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…「BLOOD SUGAR SEX MAGIC」/RED HOT CHILI PEPPERS
ミクスチャーロック、という言葉を調べると、その語源にはRED HOT CHILI PEPPERS(以下レッチリ)の名前をよく目にするような気がする。
現在ではミクスチャーロックという言葉もすたれ、レッチリはジャンルを超えたロックを代表する王者に君臨する。
彼らが当初は、アンダーグラウンド臭が強い、悪ガキのようなバンドだった、ということを認識している人はどれくらいいるのだろうか。
レッチリの1stは1984年に、バンド名をセルフタイトルにし発表された。
当時はオリジナルメンバーだったヒレル・スヴァロクとジャック・アイアンズが、他に組んでいたバンドに専念するために脱退しており、急きょ、オーディションで加入したジャック・フリーマンとクリフ・マルティネスがレコーディングに参加。
アンソニー・キーディスとフリーがファンだったGANG OF WARのアンディ・ギルがプロデュースし、発売された。
その80年代そのものの、深くエコーのかかった音に愕然とし、怒ったメンバーが糞をのせたピザをアンディ・ギルに送り付けた、という話は有名な話。
このアルバムは、チャートに登場すらしなかった。
…と書くと、あまりにも出来が悪いアルバムのように思うが、これがどっこいそうでもないのである。
アンソニーの野生動物のようなボーカルと、フリーの確かなテクニックに裏打ちされた破天荒なベースプレイはこのあるから健在だし、ジャックのギターもいい味を出している。
アンディのプロデュースによる音も確かに深いエコーが特徴的だけど、ニューウェーヴっぽい雰囲気もあるし、これはこれでカッコいい。
たしかに現在に至るまでのレッチリは生々しい音が特徴的で、この人工臭さが漂う音はメンバーは嫌なのかもしれないけど、だからといって作品の出来が悪いとはならないのではないだろうか。
オルタナティブロックが好きな人なら、この1stは評価以上に楽しめるアルバムではないかと思う。
1stでの痛い思いが良い薬になったのか、2nd「FREAKY STYLE」ではPファンクのジョージ・クリントンをプロデューサーに迎えて制作。
ヒレルが復帰したこのアルバムではかれの切れ味の鋭いカッティングがとても良い躍動感を生み出している。
サウンドもさすがはジョージ・クリントンで、60〜70年代の渋いR&B・ソウルのような生々しい音を生み出しており、これがフリーの生み出すダイナミックなグルーヴととても相性が良い。
アンソニーは1stのような破天荒さを残しつつ、徐々にメロウに聴かせるようになっており、これがこの渋いサウンドにハマっている。
この音が理想なら、確かに1stの音は糞なのかな、とは思う(けど、決して悪いアルバムではないんです。1stは。)
ようやく活動が軌道に乗ったレッチリはドラムにジャック・アイアンズが復帰し、初めてオリジナルメンバーでアルバムを制作する。
その「THE UPLIFT MOFO PARTY PLAN」は、後の大成功を予感させる堂々のロックアルバムに仕上がった。
このアルバムでは90年代にSOUNGARDENやKORNを手掛け、時代の寵児になったマイケル・ベイホーンがプロデュースしたのだが、その音はハードかつエッジのきいたもので、非常に攻撃的で刺激的なものになった。
冒頭の“Fight Like A Brave”のダイナミックなグルーヴからして聴き手の心を鷲掴みにし、彼らの音で、頭をガンガン揺さぶられる。
80年代のオルタナティブロックの名盤の一枚と評価しても良い、素晴らしいアルバムだと思う。
順風満帆と思われたレッチリに、ここで悲劇が訪れる。
エキサイティングかつテクニカルなギターでバンドを支えていた、ヒレル・スヴァロクがヘロインの過剰摂取により他界してしまうのである。
さらにはドラムのジャック・アイアンズも脱退。
レットリは苦境に立たされる。
ドラムにはオーディションの末、後に現在までスーパードラマーとして名をはせることとなる、チャド・スミスが加入。
そしてギタリストには当時、レッチリの大ファンで追っかけをしていた18歳のジョン・フルシアンテ少年が加入したのだった。
この少年が、レッチリだけではなく、現在までのロックすべてに多大な影響を与えるギターヒーローになっていくなんてことは、当時、どれだけの人が予想できたのだろう…。
その2人が加入し、再びマイケル・ベイホーンとタッグを組んだ「MOTHER'S MILK」が発表されたのは1989年。
