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2017年09月13日21:05

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平泉へ・・・

 2日目の9日は岩手県の平泉に行って来ました。
 同居人の生前、次はどこに行こうかと話した時の候補の1つだった事もあり、
 平泉の寺院などの浄土庭園が復元されているのも見たくて出掛けました。
 平泉には、高校時代に友達と行った事がありますが、それ以来です。

 宇都宮を午前6時54分の下りの始発のやまびこに乗りました。
 一ノ関で新幹線から東北本線の普通電車に乗り換えて、
 平泉に着いたのは9時4分でした。
 一ノ関からの電車は2両でしたが、とても混んでいて往復とも座れませんでした。
 平泉駅で多くの人が降りましたが、
 大人の休日俱楽部切符を持っている人が半分位だった印象です。

 駅の観光案内所で地図をもらって柳之御所遺跡に向かいました。
 柳之御所は、奥州藤原氏初代清衡が江刺郡豊田館から磐井郡平泉に移ってきて
 居館をかまえた所で、3代秀衡が政庁・平泉館とするため再整備を行ったとされています。
 秀衡は、隣接した地に伽羅御所を建築したとされていますが、
 伽羅御所は住宅などが建っているため大規模な発掘調査は行われていないようでした。

 柳之御所跡に隣接して道の駅が出来ていました。
 また発掘調査の結果などを展示している資料館がありました。
 そこでは、建物などを復元した映像などもあり、興味深く見る事が出来ました。

 柳之御所から高館義経堂に行きました。
 ここは、源義経の最期の場所として知られる衣川館のあった場所と伝えられていて、
 館の跡には、1683年(天和3年)に仙台藩藩主伊達綱村が、
 義経堂と義経の木像が建立し、それが現在まで残っています。
 僕は、義経堂は最近出来たものと思っていましたが、歴史があるのに驚きました。
 有名な義経像の前面にガラスが入っていましたが、何とか撮る事が出来ました。
 義経の享年は31歳でしたから、こんな立派な顔をしていなかったとは思います。
 また、ここには1689年6月29日(元禄2年5月13日)に松尾芭蕉が訪れ、
 「夏草や 兵共が 夢の跡」を詠んでいます。

 高館義経堂から少し戻りましたが、無量光院跡に行きました。
 無量光院は、藤原秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院です。
 建物などは度重なる火災で焼失し、今日では土塁や礎石が残るのみですが、
 発掘調査が行われ、庭園を再現整備している途中で、外から見るだけでした。
 源頼朝の奥州征伐に従って来た関東の武者たちは、
 その寺院や庭園の素晴らしさを感じたようで、
 足利義兼は無量光院や毛越寺を模して樺崎寺を建設したようです。
 樺崎寺跡も足利市によって復元整備されています。

 無量光院から中尊寺に向かいました。
 地図では踏切を渡って行くようになっていましたが、その道は工事中で、
 人も通れないとの事でした。
 警備員の話によると、大きく迂回しなければならないとの事でしたが、
 歩いている途中で、中尊寺への近道の看板が出ていました。
 田圃の中の道を歩いて、東北本線の高架下を通るルートでしたが、
 看板がなければ分からなかったろうと思います。

 その抜け道を通って着いた所が平泉文化史館でした。
 ここは民間でやっている資料館のようで、
 正に昭和の雰囲気がしっかりと残る博物館でした。
 入館料は無料で資料代として10円との事でした。
 展示されているのは、平泉の文化ですが、
 歴史上の人物を吉徳大光が人形に製作していて面白かったです。
 更に、栃木県出身の日本画家羽石光志の描いた「源義経主従東下り平泉入絵巻」が
 展示されていて、入館して良かったと思いました。

 そこから中尊寺の月見坂に入りました。
 中尊寺の参道になっている坂道です。
 途中の蕎麦屋で昼食にしましたが、観光地ですから値段は高かったですね。
 中尊寺本堂は、やはり立派でした。
 丁度正午だったので、僧侶が鐘を突いているところに行き会いました。
 境内では、東日本大震災の犠牲者の七回忌の法要の受付をしていました。
 もう七回忌かとの思いがありました。

 そして今回の最大の目的の中尊寺金色堂です。
 中尊寺の宝物殿である讃衡蔵とセットになっていましたが、
 この讃衡蔵も丈六の仏像や金色堂の副葬品など見応えがありました。
 藤原泰衡の首桶と言うのもありました。
 金色堂はやはり素晴らしいですね。
 高価な金や螺鈿などを惜しげもなく使った工芸の粋と言う感じがしました。
 長い時間眺めていても飽きないと思いました。

 金色堂から近くの白山神社に行きました。
 国の重要文化財になっている能舞台があります。
 この能舞台も迫力のある建物だと思いました。

 その後、月見坂を下って来ましたが、坂の両脇には多くのお堂がありました。
 どのお堂も御朱印の表示がありました。
 今の御朱印ブームに応えるものなのでしょうね。
 中尊寺だけで何個の御朱印があるのだろうなどと詰まらない事を考えてしまいました。

 中尊寺から平泉文化遺産センターに寄りました。
 ここは平泉町が運営している資料館です。
 様々な発掘資料などが展示されていましたが、
 他に「天長地久 平和への架け橋」とする人形を使った展示もやっていました。
 入館料は無料だけど、帰る時にお気持ちだけ募金して下さいと言われ、
 100円だけ募金したら、平泉が世界遺産である事をプリントしたシールをもらいました。

 そして、最後に毛越寺に行きました。
 毛越寺は藤原基衡が創建した寺院です。
 もちろん、元の寺院は全て焼失してしまいましたが、
 再建され、浄土庭園も再整備されていました。
 広大な面積に驚くばかりでした。

 毛越寺から平泉駅まで歩いて帰りました。
 駅に着いた時には汗でびっしょりになっていました。
 帰りの新幹線の指定席を取って、ベンチに座りました。
 隣のお婆さんに凄い汗だと笑われてしまいました。
 その前日は2枚のハンカチを持って行ったのですが、
 その日は1枚きり持って行きませんでした。
 そのお婆さんから買えば良いではないかと指摘され、それももっともだと思い、
 駅のコンビニで買い、
 ついでにお婆さんが食べていて美味しそうだったアイスクリームも買いました。
 しばらく、二人でアイスクリームを食べながら世間話をしました。
 彼女は、平泉町に住んでいて、家にいても詰まらないので、
 駅に来ていると言っていました。
 観光地ですから色々な人が来るのでしょうね。
 マンウォッチングも面白いのかも知れません。
 お婆さんと別れて、行きとは逆の道順で帰って来ました。

 また写真をアップしましたので、宜しければご覧下さい。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708


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