最期を迎えた今現在でも姿を外に出す事はなく、そして本名も伏せたままの偉人は、これから新たな伝説を生むようにも見える。

桜の花に、桃の花。
どちらも日本を代表する綺麗な花だ。
今や日本国内に限らず、世界中から大切にされる日本を代表する花だ。
しかし、その存在はいとも儚く…。

53歳での永眠。
花の名前に見合った存在であって、最期なのかもしれない。


《さくらももこ》

メディアを気にしない俺は、世界の流れを知らない。
自分の趣味だけに目を向け、その他はどうなってもいい。
なんて、昔からあまり変わらない性格。

ちびまる子ちゃんを知ったきっかけは、中学2年だか3年の頃に爆発的に巻き起こった日本全国のブレイクの波が通っていた中学校にも押し寄せ、そこで知ったものだ。
誰もが真似できそうなその絵は実際に誰もが真似できた訳で、ちびまる子ちゃんを知る人々が面白半分に絵を描くもので、興味が無くとも視野に入ってしまう。

…で、日曜日にぼんやりテレビを眺めていると、なんだか見覚えのあるアニメが実際に放送されているワケだし、なんか曲もブレイクし過ぎていて知っていたワケだし…。

テレビの影響力の凄さは知っているが、このアニメに関してはさくらももこ本人の影響力でしかないと思う。
インパクト抜群の主題歌『踊るポンポコリン』はさくらももこ本人が作詞したとかで、アニメに興味が無く、ちびまる子ちゃんを知らない人までが魅了されたこの一曲は、すなわちさくらももこ本人がファンを作り上げたと表現できるだろう。
意味不明な歌詞部分は彼女を知れば知るほど理解出来てくる不思議があった。

俺個人の単純な解釈としては、彼女は幼かった自分をずっと大切にしており、そんな自分の脳裏の記憶を歌詞にしただけの話なのだ。
だから意味不明。…でも、その意味不明はきっと、誰もが昔、確かに持っていたものだと思う。

誰もが主人公になれる可能性ではなく、誰もが主人公として実現化可能と教えられる『それぞれの存在』。
そこに『さくらももこ』という人物が一個人として存在し、そんな自分を過去談として『知らせる』という形で表に出ただけの話が、結果的に大事になっただけの話とも思える。

誰もが出来る事。
誰もが出来ると知っているから、誰もやらない。
でも、彼女はそれをやってみた。
それだけの話だ。…でも、そこが凄い。

やっぱり憧れる。これからも憧れるだろう。


《手にした著書》

もともと本を読む事の無かった俺だが、ちびまる子ちゃんの単行本はある程度買い集めていた。
買い集めていたのだが、ある時、全て妹に奪取されてしまい、以後、単行本は買わなくなったのだが、予想外に連載は早い段階で終わってしまった印象がある。

その後、どんなきっかけかは忘れたが、以下の著書を購入していたりする。

『もものかんづめ』
『さるのこしかけ』
『たいのおかしら』
『そういうふうにできている』
『あのころ』
『まるこだった』
『憧れのまほうつかい』
『ももこのいきもの図鑑』
『富士山第一号』
『富士山第二号』

当時、インターネットなんて言葉も知らなかった時代。どうやって情報を仕入れていたかも忘れたが、何かにつけて発売日を知り、発売当日に本屋に走ったものだ。(本当にどうやって知ったのだろう?)

唯一覚えている情報と言えば、『もものかんづめ』だか『さるのこしかけ』だかの情報を、何らかの本? の1ページに宣伝されており、販売日を知った事は覚えている。


ちなみに、こう言ったマンガや小説とは異なる本の所持数は全12冊。さくらももこの関係がここに10冊揃っているという事は、他には2冊のみである。

ちなみにその内の1冊は、志村けんの『変なおじさん』だ。

そしてもう一冊が、アルバイト時代に青果部門からかっぱらってきた
『舞茸の不思議パワー』
とかいう、舞茸の栄養についてのお話。
どうしてこれが職場にあって、そしてどうしてこれが欲しくなったかは未だに不明…。


《憧れのまほうつかい》

さくらももこ自身が著作したタイトルの一つだが、このタイトルはいい。
内容は彼女目線の様々な芸術についてだと思ったが、そういった中身よりも、このタイトルそのものに響きがあって大好きだ。

今現在、何となくビール片手に牛たんジャーキーなるものを口にしていて思考がおかしくなっているが、要約するとこうだ。

さくらももこはこの著作を施す以前に『憧れる側のまほうつかい』なのだ。

以上。


《夢をくれた人》

『現実に起きた内容を記憶のままに伝えるだけ』
言葉さえ知っていれば、誰だって出来る事だ。それこそ、本当に誰にでも。

高校二年の夏休みまで、俺は迫り来る将来に悲観してばかりだったのだが、『小説家』の夢を持ったと同時に憧れたのがさくらももこだった。
存在した事実を存在したままに思い描く姿が彼女ならば、思った事を思ったように表現する姿を俺が持つ事も可能なのでは? …と。

喋る事は苦手ではない。喋る事、思った事をそのまま文字にすればいいだけなんだ。
なんて、変に安心した。希望ができた。
そしてそれは驚くほど強くなった。

そんな希望はやがて仲間を連れて来た。その仲間が更に仲間を呼んだ。
変な具合に俺が中心になっていた。
そして短くはない期間、夢を追う事が出来た。

それでも夢を、いつの日か追う事は無くなっていた。
しかし、今も『あの頃』を思えば苦しさが和らぎ、先を進む事が出来るチカラを手にしていた。それこそ、いつの間にかに。

俺にとって、さくらももことはそんな人。
そんなさくらももこに憧れた。


《あとがき》

冒頭にも記したが、友人知人がこの世から去る寸前に対象を不意に思い出す事がけっこうある。
けっこうあるのだが、さくらももこはエッセイという名の情報によってある程度知り得る人物であって、決して友人でも知人でもない。

…にも関わらず、永眠の情報を目にした時に、何故か
『そういえば、昼間に話題が上がってたっけな…』
なんて、まるで暫く見ていなかった友人のような感想めいた思いが自然と浮かび上がった。
初めて知った情報に驚きもなく、なんだか諦めに似た思いと同時に、馴れ馴れしくも
『よく頑張った人だな』
…なんて思いまでも…。

彼女の姿は最期まで知れず、唯一の姿写真は『富士山』のどこかに掲載されていた、おしろい化粧の着物姿の彼女が全て。
そんな姿のイメージしかないが、それが俺の中の『さくらももこ』の姿なんだろうな。

憧れの人。
そんな相手だからこそ、何となく確かめたい真実があるけど、それが分からないままに終わる現実は、ある意味で嬉しい事なのかもしれない。
だって、知り得ない分だけ永久に憧れていられる訳だから。

ひとまず、お疲れさまでした。
おやすみなさい。

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