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2016年12月05日04:32

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もじたま日記・2208日目・「沈黙」の「饒舌」・・・

 2208日目
 ・・・13:00・ETV・「こころの時代〜宗教・人生〜「母なる神への旅〜遠藤周作“沈黙”」・・・ナゼ、「母なる神」なんだか?・・・ナゼ、「こころの時代」なのか?・・・「脳ミソの時代」は人類発生から綿々と現代まで続いてきているのは当然なのに、脳ミソは「こころ」の居場所だろうが、「こころ」のナニを求めているんだか?・・・求めているのが人間が「漢字の意味」で考えている「狡い狐と、腹黒い狸-アン」なのか?、一所懸命に生きている「狐」と「狸」に申し訳ないが・・・家畜化された「牛・馬・羊・犬」は化けないが、人間の恨みを果たしてくれる「猫」は化けるが「則天武后」によって「12支」から外され、その居場所は「鼠(ねずみ)」になってしまった(?)・・・
 「ネコの女神」、紀元前4000年紀後半には「ライオンの化身」だったらしいが、紀元前1000年頃には「猫」に変身し、この女神はラーの妹、妻、プタハ(Ptah)の娘で、そして女性、妊婦、主婦の守護神「バステト(Bastet)=牝猫=セクメト (Sekhmet)= 」となり、「アペプ(Apep)=アポピス(Apophis)=毒蛇の大蛇」をやつける「エジプトの女神」になった・・・
 だが、星座はラランド(フランス天文学者・天文書、「ラランデの暦」の著者)が1799年に「ねこ座(猫座・Felis)」として位置は与えるまで存在しなっかた・・・古代エジプトのサイスの王、ファラオに「ネコ1世(Necho I)・在位紀元前672年〜前664年)」や、「ネコ2世(Necho II)=ネカウ(Nekau II)=ネクタネボ・第26王朝のファラオ(在位紀元前610年〜前595年)がいた。「エルビス・プレスリーの当て字が中国では「猫王」らしい.・・・だが、「ネコ王」の名前の「音」は「猫(ねこ・ビョウ)」には関係ないらしく、「cat・ラテン語フェーレス(カッタ)・ギリシャ語アイルロース(ガタ=GATT)」でもなく、「ヘブライ語ハトゥール」でもなかったが・・・中国語「猫(マオ)」も「ネコ・ネカウ」には訛り難いが、「ミャォ(myalo)」→「ニャォ(nyao)日本語」→「Necho・Nekau」?・・・英語は「mew・meow」だが、ヨーロッパはほとんどが「ミャ(mya〜)」・・・
 だが、「ネコ王」の所在したエジプトの「サイス」はアレクサンドリアの東(卯・兎)に位置し、ブバスティスは東南(辰・龍)、ヘリオポリスはほぼ南東(巳・蛇)に位置する・・・猫のミイラが埋葬され、その発掘から
 「ブバスティスでは「猫」はバステトの聖なる獣とされ、他の崇拝地は、メンフィス、ヘリオポリス、テーベ、レオントポリス、ヘラクレオポリスでも崇拝されていた」
 らしいから、「ネコ王」は「ネコの鳴き声」の「mjw(ミウ・メイウ)・mȧu(マウ)」→「ニャォ〜」になったカモ・・・
 日本地理上の「根古(ねこ)岳」は「熊本県阿蘇郡高森町」、「上田市真田(菅平高原)・須坂市の境界」にもある。寝そべったネコの耳に観えるらしい・・・
 で、「根古(ねこ)」の名前がつく「天皇」だが、
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   七 大日本「根子(ねこ)」彦太瓊天皇
   八 大日本「根子(ねこ)」彦国牽天皇
   九 稚日本「根子(ねこ)」彦大日日天皇
 二十二 白髪武広国押稚日本「根子(ねこ)」天皇
 四十一 大倭「根子(ねこ)」天之廣野日女尊
 四十二 倭「根子(ねこ)」根子豊祖父天皇
 四十三 日本「根子(ねこ)」天津御代豊国成姫天皇
 四十四 日本「根子(ねこ)」高瑞浄足姫天皇
 五十  日本「根子(ねこ)」皇統弥照尊
 五十一 日本「根子(ねこ)」天推国高彦尊
 五十三 日本「根子(ねこ)」天高譲弥遠尊
 五十四 日本「根子(ねこ)」天璽豊聡慧尊
 ・・・「彦=びこ・ひこ・ゲン」だが、「山彦(やまびこ)」は「こだま=木霊・木魂=こたま」=「谺(谷+牙)=こたま・カ・ケ」で、「反響音・音響」である・・・「こだま=兒玉・児玉」も嬰児、幼児の泣き声かも・・・「彦根」も「彦音」だったカモ・・・
 ・・・多分、「長靴」を履いていた人物だろう・・・
