前ページからのツヅキ・・・
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「沈黙」の考察だったのに・・・下敷きに押し潰されてしまった・・・
↓↑
「バテレン追放令」
↓↑・・・禁教令
1565年
永禄八年
1569年
永禄十二年
正親町天皇の追放令
↓↑ ↓↑
1597年
慶長二年一月
豊臣秀吉のバテレン追放令
↓↑
「十一箇条の覚書」
1587年7月23日
天正十五年六月十八日
「吉利支丹伴天連追放令」
伴天連追放令
1587年7月24日
天正十五年六月十九日
↓↑
1596年(丙申年)
文禄五年
10月19日
サン=フェリペ号
四国土佐沖に
漂着
(サン=フェリペ号事件)
日本人奴隷売買の発覚
文禄五年十月二十七日
1596年12月16日から
慶長元年改元
↓↑
1597年1月
慶長二年一月
筑前箱崎(福岡県福岡市東区)で
豊臣秀吉が発令
24人のキリシタンが
京都・一条戻り橋で全員、
左耳を切り落とされ引き回され
処刑
↓↑ ↓↑
1612年
慶長十七年
1613年
慶長十八年
江戸幕府の
キリスト教を禁ずる法令
1614年
慶長十九年
↓↑ 徳川家康のキリスト教禁止令
「長崎」・・・島原の乱(天草一揆)
寛永十四年十月二十五日
(1637年12月11日)
〜
寛永十五年二月二十八日
(1638年4月12日)
天草四郎時貞
(益田四郎
ジェロニモ(Geronimo)
フランシスコ(Francisco))
・・・本質は「百姓一揆」である・・・
有馬村のキリシタンが中心となって
代官所に強談に赴き
代官・林兵左衛門を殺害
十一月十四日
「本渡の戦い」・・・「本渡」?
富岡城代の
三宅重利(藤兵衛、明智秀満の子)
を討ち取る
1月6日
長崎奉行の
↓↑
神尾元勝(1634年〜1638年)
由井小雪の乱を鎮圧
榊原職直(1634年〜1641年)
軍令違反で長崎奉行は免職
大河内正勝(1638年〜1640年)
↓↑
依頼を受けた
オランダ商館長
クーケバッケルは、
船砲五門(ゴーテリング砲)を陸揚げし
幕府軍に提供し
デ・ライプ号とベッテン号
を島原に派遣し、
↓↑ 海から城内に艦砲射撃
「出島」・・・シドッチ・新井白石・
「隠れ切支丹」
「棄教」・・・拷問
「踏み絵」・・・マリア、キリストの青銅像
「殉教」・・・・踏み絵、拷問で棄教しなかった者達の
↓↑ 死刑、死亡
「クリストファン
・フェレイラ」
↓↑・・・(Cristóvão Ferreira)
↓↑ 1580年(天正八年)頃
〜
1650年11月4日
(慶安三年十月十一日)
ポルトガル出身
カトリック宣教師・イエズス会士
拷問によって棄教し、転びバテレン
改名の日本名
沢野忠庵
キリシタン取締り、弾圧協力者
日本人妻を娶った
1644年(正保元年)
キリスト教批判の
「顕疑録』を出版
天文学書の
「天文備用」
医学書
「南蛮流外科秘伝」を著
↓↑
管区長代理の棄教は
多くの宣教師が日本潜入志願
潜入宣教師たちは、
捕縛され、殉教し、棄教
棄教した司祭の中に
↓↑ ジュゼッペ・キアラ・・・
「ロドリゴス」
↓↑ ・・・ジュゼッペ・キアラが
↓↑ 小説「沈黙」のモデル
「吉次郎」・・「吉の次の郎」には
↓↑ 兄と妹がいて殉教
「長崎奉行」・・・・・
「初穂あげ」・・・・・隠れ切支丹の儀式
「刺身二切れ」・・・・儀式の供え物
「お膳二(二台)」・・・・・・
「箸二本(一膳)」
「オラショ(oratio・ラテン語の祈祷文)」
↓↑
「イエス」・・Jesus・Christ・・・イエス基督
↓↑ ナザレのキリスト
移鼠(景教・中国)
イッサ(インド・ネパール)
イーサー(アラブ)・・・
↓↑ 耶蘇教・邪蘇教・天主教
「ユダ」・・・ジュダ・Judea・猶太・ 犹太
猶(なお・ためらう・ぐずる・のばす)
犭+酋(八酉)
酉=西+一
猶子(ユウシ・甥、姪・養子)
猶予(ユウヨ)・・・執行猶予?
夷猶(イユウ)=周章夷猶
周章狼狽
あわてたり
ぐずたり
皇猶子(コウユウシ)
皇室で
兄弟・親類、他人の子と
↓↑ 親子関係を結ぶ制度
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・・・「密教」にならざるを得ないのは「宗教」ではないからだろう・・・「殉教」でなくても殺されるのは「人間の生き方」の問題である・・・人間が究極的に考え出した「神」は「殉教」を望んではイナイ・・・問い掛けるのも「神」に対してではない。エゴな「自分自身のココロ」に自己反省として問い掛けるのだろう・・・
・・・ツヅク・・・ねる・・・12月5日の朝4時10分?!・・・
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