「仏教メソポタミア起源説」「『ブッダの謎』─仏教西アジア起源論」と言った興味深い本が出ているニャ。
仏陀と仏教に関する本なのだが、妙な気分になったのニャ。
日本には古代中東の遺伝子が多く残り、日本語とタミル語は同祖の言語と言う説が唱えられ、日本にはインドや中東と似た顔もよく見られるニャろ。
仏教それ自体の起源は意外と古く、釈尊は歴史の深い仏教における聖者の一人にすぎないともいえるわけニャ。
そして、仏教の起源は西アジアに遡るとなると、気になるのはヒンドウと言う言葉ニャのね。
シンドウとも呼ばれるが、濁点を取ればシントウになるニャろ。
日本語は歴史を遡ると、発音のあいまいな二重母音だったよね。
二重母音、特に日本のようなワ行母音に近い二重母音の場合、濁点は落ちやすい訳ニャよ。
日本の民族宗教であるシントウの読みが、シンドウの転化だったとしたら、そしてもし、シンドウの民は西アジアに遡るとしたら、どうなると思うかニャ。
古代日本の成立期、意外なほど多くのペルシャ人が参加して活躍してるが、古代中東や西アジアの文化が色濃く残る日本で、彼らは自らの理想を実現したかったのだろうかと思えてくるのニャね。
さらに、ペルシャ人仏教徒が古代日本に多数来ているが、彼らは仏教が少数派となった西アジアを逃れ、安住の地を求めてやってきたのだとしたら、どうなるかニャ。
ヒンズー教、ヒンヅー教とも呼ばれるヒンドゥー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教だが、ネパールに近いチベットも日本と同様に古代中東の遺伝子が多く残り、インドもドラビダ語と日本語の近縁性が指摘されるのニャよ。
そう言えば、神道はシントウと呼ばれているけれど…。
シンドウが二重母音の曖昧な発音が原因でシントウと呼ばれているのに過ぎないとしたら、どうニャ。
考えても見てニャ。
ヒンドウはシンドウとも呼ばれるとしたら、ヒンドゥー教はシンドウ教になまっても良いはずでニャ。
そして、ヒンドゥー教と言う言葉は、他の宗教との比較や区別の必要性から出てきたわけだから、本来の名称はヒンドゥーなわけでニャ。
ヒンドゥーの教えに随う民がヒンドゥーであり、神道の教えに随う民が日本人だったと言えるのでニャ。
今、日本では多くの宗教が混在しているけれども、八百万の神々を受け入れてそれでいてびくともしないあたり、ある意味、ヒンドゥー教に似てないかにゃ。
穢れや嫌なことは水に流すと言う言葉があるよね。
ヒンドゥーの民はまさにいまでも聖なる川で身を清めたいと願っているわけニャ。
こんなところにも、日本人の西アジア起源の可能性が感じられるのかと、妙な気分になったのニャよ。
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