「『痩せゆく男』を観るか、『アンフォゲッタブル』にするか……」と歌舞伎町の映画館が掲げた看板を見比べ、しばし思案した後、どちらを観るでもなく酒場に繰り出すという行き当たりばったりな東京一人旅を愉しんでいた頃。
あの頃が僕の青春期において、(それはそれで色々あったものの)最も気楽で自由な時代であったなあ、と思い返す。
先月25日、入院をした。意識は無かった。取り戻したのは27日未明。
酷く喉が渇いた。両手両足を拘束されていたのは、無意識の内に点滴のチューブ等をひっぺがしたりしないように、らしい。
顔が痒いなあ。
そうなったら、もういけない。あちらもこちらも痒くなる。異様な喉の渇きは、それを訴えることすらも封じるかのように口中をべとつかせた。
ようやくのことで意思伝達が叶った後、水差しで数度、少量の水を飲ませてもらった。朦朧とした意識ながら、僕が身を置いた暗がりがICUであったことは、その部屋の構造からも察せられた。
夜が明けて透析。透析が行われたという実感は、その前も後も、無い。
「昼食が出る」ということだったが、夕食にずれ込んだ。そのこと自体は別段、構わなかった。
その後、入院ということになり(それまでに複数の病院・病棟を経たらしい)、夕食が供された。
生まれて初めて、「このまましばらく入院したいです」と言ったことは、はっきりと覚えている。
胃潰瘍に交通事故と、入院経験は幾度かあるが、常に「早く出たい!」と思っていた僕が、「しばらくどこでもいいから入院していたい」と言ったのだ。
結局、翌日には「約束があるから」として退院を希望したのだが、その約束に応じられる体力を有していなかった僕は、現在、入院することなく、かといって、きままに外に出られる状態でもなく、こうして家に居る。
なんだか、色々と億劫だ。
といった中、意識は過去に向かう。
1990年代終盤の歌舞伎町。楽しかったなあ、って。
そんな回顧が有意義なものではあると思えないのだけれども。
それでも、楽しかったなあ、って。
ログインしてコメントを確認・投稿する