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2017年01月21日18:57

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(2014年)9/27 オオフジツボ4th北海道ツアー(後編) 当別

当別でのオオフジツボのライブは,2009年初北海道ツアー初日を飾ったハッピーバレーゴルフクラブに始まり,2012年3年ぶりの北海道ツアー初日を飾ったふれあい倉庫と続きました。2013年は弾丸一泊ツアーだったために当別でのライブはなかったのですが,そのかわり2日目のやでのライブには当別町から坂本さんはじめ大勢のお客様がみえて満席となりました。

当時は知るよしもなかったのですが,2009年の時に札幌と滝川から石狩当別駅前で合流していきなり訪れた私とS氏をハッピーバレーで受付してくださったのが坂本さんだったのでした。

ハッピーバレー,ふれあい倉庫,毎回オオフジツボのために心づくしの会場設定をされる坂本さんがこの年選んだのがファーマーズキッチンビトエでした。

当別町ビトエの近隣には,美登江,美登位といった地名もあり,共通の由来があるのだろうと思います。ハッピーバレーのある医療大学駅近辺,ふれあい倉庫のある石狩当別駅近辺と比べかなり札幌側で,石狩川や茨戸川を挟んだ対岸はもう札幌市です。それだけに最寄駅は遠く,最も近い石狩太美駅からでも4キロほどあります。農地が広がり夜は照明も乏しい土地柄,往路はS氏がS車にて同行してくれたからよかったものの,そうでなければ苦労したと思うのですが,現地で一緒になったライブ会場系知人のK村氏は本当に石狩太美から歩いてきたということで驚かされました。

そのようなロケーションのため,希望者には石狩太美駅に集合してお迎えといった御案内もあった記憶です。私は往路はS車だったので大丈夫でしたが,S氏は終演後は打ち上げのパーティには出席せずにすぐ帰るとのことだったので,復路は石狩太美駅経由になります。

対岸の札幌市街の灯火を遠く眺めながらS車にて石狩川河畔の堤防上のような道路を走り,青柳夫妻が営むファーマーズガーデンびとえに向かう枝道への矢印に従って曲がりました。

青柳夫妻のお住まいやライブの舞台となるファーマーズキッチン以外には灯火もなく,出迎えてくださった青柳さんだったのかなと思われる男性が手にした電灯で照らしてくれなければ足下も覚束ない暗さでした。

ファーマーズガーデンの中の飲食施設という位置づけなのでしょうか,ファーマーズキッチンには地元当別町の方々と思われる御婦人たちがきびきびと準備をされていた記憶です。

当時のメモをもとにこの日の曲目を振り返ってみます。

まず最初の方でCountry Life。
藤野さんはこのツアーもピアノアコーディオンだけをお持ちだったようでした。このCountry Lifeですとか,ハンドリオンのワルツフォースナフなど,オリジナルはボタンアコーディオンだった曲がピアノアコーディオンで演じられる機会が多くなっていて違いが味わい深いのですが,ボタンアコーディオンを聴く機会が少なくなっているということでもあり,久々にボタンアコーディオンでこの曲を聴くことができて前年(2013年)の八戸に行ってよかったと改めて思われたことでした。

Happy Retunrns Set,「凪の旅路」,後にGaleforce Gigueと名付けられた壷井さんのGG「ゲリラ豪雨」と前夜ののやと共通する曲が続き,この日も北海道の豪雨は大変だったようでといったお気遣いの言葉がありました。北海道のミュージシャンのFacebookが一斉に雨の話題になっていたと。北海道のは普通の豪雨だったが,東京のゲリラ豪雨は1キロ圏内だけものすごい雨が降っていて・・・といった御説明もあったと思います。

藤野さんのhope,「なのはな」,前夜もあった壷井さんの初期曲Eternal Reflexion,そしてこの日は「空駆けるもの」が前半最後に来たのだったと思います。

