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2016年12月22日23:59

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「この世界の片隅に」

「この世界の片隅に」 ’16


監督・脚本・音響:片渕須直 原作:こうの史代
キャラデザイン・作監:松原秀典 美術:林孝輔 色彩設計:坂本いづみ
アニメ:MAPPA 音響効果:柴崎憲治 音楽:コトリンゴ
m声:細谷佳正,小野大輔,牛山茂,小山剛志,大森夏向
f 声:のん,尾身美詞,稲葉葉月,新谷真弓,潘めぐみ,岩井七世,津田真澄


昭和19年に広島から呉へ嫁いだ18歳の「すず」の物語。
こうの史代の原作の“よさ”をあやまたず掬い上げる
片渕須直の読解が作品を保証している。
こうの史代作品はどれも
ささやかな庶民の暮らしが恬淡と綴られていて
描かれる“日常”は決して表に出張っては来ないのだけれど
手足の大きな5頭身キャラたちのメインストーリーの背景として
静かで豊かな人の営みの空気を紡ぎ出していて、
それは
4コマだろうとストーリーものだろうと
古事記だろうと被災地スケッチだろうと変わることなく
こうの史代作品の強力な魅力なのだ。
片渕須直はその魅力を何よりよく理解し
すずの物語の“背景”をどれだけ丁寧に構築できるかに腐心している。
なんとなれば
昭和19〜21年という“あの当時”の庶民の日常を観客に理解させられなければ
すずの物語を語ることにはならないからだ。
こうの史代自身のリサーチだけでも感嘆するのに
片渕のそれは微に入り細を穿ち
殆ど神経症じゃないか…という精密さで戦時中を、呉を、広島を、再現し
当時を知らない我々をそこへ攫い
当時を知る観客の懐旧を引き出し
すずを
まるで昔からよく知る親しい女性であるかのように
「すずさん」にしてしまう。
私は「すずさん」に会いたくて3度劇場に通い
3度笑い3度泣いて
また「すずさん」に会いたいと思った。
『火垂るの墓』は“あの当時”の再現に
アニメーションが非常に有効であることを証したと思っている。
CG技術の進歩により何でも再現可能になったとはいえ
下手なCGの背景の中で俳優が浮いて見えるのと比すと
実写よりもはるかに
アニメは世界と登場人物のシンクロ率が高い。
ちなみに私は『火垂るの墓』で初めて
焼夷弾が落下して物や人を刺し貫き燃え上がる経緯を
リアルに体感した。
本作でも同じおそろしい体験をすずと共有する…
そう思ってしまうほど
空襲や機銃掃射の描写はリアルである。
しかしそのリアルは
すずが工夫を凝らして戦時下の料理をかまどで煮炊きし
共同井戸から水を汲んで風呂を沸かし
食用の野草を摘み 野菜畑の世話をし 市街地への坂を上り下りし
書斎の釘に掛けた手提げに小さなノートブックと鉛筆をしまった
北條家の暮らしが我々観客に親しいものになっていることに因っているのだ。
“ぼーっとしとる”すずの日常はいつも柔らかな笑いに満ち
首を傾げて汗をかき 時に「あちゃー」と声を上げ
うっかりしたり 失敗したり しみじみ照れたり 笑ったり ふくれたりする
すずとその周りの人たちの営む
小さくてささやかで暖かな暮らしが
時空を超えて
観客と心地よい親和を育んでいるからこそ、
我々は悲惨や苛酷をもリアルだと体感する。
玉音放送の後すずが
「まだここへ5人も居るのに!」「まだ左手も両脚も残っとるのに !! 」と
それまでの受容から反転するのがすごいのも
培われた日常がすずを保証しているからだし、
『夕凪の街、桜の国』の
「「やった!またひとり殺せた」とちゃんと思うてくれとる?」と同じ
“「私」を殺しに来る世界の悪意”への
消化し難い憤りを受け取るしかないのも
すずを「すずさん」として認知しているからなのだ。
まだ暗い朝の闇の中に飯を炊くかまどの煙がぽつぽつと上がるのも
終戦後電灯の灯りが坂の町に戻るさまも
すずの暮らしの風景として親しいからだし、
寒さに両手に息を吹きかけこすり合わせたり
海苔を漉いたり
配達の大きな風呂敷包みを石垣に押し付けて背負い直すすずが
動く画になっているのが嬉しいのも
すずをアニメのキャラではなく
「すずさん」として認知しているからだと思う。
のんの声はとんでもなくよくて
「あまちゃん」に続いて彼女のキャリアを飾るだろう。
優れたアニメーションである。
秀作。
3 10

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