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 ・・・パチンコ屋の音・・・チィ〜ン、ジャラ、ジャラ・・・
 ナゼ、「パチンコ屋」ではなく、「カジノ屋」なのか?・・・「礼服、燕尾服」を着用して「パチンコ屋」で「政務活動費」でタマをハジクわけにはイケナイからなのか?・・・
 「ジミン」は兎に角、何処が「イシン」なのか、哂っちゃうが・・・「ミンシン」も「コウメイ」も「同じ穴のムジナ」なんだろう・・・ムカシは「お祭り」の「博打場」を仕切っていたのは「ヤクザ」である・・・一所懸命に生きている貉(むじな)にも申し訳ないヤカラが「博打志向の政治屋」なんだろうが・・・
 ラスベガスが「マフィヤの資本」で出来た場所だったし、そこで「15億円」を負けた「日本の政治屋」もいた・・・
 マカオで「クジラ」とカモにされ、カジノで「106億8000万円」を負けたらしい製紙企業の御曹司がいた・・・「鯨鯢(くじら)=久志羅・櫛羅・久地楽」にも申し訳ない・・・
 「オーストラリアの捕鯨反対のシー・シェパード環境保護団体=国際非営利組織?」の人間は「牛肉・豚肉・羊肉」、モチロン、「魚の刺身も焼身も煮身」も喰ってはいないんだろうが、随分とTVに映る姿、容貌はガッチリした体格で、イカツい。「国際非営利組織」なのに、ダレかからカネを施されているか・・・「シェパード(shepherd・Deutscher Schäferhund・German Shepherd Dog)=牧羊犬」なのに、そのうち、「シー・ドーベルマン」と名前を変更するかも・・・「ドーベルマン(人物名)」は元々、税金の徴収係だった。そして彼は「飼い犬をドーベルマン犬」として品種を改良し、それらの子犬は「軍用犬・警察犬」になっていった・・・
 髑髏の海賊旗とマーク、恐喝して生活費を稼いでいるんだろうナッ・・・事実、「国際非営利組織?」の「アメリカのシー・シェパード」は日本から金をかすめ取った(カネで妥協?したのは日本の日本捕鯨協会・捕鯨調査団体?)・・・「勇魚取(いさなとり)・鯨突(くじらつき)」は商業捕鯨・・・
 市民社会での「プチブル意識」・・・ボクも「ココロもミも同類の枠内」だろうが、生活で金銭的な余裕が無いし、ここには普段着で行けるようなパチンコ屋も無いが、潰れた「パチンコ屋の看板」が立っている・・・建設されるかも知れない「外人専用(?)のカジノ屋」にはコジキ姿では入場禁止かも・・・
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 ・・・「狐狸-庵センセイ(撰所為)」の「沈黙」だった・・・ボクも八歳頃に小児結核で毎日の日々が太ももに「ストマイ=ストレプトマイシン(Streptomycin・抗生物質)」の注射針をうたれていた。トウゼンだが、その時間帯は何処かに逃げ隠れては捕まり、観念して痛さの瞬間を知ったが、死ぬと云うコトは知らなかった。病院に入院し、そこで友だちになり、病棟の廊下を走り回った同年代の子供たちは、ただ、その寝台から居なくなっただけだった・・・ただ、家に帰っていっただけだった・・・そして、オフクロの姉であるオバサン達がやってきては、ボクの頭を抱いて涙を流す理由も知らなかった・・・
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 「セバスチャン・ロドリゴ(岡田三右衛門)」・・・
 1971年に篠田正浩監督が映画化した「沈黙(SILENCE)」は、ロスアンゼルススの「東宝・ラブレア邦画劇場」で観たが、そこでは「お菊」役の「岩下志麻」氏にあったコトがある。当時は(戦勝国)アメリカに滞在しているでけで「(日本人の)有名人」に逢えるチャンスがあったが、「ロス(羅府)= Los Ángeles・Los Angeles・洛杉磯」の日本人町は「little・東京」と呼ばれていたが、「日本の田舎の商店街」みたいな感じだった・・・そこからかなり離れた場所の「ラブレア邦画劇場」では「日露戦争題材」の映画(日本海大海戦?・1969年)も観た記憶もあるが・・・隣席の日系人のオバァさんは「ムカシの日本人はエラカったし、強かったんだネッ」だった・・・
 「愛は死にますか(防人の詩)」は1980年の別な映画の主題歌である・・・「愛」は死なないが、人間は「死ぬ」し、「殺される」・・・ヴィルス感染の「鶏・鷄=にわとり=雞」も人間に喰われる前に処分される・・・「ひよっこ」を観て喰えるのか・・・それでも、人間は「卵(たまご)=玉子」はクウだろう・・・?