休憩を挟んで藤野さんの「宵蛍」,そしてAlexandrite Set。
初めてのお客もそれなりにいらっしゃったからだったでしょうか,光を当てると様々な色に変化する宝石・・・というタイトルの由来の御紹介があり,太田さんからでしたか,ところがこの曲を聴いた人からは旅立ち,戦い,平和の三部作からなるRPGのテーマ曲のようだといった声もある,どちらに感じられるか聴いてみてくださいとのお言葉とともに演奏があり,終了後に表明を求められた客席は大多数がRPGの方に挙手したのでした。

藤野さんは少々ショックだったようで,事前に言ってしまったためだろうか,今度は演奏後に尋ねてみようといった御発言がありました。

私は挙手しそびれてしまったのですが,宝石の方に挙手する人が少なくて挙げにくかったというのもあったものの,この曲で私が改めて感じたのは旋律を3つの楽器で受け渡すような構成の興味深さだったのです。オオフジツボだと「暁の地平」もそうですし,ハンドリオンだと先ほど触れたワルツフォースナフにも共通するものがあると思います。

Go! Chuo Lineでは坂本さんの御主人が何やら反応をお見せになったようで,ステージ上から指摘を受けた御主人は,いや久しぶりに聴きたいなと思ってとおっしゃっていました。前年(2013年)の北海道ツアーでは当別でのライブはなかったのですが,2012年の当別ふれあい倉庫では,蒸気の汽車云々や学園都市線の電化の話とともにこの曲が披露されていたのでした。

かつてナギィで演じられていたこの曲がオオフジツボのレパートリーになって以来,太田さんが電車の発車のメロディーを一節奏でて始まるのが定番となっていますが,中央線のメロディをやってもなじみがないと思うのでとおっしゃって,この日は東北新幹線の車内放送バージョンでした。私はこの年8月に八戸でのオオフジツボのライブから道南に帰るため,盛岡止まりだった頃以来で久々に東北新幹線に乗ったばかりでしたが,私に限って言えば,今でも中央線の方が乗る機会が多いのではないかと思います。

後半でのMCだったと思いますが,壷井さんが羽田行きのバスに乗り遅れた話を前夜より詳しめにおっしゃっていました。
乗り込んだタクシーの運転手さんが,ぼく今日が初めてなので行き届かない点があるかもしれませんがよろしくお願いしますというようなことで,ホテルメトロポリタンまでと告げると,要町通りでいいですかと。時間にゆとりもあることからああいいよと了承したところが,覚束ない運転ぶりに時間がだんだん怪しくなってきて,池袋駅西口までに変更。10分間のバッファがあるわけですよと。だから大丈夫かと思ったら目の前でバスが行ってしまったというようなことだったと思います。

太田さんの新曲「おもかげ」,壷井さんのShrine,Lighthouse and the Grass,「暁の地平」と続き,アンコールの曲目は当時のメモには前夜に続き「エコ」と書いてあったのですが,今となってはその詳細はわかりません。最後は「なのはな」でした。

Reel Set#3や「空に消ゆ」は,この日はなかった記憶です。
2012年の北海道ツアーを思い起こせば,Reel Set #3や「空に消ゆ」は,初日の当別ふれあい倉庫,2日目ののやでは披露されず,最終日の野良窯にしてようやく聴くことができたのでした。この年もあるいは翌日の野良窯では演奏されたのでしょうか。残念ではありましたが,私は道南に戻らなくてはならなかったのでした。

MCで覚えていることを記してみます。
壷井さんからでしたか,オオフジツボの音楽を気に入った業界の方が売り込みを図ろうとしても,まずユニット名で何じゃそれはといった反応になってしまうと。名前がよくない,企画会議で演奏してくれといった話になるといったお話がありました。

中尊寺でも最初は素っ気なくしていた御住職らが演奏を聴くと態度が変わって名刺を出してきたり・・・といったエピソードも耳にしたことがあったと思います。聴いてくれさえすれば魅力は確実に伝わると思うのですが。