前作でも提示されたハードかつエッジのきいたサウンドが特徴的で、何よりもびっくりするのがジョン・フルシアンテ少年の素晴らしいギターである。
この時点で彼がぶっ飛んだ存在であることは、一聴瞭然。
フリーとチャド・スミスという超強力リズム隊と互角以上にわたりあっている。
この時のギターについては、ジョン自身は初めてのレコーディングということもあり、マイケル・ベイホーンにハードなプレイを強要されたこともあって不満、らしいのだが、それでこれだけユニークなフレーズを生み出すということは、もうすでに並大抵の才能ではなかったということだろう。
アルバムは“Knock Me Down”に代表されるようなよりメロディを強調された内容になっており、アンソニーも超低音を上手く効かせた見事なボーカルを披露している。
アンソニー、フリー、ジョン、チャドという一番有名なラインナップで傑作「MOTHER'S MILK」を生み出したレッチリは、ワーナーレコードに移籍。
そして、ついにロック史に燦然と名を遺す歴史的名盤「BLOOD SUGAR SEX MAGIC」を発表する。
フリーとチャドの最強リズム隊による躍動感あふれるダイナミックなグルーブ、アンソニーのラップとメロディを上手く使い分けた情感豊かなボーカル。
これまでのレッチリの成功を支えた個性が十分に発揮されながら、さらなる新しい息吹を吹き込んだのは天才ジョン・フルシアンテだった。
彼は90年代を迎えたロックの扉に枯れた音でノックした。
その枯れた音から生み出されるフレーズはシンプルながら一音一音が丁寧に紡ぎだされており、印象的に輝いている。
この音は、90年代から現在まで続くロックにおけるギターのひな型となった音といってもよく、ジョン・フルシアンテはここでロックのゆくえを指し示したといってもよいのではないだろうか。
各楽曲の完成度の高さは、言わずもがな。
捨て曲なしどころか、全曲全音が聴き逃せない、一家に一枚のアルバムだと思う。
さて、ここでレッチリにハプニングが襲う。
なんと、そのジョン・フルシアンテがバンドを脱走してしまうのである。
理由は様々な憶測が飛んでいるが、一番有名なのはジョンがフリーに振られた、というものである。
真相は、僕もよくわからないのだが…。
ジョンが去ったレッチリには、デイヴ・ナヴァロが加入し、「ONE HOT MINUTE」が発表される。
このアルバムではデイブ・ナヴァロが非常にいい仕事をしている。
レッチリの従来の個性を全く損なうことなく、ジョンとは違う自身の個性をいかんなく発揮してる。
特に"Aeroplane"はジョン在籍時にはないアダルトな色気が漂う名曲で、このような曲を生み出したレッチリの経験がのちのさらなる大成功につながったのではないか。
1999年、ジョン・フルシアンテが復帰し「CALIFORNICATION」が発表される。
このアルバムはアンソニーのラップは残しつつも、よりメロディが強調された内容となった。
ジョンの枯れた音による印象的なギターも健在で、より、耳に残りやすく聴きやすい内容となり大ヒットとなる。
その後、ジョン主導で製作された「BY THE WAY」はさらに、メロディ路線が強調される。
エキサイティングなロックソングは極力抑えられ、哀愁と郷愁がそそる、どこか寂しげな雰囲気の漂うアルバムだと思う。
「STADIUM ARCADIUM」はレッチリ初の2枚組アルバムで、ジョン在籍時の集大成といってもいい内容だ。
各楽曲、とても良く練られており、メロディ、ギターフレーズ共にとても味わい深い。
エキサイティングなロックソングも散りばめており、フリーとチャドのダイナミックなグルーブも堪能できると思う。
この大作を発表後、自身のソロキャリアを突き詰めたいジョンが、バンドと友好的に分かれることとなる。
そのジョンのソロアルバムにも参加し、バンドとも友好のあったジョシュ・クリングホッファーが加入し、アルバム「I'M WITH YOU」が発表された。
ジョシュはジョンの色を残しつつも、独自のアダルトな雰囲気も発揮し、「I'M WITH YOU」はらしさと新生面がバランスよく混ざったアルバムではないかと思う。
最新作「THE GETWAY」は、これまでになくダイナミックなグルーヴが抑えられ、よりメロディが強調された大人しいアルバムとなった。
大人になったレッチリの源氏あの姿ともいえそうだが、ここで一発、ジョシュ加入後ならではのテクニックを駆使した、ダイナミックなロック作品も期待したい、というところが正直なところではある。
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