 後、日本に帰国したボクはオフクロの本棚にあった原作の「沈黙」を読んだが・・・
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 今日(12月3日土曜日)、ETVの番組で遠藤周作の「沈黙」がやっていた・・・そこで、TVの中で語られていた言葉を拾ってみたが・・・
 「長崎」、「隠れ切支丹」、「棄教」、「踏み絵」、「殉教」、「クリストファン・フェレイラ」、「ロドリゴス」、「吉次郎」、「長崎奉行」、「初穂あげ」、「刺身二切れ」、「お膳二」、「箸二本(一膳)」、「オラショ(oratio・ラテン語祈祷文)」、「イエス」、「ユダ」など・・・などのコトバが発せられていたが・・・
 詰まる所は「カミの存在の有無」が問題のようであった・・・どうやら「キリスト」を「人間」であったと考えたくないらしい・・・タイトルも「母親のようなキリスト(母なる神)」で、「(聖母)マリア」に視点の始点を「母の慈愛(?)」に替えたいようであった・・・聖書の中で「キリスト」は家族関係の「母、父、兄弟、姉妹」を否定しているのだが、現実の「家族」を否定しているワケではない。「家父長制度」としての「夫婦・親子・兄弟姉妹」関係の「序列」の否定であった・・・それは、すべての人びとが「父=神」の下の秩序規範に従え、と云うコトである・・・
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  マタイ福音書
 「12:46 彼がまだ群衆に話している間に
  見よ
  彼の母と兄弟たちが外に立って
  彼に話をしようとした。
 「12:47 ある人が彼に言った
 「ご覧なさい
  あなたの
  お母さんと兄弟たちが外に立って
  あなたに話をしようとしています」
 「12:48 しかし彼は、自分に知らせた人に答えた
 「わたしの母とはだれか。
  わたしの兄弟たちとはだれか」
 「12:49 自分の弟子たちのほうに手を差し伸べて言った
 「見よ
  わたしの母とわたしの兄弟たちだ!
  「12:50 だれでも
  天におられる
  わたしの父の
  ご意志を行なう者
  その者が
  わたしの兄弟 また姉妹 また母なのだ」
  ↓↑
 「キリスト自身」の立場は、「従来の親子(家父長)関係序列」の否定であり、「旧来のユダヤ教組織秩序」と、「旧来の俗性・慣習」の否定であり、「神(父)の意志」の下での「社会的人間」としての「法的な枠内の普遍性の喧伝」であった・・・
 既に「神の意志」とは「モーゼ」が「十戎」の中で述べているが、イエスの拠り所も「十戎」でしかない。しかも「十戎」が弊害化した証拠は度重なる「預言者の出現」で理解出来るだろう。彼らは預言というよりは「警告者」であった。「国内での律法(十戎)の誠と義」の実践のエゴ的、欺瞞的な蔓延への警告である・・・
 「十戎」での重要なのは人間の日常諸関係で相互に「騙すな・盗むな・殺すな」である。「差別するな=相互愛?」はキリスト自身の「思想」であろう・・・「ユダヤ人はユダヤ国内でのエゴな生活はヤメロ、ッ」である・・・キリストは「愛国主義者」であり、「民族主義者」であったのだ・・・
 「ユダヤ国内での支配階級=王族+宗教家(ラビ)」の思想的堕落が「国際関係(ローマ帝国)」での属国化をも招いている、と・・・当然である。「国家主義的な思想の基盤」は「唯一神(ヤハウェ)」での「国家的、国民的統合」である・・・コレがなければ「戦争」にも負ける、捕虜にもなる・・・「ローマ帝国」は「オリンポスの多神教」だが、「政治組織と軍団組織」は実質「政教分離」の「帝国市民国家=軍体」で、当時の「先進国」なのである・・・ユダヤ王国は三流国家だった・・・
 「神(父)の意志」とは「自分自身の日常規範(十戎)をココロに問え」である・・・「神」は「ココロの中の自己反省の鏡」である・・・「神」は「実在の対象」でもなくてイイ・・・問題は「十戎」を守るか、どうかの問題である・・・
 残念ながらキリストは、彼に先行したギリシャ哲学者のように不遜にも「自分自身が学び、更に熟考、熟慮した自分の思想である」とは云えなかった・・・