オオフジツボに縁結びの御利益があるといったお話も。
当別町にはオオフジツボのライブが御縁で御結婚された御夫婦があり,この日も紹介されていました。2009年初北海道ツアー初日のハッピーバレーゴルフクラブに共にいらっしゃったのが御縁でその後結婚され,それからはオオフジツボが来道されると欠かさず御夫婦でいらっしゃっているのをお見かけします。
藤野さんからは,東京でもいるんですよ,オオフジツボのライブで出会ってつきあい始めたカップルがふた組ほどとのことで,今度結婚するカップルもいらっしゃるとか。
縁結びの話になって,藤野さんと壷井さんからは,我々も坂本さんにお願いするかといった御発言も。確かに坂本さんにはそういった方面の面倒見もよさそうなイメージがありますが,実際はどうなのでしょう。

終演後の打ち上げは当初バーベキューパーティーのようにアナウンスされていたのですが,諸条件からファーマーズキッチン内での立食パーティーとなりました。当別町の御婦人方が調理に腕を振るわれていた記憶です。

この時点でS氏はS車にて帰り,藤野さんのお見送りを受けていました。

前夜もいらっしゃっていた鈴木マイさんをはじめとする東京勢やK村氏なども残っておられ,昨日はいらっしゃらなかったと思われる2012年の当別以来オオフジツボの北海道ツアーで御縁がある登別の方とも歓談することができましたが,この時の北海道ツアーは私にはこの夜が最後だったのに,オオフジツボの皆さんとはそれほどお話しせず,学園都市線の終発が近づいて失礼する時もはっきり御挨拶できなかったのが心残りとなりました。

宴はまだ続いていましたが,23時過ぎの石狩太美駅の終発の時刻が迫った頃,私に帰りの足がない旨を覚えてくださっていた坂本さんがお声かけくださり,ありがたくも御主人の車で石狩太美駅まで送っていただけることとなりました。
石狩太美駅から歩いてきたというK村氏にも差し支えなければと誘って坂本さんに一緒に乗せてもらえるようお願いしました。まだ間に合うのでもう1人をスウェーデンヒルズに送ってからとのことで,この時点ではニッケルハルパを演るらしきスウェーデン女性という認識しかなかった3人目の乗客は今にして思えばルイースさんだったのでした。暗い中で車中から眺望しただけでしたが,スウェーデンヒルズは初めて立ち寄ったのだったかもしれません。坂本さんの御主人が,住人はヒルズ族と言われ,最近は札幌辺りからの人も増えてきたが,もとは管理費用を負担することのできる本州方面からの富裕層が多かった旨を説明してくださいました。

2012年7月は石狩当別駅から木更津氏や登別氏らと乗った学園都市線の札幌行き終電にこの日はK村氏と石狩太美駅から乗り込み,ぽつりぽつり話しながら札幌市内にたどり着きました。2012年の時は木更津氏,登別氏ともう一人札幌のRitaさんファンの青年がいて4人で語らいながらの車中だったのを思い出します。Ritaさんのツィートから当日たまたま知って訪れてきて打ち上げにも残り,翌日ののやにも姿を見せていました。その後はお見かけしませんがお元気なのでしょうか。

そして先に帰っていたS氏宅のドアを押し,前夜に続き泊めてもらったのでした。

翌(2014年)9月28日(日)は,北1条西23丁目の円山会館であらさんがお出になる二胡の演奏や賢治の朗読の催しがあり,野良窯に行けない代わりにこれに訪れてから道南に戻ろうと考えていました。13時半から15時半頃までの催しで,その日のうちに楽に道南まで楽にたどり着くことができます(それでも当時の時刻表だと帰宅すると21時近くになったのではないかと思います。)。自力で赴くつもりがS氏がS車で会場まで送ってくれました。

定期的に開かれている子供たち歓迎の催しとのことで,賢治作品のの朗読のパートでは,幼児たちが思い思いに寝そべるなどしていたのではなかったでしょうか。二胡のパートでは伴奏をラジカセで鳴らしていたのが印象に残っています。

まだ明るい時間帯の催しで,陽光の射す中であらさんと会釈を交わした記憶が甦ります。あらさんは二胡に合わせてか袖なしのチャイナドレス風の衣装だったのではないでしょうか・前年のオオフジツボ北海道ツアーに御一緒されていたあらさんですが,特にオオフジツボのために来ていた等の御説明はせずに失礼して札幌駅に向かいました。

さて,この2週間後にはRINKAが函館と青森に来てくださいます。


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