大坂の陣の新?論点
・『真田丸』により、時代考証担当などにより研究が進む。淀、秀頼、且元、五人衆はこの時期に良い概説書が揃う。特に平山優『真田信繁』は労作。しかし未解明の課題もまだまだある。
真田について平山著作などで取り上げられていないこと、異論があるところは。同様他4人。
評判の良かったドラマだが、従来よく語られてきた面を踏襲している点も多い。(例 淀の描写)
不当評価を受けているのは?
・大坂の陣の経過は雑誌、小説でも同じ流れ。しかし蒲原二郎さんが道明寺の合戦の日の霧の問題について新たな見解を示し、平山氏が賛同する。同じようにまだまだ誤りが通っている部分は
・例えば毛利勝永視点から見ると、真田を落胆させたという本多隊への突撃、取り上げる人により竹田隊、福島隊などと書いているものもあるが。
・細川忠興は「真田後藤手柄、治長弱い」などと語るが、自分の前に小倉にいた勝永については、秀頼に殉死の顔ぶれに入れているだけで、その戦ぶりについては語っていない。藤堂に陣借という話もあり、戦ぶりはすぐ近くで見ているはずなのだが。あえて無視をしているのか、あるいは。
・わかりやすく、『真田丸』でもそのまま扱われた徳川家康陰謀史観は歴史家からは否定され、豊臣側の無謀な反抗のように語られる傾向にある。最も秀頼は有力な政権担当候補者として、二重公儀体制論も相変わらず語られているが。
また一族、重臣を大坂に送り込んだかもしれないというケースも多いが、本当に無謀な戦なのか、大坂の人はここでひっくり返った可能性をよく語るのだが
・真田丸の構造、戦のありよう(長屋氏が徳川側の統制が取れていたら真田丸は落ちたと語っていたらしいが、徳川側の戦いよう、当時の戦の真実は)
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