 「比喩」としての「神」、その「名の下」で個々人の「農耕・農業作業」を「比喩」として「当然の生き方」を説得させる方が、識字力も無く、事象判断も的確でなく、生活が貧しく、病で苦しみ、コトバの理解力も乏しい人々を納得させ、組織化するには簡単だった・・・だが、「武装化」はしなかった・・・「ローマ帝国提督ポント・ピラト」が背後に控え、「軍事力」も「自国裁判権」も無い「属国ユダヤ王国」では「武装化」は出来なかったのだ・・・キリストの現実的現状分析(?)は、我満忍耐の段階であり、臥薪嘗胆の段階であった・・・「汝の敵」を取り敢えずは「懐柔」せねば、「ユダヤ国家」自体が元も子も無くなる・・・
 ↓↑
 取り敢えずは「キリストの弟子」達は職種は様々だが、「聖書」を記録できたのだから「教養」はあった・・・弟子たちの選択、そして役割分担も周到・・・4人の「漁師」である「ペテロ(シモン)、アンデレ、ヨハネ、ヤコブ」は「舟」を操れただろう。「ローマ帝国の税金徴集の取税人」の「マタイ」は「行政能力」はあった。「熱心党員」であった「シモン」は「軍事的作戦能力」。「イスカリオテ・ユダ」は「キリスト集団」の会計係だったから計算と数字には強かったハズである・・・
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 そして、国内大衆の組織化には「奇蹟」が「必要」であった・・・「奇蹟」は弟子たちの創作であったのか?、それとも事実か?・・・病人の「病の速成回復」、「意識をなくした人間の蘇生」が事実なら、時代のキリストは「医者・医術者」であったろう・・・パンと小魚の数千人(五千〜七千)への食糧配給は「買い置き準備」のトリック、「海上歩行」も浮き袋、綱渡りトリック(?)で説明できるカモ・・・彼の時代の「科学技術(錬金術)」は侮れないだろう・・・もし、「種の有る奇術師」でなければ、「宇宙人の仕業」であるカモ・・・
 兎に角、組織としての信者獲得には「奇蹟」が必要であった・・・
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 「神の御加護」は、古代エジプトにも、古代ギリシャにも必要だったが「祀られる」のは擬人化された「動物・植物・山自体・天文、自然現象」である・・・様々に生きて存在するモノが「神々」であり、彼らの「力」は人間が所有してはならないモノ、人間には「所有出来ないモノ」であることを知っていた・・・特に翼で空を飛ぶ「鳥・禽」には憧れたのに違いない・・・
 「ゾロアスター教」は紀元前6世紀頃だから比較的新しい「善悪二元、光と闇、白と黒の相対立する宗教」で、「抽象化段階」の「法的な社会宗教」である・・・
 で、多神教の「神々」は彼らの世界では「分担領域」が決まっていた。「神々の階級序列」も・・・決められているモノとして「人間」は考えていた・・・神々の序列の決定は「地域的な人間集団の共同、協働社会」を反映した「暴力秩序」の象徴でもある・・・
 親の食糧確保の「分限領域」で、その縄張りから出ていかざるを得ないのは子供達の兄弟姉妹のダレかである。「分家、分散化」していった「人間社会」は、再度、結集、合同せざるを得ない状況に遭遇するのは必然である。それは「気候変動・自然災害・疫病」での「飢饉」と人口減少であろう・・・食糧不足は狭い領域での他者から暴力的な強奪、掠奪(略奪)と分配で、共同体間の妥協もあったろうが、それらの暴力行使は広い範囲に拡散化し、支配領域も拡大していった・・・
 世界中の「戦の時代」は「食糧と奴隷を確保」出来るか、どうかの争いである・・・「食糧領域の確保」が一段落すれば、「支配階級内」で支配権の継承、身内の骨肉争いが始まる・・・
 キリストの「出発点」は「ローマ帝国(ユピテル=ゼウス・マルスなどの神々)」との対立での「自国の神(エヒイェ=ヤハゥェ)」の「自覚」と復興であり、国際的には「愛国主義=熱心(党)」としての「自国解放」であった。だが、キリストは、対「ローマとの武力闘争」を自国で組織化出来なかったのだ・・・占領軍の力は強力だった・・・Pontius Pilatus ポンティウス・ピーラートゥス)ローマ帝国ユダヤ提督・・・「GHQ」の「MacArthur」元帥・・・沖縄は「日本国」?・・・北方領土にミサイル?・・・
