昨日の終戦記念日は仕事をしながら静かに過ごし、今日は東京で16日連続の降雨を観測し気温も10月並みで涼しかった。そんな訳で、徒然なるままに高一の時に読んだこんなエピソードを思い出した。
「この年の夏は、7、8月と涼しかったが、8月末に急に暑くなった。
戦争中は、毎朝8時に侍従武官が天皇のもとにあがって、その日ごとの天気予報を報告することになっていた。天気予報によって、空襲や作戦が左右されるからである。
8月30日夜は、今井秋次郎大佐が海軍側の当直であった。もう空襲もなかったので、熟睡し、翌朝7時半ごろになって、目が醒めた。もう軍令部から気象通報について、電話もかかってこなかった。
そこで、今井大佐は深い意図もなく、時間になっても御文庫のほうにでかけなかった。すると、8時15分ごろに、侍従から電話がかかってきて、お上が天気予報を待たれている、といった。
今井は慌てて、軍令部に電話をした。そして、気象通報を集めると、御文庫へ行った。
今井は、軍令部からきいたとおりに、ここ数日は曇天か、小雨になるだろうと申し上げた。天皇は、いつものように黙ってきいていた。
それから、窓の外に目をやられて、独り言のようにいわれた。『では、稲は大丈夫だね』」(加瀬英明『天皇家の戦い』)
貞明皇太后は、玉音放送を聴いた後に毅然としてこう言ったという。
「皇室が明治維新の前に戻るだけのことでしょう」
明治維新前から現在に至るまで連綿と続く天皇家の役割とは、祭祀の主宰者として皇祖皇宗を祀り五穀豊穣を祈ることだった。「稲は大丈夫だね」という昭和天皇の一言は、侍従武官との単なる世間話ではないのである。
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