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2017年05月14日07:23

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動物は美がわかるのか:審美眼は人にしかないのか(3)

 既述のハンディキャップ理論は人間についても適用でき、幾つもストーリーがつくられている。男性のほうが女性よりも背が高く、体格もよい点に目をつければ、このことをクジャクの場合と同じように物語化できる。男性は食べ物を確保する能力や肉体能力を女性に誇示するために大きく、逞しい体格になっていったと考えることができる。
 だが、男性は酒やタバコといった習慣性の高いものを摂取する率が女性より高いことや、自らを危険にさらす行動も女性よりも好きだといったことも、ハンディキャップ理論によれば、何らかの進化した本能の表現ではないか、ということになる。
 このような研究に結論が出たわけではないが、ハンディキャップ理論に基づいた研究が進めば、近い将来人類の進化に関して驚くべきストーリーが発見されるかも知れない。男性が女性よりも大きいのはもしかしたら、精神的には女性よりも繊細でよりか弱い生き物であることのハンディキャップなのかも知れない。
 次々と新しいストーリーが現れるということ自体、人間はさらに進化しているということの証拠であり、ハンディキャップ理論という考え方が出てきたこと自体が人間の進化の証拠なのかも知れないと考えることができる。(一方でハンディキャップ理論自体が誤りだということになることもあり得るのである。)
 こうなると、ストーリーつくりができれば何でも説明できた気になってしまう。だから、ストーリーの裏付け、ストーリーからの予測等が不可欠になることは言うまでもない。ハンディキャップ理論は決して万能ではない。だから、ストーリーをつくるためのシナリオタイプのパターンは複数あった方がいいだろう。

 さて、話が散漫になってしまったが、常識的な性選択についてはまだきちんと説明していないので、それをこれからグッピーを例にして具体的に考えてみよう。これはハンディキャップ理論というシナリオタイプとは別のシナリオタイプと考えて構わない。

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 ダーウィン風の標準的な考えに従えば、動物の世界ではオスはメスに選ばれないと子供を残せない。常識的には、動物世界での繁殖に関するオスとメスの関係は、「メスがオスを選ぶ」という関係である。つまり、オスはメスに選ばれることによって繁殖が成り立っている。これはヒトの場合とは事情が違うように見える。というのも、「ヒトではイケメンのオスがメスを選んでいる」という意見が(最近は減ったとはいえ)必ず出てくるからである。だが、ヒトでもメスは子供を産みたいと思ったら相手になってくれるオスを選びさえすれば、どちらかに不妊症の問題さえなければ、必ず自分の子供は作れる。ところが、オスは自分の精子を受け取って子供を産んでくれるメスが見つからない限り、自分の子孫は残せない。オスもメスも生殖には不可欠というのが両性生殖なのだが、生殖の負担となれば圧倒的にメスが負うことになる。だから、オスを選ぶくらいはメス主導になっているというのが常識の考えなのである。
 こうして、動物の世界ではメスに選ばれるためにオス同士が争ったり、オスがメスの好む形態に変化したりと、メスに選ばれるということを基準として起こる「自然選択=性選択」が一般的に見られるのである。クジャクのオスの尾羽や派手な模様のオスの熱帯魚、オス同士が戦って一番強いオスがメスを総取りするゾウアザラシなど、広い範囲に渡ってメスをめぐる性選択が起こっていることが観察されている。
 この性選択では、クジャクの尾羽やキンカチョウのくちばしの色など、メスがオスの「見た目」の派手さなどはっきりと優劣のつくものを基準として、ある意味で客観的なモノサシでオスが選ばれることが多いと思われてきた。メスはオス選びを色や形、行動を通じた美的判断によって行っているという訳である。ところが、グッピーでは従来考えられていたような「美しい」という基準以外に「珍しい」という基準でメスがオスを選ぶ性選択が起こっていることが報告されている。
 実験自体はきわめて簡単なもので、野生のグッピーが住む川でおおまかに見るとオスが2パターンの模様を持っているものがいる場所を探し、旧来の性選択理論ではより美しい方がメスに選ばれることによって、そちらのパターンのオスだけになっていくことが予想されるところを選び、野生の環境のまま実験を行った。従来の性選択理論だと、尾が派手なものがメスに選ばれて、こちらのパターンがどんどん増えていくことが予想されるのだが、この川ではいつまでたってもどちらもバランス良く生き残ってきていることから、研究者はグッピーでは、メスが「派手なオス」を選ぶという従来型の性選択以外に、数の少ない「珍しいオス」を選ぶという性選択も働いているのではないかというのが実験の前提となった「仮説」である。
 そこで、川の中でグッピーがほとんど行き来できない閉ざされた流域を選び、そこでふたつの模様パターンを持ったオスとメスの数の比率を調整し、派手なオスが多いグループと、地味なオスが多いグループの集団を作り、それぞれの集団で生まれてくる子供がどちらの模様パターンになるか(つまり、どちらのオスの子が多く生まれたか)を調べてみたところ、非常におもしろい結果になった。
 つまり、ここのグッピーでは派手なオスが多い集団ではメスが地味で珍しいオスを選んで子供を産み、逆に派手なオスが少ない集団ではメスが派手で珍しいオスを選んで子供を産む結果、派手なオスと地味なオスのバランスが保たれるような「性選択」が働いているということになる。
 「珍しさ」、「派手さ」、「美しさ」、「強さ」、「大きさ」、様々な指標とその判断はどこかで生存と生殖の有利さにつながっている。つまり、これら指標は最終的には生存と生殖に寄与しているのである。指標とその最終ゴールを実現する因果的な過程とその過程がなぜ存在するかを説明するストーリーの両方がないと私たちは「わかった、知った、理解した」気になれないのである。物理学にはこのようなことがない。物理学で前提にされるのは対象の存在だが、生物学で前提にされるのはそれだけでなく、さらに「生存と生殖」が前提されているからである。生存と生殖が因果的過程とその過程がもつストーリーの両方を求めるのである。

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