 キリストではなく、反キリストであったユダヤ主義者の「サウル=パウロ」の世代は、もはや、「ユダヤ人国家=独立自治国家」の解放などは無理であった。「ユダヤ教の要」である宗教者、「ラビ(rabbi・rhabbi・アラム語 rabbin・ヘブライ語 rabbi」と、「ユダヤ国内支配階級」の「政治=戒律」の堕落・・・ローマ帝国(護民官・神祇官・多神教)の属国、植民地提督の支配に甘んじる最下層の種族の「唯一神族」であった・・・
 「サウル=パウロ」は気付いたのだ。「ユダヤ人、キリストのユダヤへの愛国的な意図」を・・・だが、キリストの「正義と義人」の追求、実践行為は「ユダヤ国家枠内」のモノであった・・・しかも、マヌーバーであったとしても、「王のモノは王へ、神のモノは神へ(新約マタイ22:17-21・マルコ12:14-17・ルカ20:22-25)」で、キリストは、未だ段階的には「暴力的な権力奪取の組織化」は出来なかった・・・キリストの磔刑後、
 「サウル=パウロ」は
 「ローマ帝国属国としてのユダヤ人支配層の堕落」、
 そして、更に気付いたのだ。
 「ローマ帝国内自体の市民=軍隊の階級没落」、
 「ローマ帝国の属国の地方異教徒の国家内の身分格差の差別」
 を・・・
 ギリシャ系のユダヤ人であった「サウル=パウロ」は「ローマ市民権」を有する「ローマ帝国人」でもあった・・・
  ↓↑
 紀元前46年
 独裁官となったカエサルは植民地属領民にも「ローマ市民権」を与えた・・・「教師と医師の職にある者にその期間中は授与する事を定め、味方についた在地の有力者にも市民特権を分け与えた」・・・「解放奴隷の公職門戸開放」・・・「陪審員資格を40万セステルティウス(sestertius)以上の資産を持つローマ市民への解放」
 紀元前27年
 アウグストゥス(Augustus・オクタウィアヌス・アウグストゥス)は「属州民が補助兵に志願し(その間属州民税は免除。兵役こそが最高の税であり、金の税は兵役の代償)、満期除隊した際に世襲のローマ市民権を与えることを定めた。市民=戦士・・・ローマ市民権を獲得するために多くの人材が集まり、ローマ軍は強力な軍隊となった」・・・だが、「傭兵」は「軍体」を弱体化するだろう・・・
  ↓↑
 キリスト生存期間のローマ皇帝
 紀元前14年9月18日〜紀元37年3月16日
    13・12・11・10・9・8・7・6・5・4・3・2・1・紀元2
 皇帝在位
 ティベリウス・ユリウス・カエサル
 (Tiberius Julius Caesar)
 紀元33年
 ローマでの金融危機に国家資金を投入
 イエス・キリストの処刑・・・33歳
  ↓↑
 新約・ルカ
 テベリオ(ティベリウス)の
 治世15年に?・・・紀元前14年+15=紀元2年?・・・
  ↓↑   ・・・キリスト公生涯は30歳〜33歳?
  ↓↑      紀元2年=キリスト30歳?
 バプテスマのヨハネが現われ
 イエス・キリストの十字架、
 磔刑までの約三年半の期間・・・?
  ↓↑   皇帝治世15+3年→キリスト30+3歳→西暦4年?
 公生涯(Ministry of Jesus)が始まった・・・?
 ・・・皇帝治世の15年=紀元2年→キリスト30歳+3
                     30+33=63歳?    
 ・・・皇帝治世西暦15年→キリスト15歳+3=18歳?
  ↓↑
 パウロ=サウロは「異国の異邦人の洗脳化」、そしてローマ帝国内での「奴隷の洗脳化」と「ローマ市民のキリスト教の組織化」に奔走した。理由は単純である。「キリスト教の国際化」である・・・ユダヤ人のローマ帝国からの独立解放はローマ帝国内の最下層の「奴隷解放」をも土台にしなければムリである、と・・・あるいは、ローマ帝国内のユダヤ人市民権の拡大は「ユダヤ-キリスト唯一教」ではムリである、と・・・結論は「万民相互の慈愛のキリスト教」での「国際化」である・・・だが、本音は「ヤハウエの民族国民」・・・
ーーーーー
 ・・・つづく・・・

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